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『塔』2024年2月号より④

『塔』2024年2月号の作品2から、気になった歌をあげて感想を書きました。(敬称略)

くさはらにボールがうれしい犬がいて陰と日向を往復している
/森川たみ子

p90

陽光に緑あざやかな草原、その一部分に濃い陰がかかっている。
そこに一匹の犬が、ボールにじゃれて陰と日向を行き来しながらせわしなく動き回っている。
「うれしい犬」がなんと言えない的確な表現で、その動きを伝えている。「うれしそうな犬」ではなく、「うれしい犬」、わずかな違いだがここに新鮮味がある。
また、「往復している」によって、スナップ写真ではなく、動画として読者に届けられる工夫がなされている。
さらに、結句の8音とともに一首のやわらかい韻律には作者のあたたかな眼差しが感じられる。


咲き残る色さまざまの菊へ降る初雪けふは十一月十日
/石田和子

p90

色彩ゆたかな美しい映像が、緩みのない調べによってさらに印象を強くしている。
11月の初雪には意外性があるが、作者は北海道在住だ。
一般的な感覚とのわずかなずれが、一首に神秘的な雰囲気を漂わせている。
秋と冬、ふたつの季節が交差する場面が詠まれ、深い余韻の残す歌である。


五十年越しに失言謝罪されぬ私は何も覚えてないのに
/姉崎雅子

p92

通常はこの逆のパターンが多いような印象がある。
何気なく発せられた言葉に、言われた側が傷つき、ずっと忘れられない、そういったことはよくありそうだ。
ここでは作者の記憶にはないにもかかわらず、失言した側の相手が五十年もの長い期間にわたって、心に引きずったまま暮らしてきたのだ。
その心中を察すると複雑な気持ちになる。
言葉や人間関係の難しさとともに、人生における運命について考えさせられる一首だ。


チャリティーの手製の小皿五百円高いか安いかまだもめており
/松下英秋

p97

なかなかいい小皿なのだが、なにぶん手作りなのでそこまでのクオリティはないのだろう。
作者が出品者側なのか客側なのかははっきりしないが、どちらにしてもありそうな場面だ。
特に「まだ」がよく、ここに時間の経過とともに、作者のあきれたような心情が現れており、味わいのある歌になっている。


素うどんときつねうどんがおなじ値のふしぎ言ひつつ七人の昼
/岡部かずみ

p99

前後の歌から、観光に出掛けた際の歌とわかる。
きつねうどんは素うどんの上に油揚げが乗っているのに、ふたつがおなじ値段である矛盾。
それを言いながら皆でお品書きを見て、注文の品を選んでいる場面だろう。
その状況がこの一首に過不足なく詠み込まれているのが見事。
特に「ふしぎ言ひつつ」から騒ぎ立てるでもなく、そのおかしさを楽しんでいる、その場のやわらかい雰囲気が伝わってくる。
なごやかな旅であったことと、品の良さが感じられる心地よい一首である。


今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。

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