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歌集の批評会に参加した。

野田かおりさんの歌集『風を待つ日の』批評会(2024.2.11)に参加したので感想を書いてみました。


野田かおりさんの歌集『風を待つ日の』には好きな歌がたくさんあり、何度も読み返している歌集だが、批評会では気づいていなかった指摘がいくつもあり、参考になることが多かった。
一方で、歌集に対する自分の印象と、会場での発言にかなりのずれがあるとも感じた。また引用された歌の中に見逃していた歌が多いのも疑問に思った。
そこで、その原因を考えてみると、どうも私の歌集の読み方に問題があるような気がしてきた。
パネリストの方が行うように、私も事前に類似した歌や特徴的な歌をテーマごとに分類し、それを読み込んでから批評会に参加したのだが、それが原因の一因のようだ。
似た傾向にある歌をまとめることでさまざまな発見はあるが、歌集全体の流れを把握することはできない。
歌集のあちこちから自分の解釈に都合のよい歌をかき集めているとも言えるし、取り落としてしまうものが多いとも感じた。
結局、歌集を自分で勝手に再構成して読んでいることになる。
当日は歌集の構成について話題になったが、私は全く意識して読んでいなかった。

歌集というものは、歌集の流れに沿い、また連作を意識しながら読まないと、その歌集を味わったことにはならないのだろう。確かに様々な角度から分析することは大切だが、それは歌集全体の流れを踏まえた上でのものでなければいけないと感じた。

私が読んでいた印象では冬と春の歌が多いと感じていた。特にまだ寒い春。
さみしさ、孤独があり、人の気配が希薄であること。
しかし批評会に参加してみて、食べ物の歌に印象的なものがあったり、温もりのある歌も多くあることに気づいた。
自分では気づいていなかった歌集の一面に出逢えるのが批評会のよさなのだろう。

タンバリンやあやあ鳴らす子のやうに葉桜けふは光をちらす

登校の生徒途切れて校門にひそりと立てる空刻があり

まだそこにゐたかつたのだらう歩いても遠い春の灯台

野田かおり『風を待つ日の』


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