小説とは何なのか(Pさん)

 小説とは、一体なんなんだろうか。
 見た目で判断しても、わかりづらくなることがある。
 小説とは、散文によって言葉を連ねる、芸術である。
 僕は、ここまでに留めた方がいいと思う。他にいろいろな条件を思い浮かべる人もいるかもしれないが、それは留めた方がいい。「散文詩」というものを、いくつか読んだけれども、適度な所で改行するのである。あれがどうしても、「結局は散文詩も詩である。詩の見た目をしているものが詩である」というメッセージを、どうしても覚えざるを得ない。もちろん、一部の散文詩と呼ばれるものはそうではない。最もすぐれた小説だと思う小説のひとつである、友人の書いた小説を読んだところ、これはもう散文詩だとしか言えないのではないかと思ったものがあったけれども、それが小説なのか散文詩なのかは知らないけれども散文によって言葉を連ねた芸術であるというのには変わりはなかった。今度は、芸術という、言葉のどれだけ浮足が立っているかというところが試される。芸術という言葉が、モネとマネの絵を混ぜたような絵であったり、ラヴェルとドビュッシーを混ぜ合わせた音楽であるとイメージされると、そこから抜け出すことが困難になる。やはり、芸術という言葉を使わないほうがいい。小説とは、散文によって言葉を連ねる行為である。韻文であるということを捨て去っていいのか。ある、僕が最もすぐれた小説家だと思う人は、僕は小説なんてもしかしたら書いていないかもしれない、ただたんに文章だと呼ぶ、と言っていた。やっぱりそれが正しいのかもしれない。小説ではなく文章を目指すべきなのかもしれない。この間死んだ古井由吉も言っていた。言ってはいないかもしれないが態度といくつかの片言で示していた、エッセイというものを小説から幾分かエネルギーの落ちたものとして、小説家の日常を単に語るツールとして使ってはいけない、小説を書く人間の親しみやすい面を別の媒体で示すものになんかなってはいけない、ということを言っていた。小説家の書くエッセイも全く濃度の変わらない芸術品だった。この間死んだ人間の言ったことを軽んじていいものだろうか。筒井康隆もじき死ぬだろう。そしたらあの膨大な作品群も全て金言である。今度は、トランという作家の言葉を掘り起こしてみるべきだろうか。彼も死んだんだろうから。記録があるかはわからないが。

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