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そもそも、「死」は「怖い」「避けたい」ものなのか?

先日、夜間動物病院というのを初めて体験した。推定13〜14歳の我が家の愛犬、「朝には息を引き取るかも」と言われ連れ帰った。
翌日は昏睡状態で呼吸も安定しなかったので、出来る限り隣にいて、最期になる事を覚悟して、これまでの思い出話やら詫びやら、話しかけていた。葛の糸づくりは、そんな時の精神状態を健全に保ってくれるようで、とても有り難かった。
ところが翌朝、モソモソ動き出し、水をガブ飲み、自分で立って歩いて、オシッコもウンチもした。以来一週間。食は細くなる一方だけど、生きている。

この、文字通りの「余生」は、犬が飼い主の私達にくれたプレゼントのように感じている。
一度死を覚悟すると、これまで頑張っていたアレやコレやは案外とどうでも良いことで、お互いにそれがとてもストレスだったかもしれないことが、見えてくる。もっと穏やかに過ごせたはずなのに、なぜ、出来なかった?そうした、今までの全ての反省を、ここで挽回させてもらってる、これまで一緒に過ごした時を思い出しながら。そういう時間を与えてくれた、そんな気持ち。

しかし確実に「その時」は近づいているのだろう、私に何ができるだろうと悩む毎日でもある。今回は犬だけど、「ヒト」にも同じ事が言える訳で。犬を看取るのは2度目なので、1度目よりは落ち着いていられるが、湧いてくる問いは変わらずだ。

「病」をどう捉え、どう扱うのか
「治療」とは何なのか
どのように看取るのか、または、看取られたいのか
そもそも、「死」は「怖い」「避けたい」ものなのか?

お別れはもちろん寂しいけど、愛犬の様子を見ていると、死そのものは忌まわしいものなどではなく、むしろお祝いしたい気持ちになってくる

何しろ、多分必死で生き抜いた、人生(犬生)の華々しいラストなのだから


【雪草乃記 vol.22】2022.11.12
・だいたい毎週土曜日配信・

カバー写真は、blanc 八寸帯地 葛布

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