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『塔』2024年6月号より②

『塔』2024年6月号から、気になった歌をあげて感想を書きました。
(敬称略)

二度とない日々だつたのに「子育てがつらい」とありき古きノートに
/豊島ゆきこ 

p106

・子育てをしていた頃と、現在の心境の変化が詠まれている。子育てを終えた今となっては、「二度とない日々だつた」とわかる。
当時は周りを見ることもできないくらい必死だったのだろう。
そうしたかつての自身の姿を懐かしむと同時にいたわっているようでもある。自身の心境の変化に対する戸惑いも感じられる。


内外のいづれがまやかし額縁の中をさざ波ゆらめくときは
/俵田ミツル 

p121

額縁に収められた絵画か写真を見ているのだろう。その中にさざ波が揺らめいている。額縁の中の世界に没頭していると、現実の世界との区別がつかなくなるような感覚をおぼえたのだろう。
幻想的な一首である。


スーツ着て通う職場は懲り懲りと息子は言いきキムチ食みつつ

がれきという言葉で良いのか大切な家屋や家財でありにしものを
/松浦わか子

p123

・一首目、「懲り懲り」(こりごり)の音の響きがキムチを嚙む音につながる面白さがある。
・2首目、テレビや新聞などの報道で使われる言葉への違和感。
被災された方々の心に寄り添う作者の気持が一首に出ている。


そこだけがゆれゐる庭の片隅の椿の枝にやつぱりメジロ
/𠮷田京子 

p124

・作者が実際に見て感じたことを、その時間軸に忠実に再現している。


樹の呼吸(いき)や花の呼吸(こきゅう)を聴く御苑ひとつベンチに仰ぐ春のそら
/小野まなび 

p129

・二つの「呼吸」に(いき)、(こきゅう)と異なるルビが振られている。樹木と花では呼吸のリズムが違うことを作者は感じ取っているのだろう。「聴く」の漢字にもそれが表れている。
作者と自然との対話の時間とその場のゆったりした空気が感じられる一首。


山中へ蛍光服が消えしのち銃声三発しばし谺(こだま)す
/大槻一郎 

p142

・迫力のある一首。「蛍光服」が効いている。
余計な説明がされていないのもよく、読者の想像力にゆだねられている。


横断歩道の白だけ踏む子と手をつなぐ 因幡のワニを起こさぬように
/鳥本純平

 p149

・横断歩道を渡るこどもによくある場面だが、「因幡の白兎」と結びつけたところが巧い。


エゴノキのこずゑが掴みそこねたる陽のぼろぼろと右頬は浴ぶ
/中野功一 

p152

・「掴みそこねたる」という把握が新鮮で、助詞のつなぎ方や一首の調べにも特徴がある。
多用されている濁音、特に下句のB音に作者の沈んだ気持ちが反映されているのかもしれない。


誰も来ぬ沼のほとりにエロ本が重なりあひて少年期過ぐ
/三浦肇 

p171

・かつてはよく見かける光景だった。少年期の孤独や、性への興味が象徴的に詠まれている。


ざぶざぶと使い放題の水道の蛇口捻(ひね)るとき輪島が浮ぶ
/田中風韻 

p181

・日常のさりげない自身の行為を通して、他者へと想像力を働かせている。これは大切なことだと思う。
字余りを含む調べも効果的に作用している。

逝きしより半世紀経るおもかげはいつしか写真の貌に定まる
/三上糸志 

p184

・人が亡くなってしばらくは、生前のさまざまな思い出とともに表情も思い描くことができるが、次第に忘れてゆき、遺影の表情しか思い出せなくなる。そうしたことに作者も寂しさを感じているのだろう。


ただ二人住む家(や)に小さき雛飾る錆朱色した小帛紗しいて
/髙鳥ふさ子 

p184


・一首から丁寧な暮らしとその中にある小さなよろこびが感じられて印象に残った。


今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。

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