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『塔』2024年4月号より①
『塔』2024年4月号から、気になった歌をあげて感想を書きました。
(敬称略)
バス降りてあゆみゆく身は冬の陽と影の鋭き分(わか)ちを越ゆる
/吉川宏志
バスを降りて歩く人々が、日なたと影の境界を越えてゆく様子を、作者が離れた位置から見ている場面と解釈した。作者自身が歩いているのかもしれない。
「あゆみゆく身」、「分ちを越ゆる」という表現に注目した。
まっすぐな道に出づ南天赤く垂れいる角を右に曲れば
/永田淳
辻に生っている南天の実。普通ならその南天を観察して詠むところだが、こういった詠み方もあるのだ。
韻律が5・5・7・7・7となっている。
雪晴れのカーブミラーに映りゐる雪に埋もるる五戸の家々
/上田善朗
雪国の美しい景色が描かれているが、カーブミラーを通すことで幻想的に感じられる。
赤鰈の大き煮つけがどんと載る因幡の国の昼の定食
/加藤久子
旅の昼食の一場面。「どんと載る」にそのボリュームと作者の驚きが伝わる。
抽出しにきみの遺した眼鏡ケースは少し大きめ 私が使う
/土肥朋子
亡き夫の遺品の眼鏡ケースを使う。「少し大きめ」がいい。そのケースを使うことで夫に守られているような感覚になるのだろう。作者の夫への思いが間接的な表現で表されている。
言いたくて言えないことばを持ち帰るたったひとりの日本人なり
/竹田伊波礼
言いたいことが言えないのはよくあることだが、ここでは場面が外国であることが印象深い一首となっている。
言葉や文化の壁を感じつつも、話し相手のいないさびしさ。それが「ことばを持ち帰る」に巧く表現されている。
競ひ合ひケーキの蝋燭吹き消しぬ小さき三人(みたり)が口をとがらせ
/久次米俊子
クリスマスケーキを子供たちが吹き消す場面。
さりげない一首だが、「競ひ合ひ」、「口をとがらせ」によって、
にぎやかで幸せな雰囲気がありありと伝わる。
国道に轢かれし狸の骸あり通過するまで鼻歌やめる
/竹井佐知子
「狸」は意外だが、犬や猫の死骸を見ることはまれにある。
無意識のうちに死を悼む気持ちが行為として現れたのだろう。
イソジンを薄めたような夕空に灯油屋さんが歌こぼしゆく
/冨田織江
「イソジンを薄めたような」が抜群の比喩で、その他の語の選択も見事な一首。
わが顔の描かれしカイトは子の糸に手繰り寄せられ中空を飛ぶ
/大木恵理子
映画のワンシーンのような感動的な場面だが、「中空」としたことでさらに深みのある一首となっている。
子の手の先にある凧は失速して落ちてしまいそうな不安定なもの。
子や自身を励ます気持ちと不安が同時に表現されている。
今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。
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