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うさぎの希志燃料 作業日誌20220422~

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うさぎのブログ。 小説がアウトプットできない分、日誌としてできるだけ毎日書き出してみる。 無理はしない。 でも、頑張る。
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記事一覧

的を得ない日記というのが読書日記の本質なのか(2022/06/09)

「読書日記」というジャンルが、存在するならば、 めんどくさいことに、 だいだい、読書の話をしない。 読んでいる本の話をしない。 作った料理の話をしたり、 行ったところの話をしたり、 その日の感じたことの話だったり、 本当にブログ程度のレベルの話の中に、 たまに、読書の話が織り交ぜられている。 いかに普通の生活の中に、 読書という非日常を織り交ぜられるかが、 「読書日記」というジャンルの中では重要視されているのではないだろうか。 だから、本は厚いし、遠回りの表現は多いし、

繰り返して学ぶことと転ばぬ先の杖のこと(2022/06/08)

失敗しないためにどうするべきか。 同じことを繰り返して、反復学習するべきなのか。 転ばぬ先の杖を持っておいて、失敗を未然に防ぐべきなのか。 今、失敗をしそうな雰囲気を漂わせている。 周りからは、自分が全然そんなことをしそうな雰囲気は醸し出してないし、 そんな態度もしていない。 ただ、ぼくの頭の中では警報がなっていて、 今、自分の弱い部分が非常に悲鳴をあげている。 考えすぎかもしれないが、 生きるか死ぬかまで考えた。 さっきの話だ。 でも、頭の中で変換して、 今ぼくは

『ディアスキアの恋』第一回 (2022/06/07)

 コトミがシャワー室から出てきたときカズキは既にスーツに着替えていた。カズキがポケットからタバコを取り出そうとしたが、彼女が出てきたところを見て止めた。彼女はタバコは嫌いではなかったが、自分が気を遣わせてしまったことをどこか罪悪感を感じてしまった。彼女は感じなくても良いどうでもいい悪い感情を抱いてしまう。さらに、シャワー室から出てきたときにカズキの顔が少しイライラしたように感じたように察した。彼女はそれに対してもストレスを感じてしまった。彼女は服を着ながら気分を整え、自分の中

被害妄想と邪推とスタンディングデスクのこと(2022/06/06)

今日は朝、薬を飲むのを忘れたかもしれない。 すべてはそこから始まっているかもしれない。 なんか人のことが気になる。 人の発言の裏を読み取ってしまう。 だから、人と話していても、人の行動が目に入っても、 その行動原理原則を考えてしまう。 そして、自分が矮小化されて、存在が希薄化されているんだと思わされていく。 自分の中で、自信はなくなり、疑心暗鬼になった。 「自分なんていらない存在なんだ」と思いながら、 注文していたスタンディングデスクを組み立てていた。 かなり精神的に

なんにもない、なんでもない日のこと(2022/06/05)

今日は一日眠かった。 起きるのも遅かったし、 あんなちゃんが出店しているイベントに向かっている電車の中ではほとんど寝ていた。 まぁ、移動時間が移動時間だったと言うのもある。 なにしろ、東京都を縦断して、神奈川に行った。 本当はだれか一緒に行く相手でもいれば、観光なんかもできたのかもしれないが、あいにくぼくは一人でその「横浜ハンドメイドマルシェ」に行った。 ファミリー層からちょっと上の層が来ていたイメージ。 もちろん若い人もいたが、男のぼくが一人でいるのはなんとなく浮いている

キラータスク999なことと、『農耕詩』p39を添えて(2022/06/03)

人にどれくらいタスク抱えているかリストを書いて見せた。 抱えすぎだと言われた。 ざっと10個はあった。 細分化すると15個くらいある。 やらなきゃいけないもの、やらなくていいものを分別化したとき、このブログのことを、「毎日やる必要はありますか」と言われた。 やらなくてもいいのかもしれないが、やりたいと思っている自分がいるのだから、そこは尊重して欲しいと思っている。 このオワコンブログでも、一応、自分が発露したいことはあるのだから。 それに再復活するかもしれないという、見えない

男というのはいざというとき頼りなく、女は堂々としていること、『農耕詩』p31を添えて(2022/06/02)

