Pさんの目がテン! Vol.39 創世記を読む 2(Pさん)

 楽園追放のあとは、しばらく十何代にもわたる系譜の話になる。『創世記』でも、ギリシャの『神統記』でも、似たようなパートがある。ギリシャ神話の方は、もっとひどかった記憶がある。
 これらのものは、読み物として書かれたわけではなく、物事の根拠を辿る為に書かれたので、当然なのかもしれないが、しかし、何もしない人間がただ名前だけ書き込まれ、連なっていくのを眺めているのは何なんだろうという感じがする。
 僕はこれは原文で読むのが初めてかもしれないが、そのあとの「ノアの箱舟」の挿話を読んだ。
 意外だったのは、ノアの死に方で、例の洪水事件があったのち、千年近く生き延び、九百幾歳になったとき、葡萄酒を飲んで、裸になって歩き出して子供達に服を着せられた。
 その後死んだとあった。
 何度読んでも、なんでこの話が挟まる必要があったのかがわからない。
 それから、洪水の前後で神の態度が変わる。
 ノアの世代には他の人間は堕落してメチャクチャだった。なので山が全て水没するほどの洪水を起こしたわけだが、洪水が収まって、つがいの動物を放ったあたりで、神が、
「もう二度と全人類を滅ぼすようなことはしない。私は誓う。(同内容の歌パート)以上を私は誓った。」
 と、かなりしつこく全人類を滅ぼさないと誓うのである。
 まるで怒られた子供のような感じである。そんなに言うぐらいなら、洪水を起こさなければよかった。あるいは、堕落した人類は一掃されたわけだから、神的には良かったんじゃないか?

 それから、アブラムの放浪の話に入る。ここでも、違和感のある場所がある。騙されたと思ったのは、最初、アブラム、アブラムと呼ばれていて、
(発音はなんかの理由で違うのかもしれないが、いわゆるアブラハムのことか……)
 と思って読み進めていたら、とある王とのいざこざがあった辺りで、
「アブラムは、この後アブラハムに改名した。」
 という一文があった。しかも、そのネーミングの由来が、ダジャレのようなのだ。
 それから、アブラハムがあちこちの国を渡り歩いている際に、エジプトなどにも立ち寄ったりする。エジプトの民や、それぞれの地域の王族が、すでに根付いていたりする。ここでの異民族は、すでに創世の話の外部にいるような感じがする。
 神がアダムから一系で作った人類であるはずが、そこから外れているような感じだし、むしろ神の息みたいのが掛かっていないものとして、この異民族が描かれている感じがないか?
 と思った。(続く)

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