隠し事なんてしない方がいいなのだけれど、隠し事しなければならない状態をしなければならない。 そのときに、名前を呼ばれたときに過剰に反応をしてしまい、びっくりしてしまった。 話し相手をしていた女性はびっくりしていただろうけど、上手く対応しただろう。 呼ばれて支持を受けて対応して、その女性の方を見たらOKサインを出していた。 ぼくより肝が据わっているなと思った。 それよりも、ぼくがビビリなのかもしれない。 早くこの状況から抜け出したいと思った。 それは、大体ぼくの周りの女性はそ

それは新たなる始まりなこと、農耕詩p20を添えて(2022/06/01)

これは模倣の模倣の模倣である。 罪悪感はない。 所詮、芸術なんて、模倣から始まっているのだから。 なんて、啖呵を切ってしまうと元も子もない。 でも、そうやって切り捨てていかないと前に進まない。 同じことをやろうと思っている節はあるが、 同じことができる自信はない。 ぼくにとって、元ネタの作家はそんなに影響を受けていない。 何冊かは読んでいるが、思想が相容れないところがある。 たとえば、昼間に男女が同じ部屋にいたらなにをするか、という疑問をとある本の中で問いとしてたてていた

こうして今月が終わっていくこと(2022/05/31)

完璧なことなんてない。 完全なものなんてない。 人間なんて不完全なものだ。 不完全だからこそそれぞれに個性があるのだ。 友人が内定をもらった。 再来月から勤務らしい。 第一希望のところだからよかったと思う。 仕事内容は大体知っている。 就職してしばらくしたら、話を聞いてみたいと思っている。 自分もいつかそういう人間になれるのか、心配になる。 自分はポンコツだ。 不完全とか完璧な人間ではない。 欠陥の多い人間である。 売りもない。 とりあえず、何が出来るのかわからない。

今日から取り込み中なこと(2022/05/27)

すいません。 今日の更新はお休みさせていただきます。 明日、改めて投稿させていただきます。 ぼくは元気です。 課題の締切や文学フリマの締切に追われているだけです。 大丈夫です。 それでは。

与えられたものに勇気をもらうこと(2022/05/29)

今日は文学フリマ東京だった。 あんまり、積極的ではなかった。 いつものような流作業という感じでやっていた。 蓋を開けてみたら、他人の芝は青いというか、他人の書いた文章に影響を受けたというか、今まで専門書を読んでいたので、小説を読むことが少なかったのもあり、人が買ってきた同人誌を読ませてもらうと、もろに影響を受けてしまい、「この本どこで売ってたの、ぼくも買ってくる」と言って買ってくるのを何回かしていた。 なんか自分の中の小説という器が空っぽなのか、そこに水が注がれていくよう

幸せの笛が鳴り響きぼくは悲しいふりをすること(2022/05/30)

読書というのは大きいもので、人に安らぎを与えるものだ。 不安定な気持ちを忘れさせてくれる。 それがアマチュアの書いた文章であっても、 それがプロの作家の真似であっても、 元ネタがわからなくても、 真似してみたいと思ってしまう。 やる気を奮起させてくれるだけのものはあるので、 やったら楽しそうだと思うが、 今の自分の文章力と理解力がそこまで追いつくのかわからない。 考えていることは他にもあるし読まなければならない本はたくさんある。 自分の中で色々と吟味しなければならないが、

会話をすること(2022/05/26)

心配だから、わざわざ休みのところを出向いて弁解というか、昨日話した意味は、こうだったと言い訳をしに行った。 これがなにを意味するわからない。 でも、自分は革命戦士になりたかったわけではないことを言いに行った。 それと現状を伝えに言った。 ぼくは電話では伝わらないと思い、わざわざ直接会いに行った。 もしかしたら、墓穴を掘る結果になったかもしれないけれども、それでもいいから、自分の不安と思っていることを言いに行きたい衝動に駆られた。 月のカードは不安の象徴だ。 まさ

こんな解釈があったこと(2022/05/25)

ふと調べごとしていて、 「花に嵐もたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」 と井伏鱒二が言っていたなと思っていだなぁ〜と思い出した。 そしたら、自分の好きな劇作家の寺山修司が、こう言い換えました。 「さよならだけが人生ならば、またくる春はなんだろう」 なんかゾワっとするような、切ないように感じる。 ただそれだけなのだが、なんかビビッと来たから短くネタにさしてもらった。 もっと深掘りしたいのだけれど、今日はこれまで。