自由への過程

夕方、学校から帰ると制服も着替えず大急ぎでキッチンへ。今日も祖母の晩御飯にお弁当を作る。

祖母は先日、病院内で気を失い倒れているところを発見されたらしい。骨折したり体のあちこちを痛めたようだけど、その後も一日も休まず、重度心身障碍者の娘のためにせっせと病院に通っている。入院している人は私の伯母に当たり、ずっと祖母が家で介護をしてきた。彼女は、私が中学2年の時急激に弱りとうとう先日から入院することになったのだ。

家での介護でさえ大変なのに、今は病院に通って付きっ切りで介護する日々。きっと、体は限界を迎えているだろう。祖母のために栄養があるものを、と思って冷蔵庫をひっかきまわしたけど卵しかない。仕方なく2つ卵を割り大きな卵焼きを作り、白ご飯と卵焼きを弁当箱に詰める。立ち上がる湯気のせいで、最近ますますきつくなっている息苦しさがより一層増してくる。

キッチン脇に帰宅した祖父が見えた。伯母が入院してからというもの、祖父はお酒の量が増え、家族に怒鳴るようになった。おぼつかない歩き方を見る限り今日も飲んで帰ってきたのであろう。帰ってきた彼とは出来るだけ目を合わさないようにして、お弁当作りに集中する。母は仕事でおらず、祖母は今、祖母の病室にいる。私がしっかりしないと、と、毎日自分を鼓舞しながら暮らしてた。しかし、いくら頑張っても伯母の体調は良くならず、終わりのない介護に祖母は疲れ切っていた。母、祖母、妹、祖父、家族は皆げっそりした顔をして、彼らの顔は私の中に罪悪感を蓄積させた。ごめんなさい、うまくできなくて。私のせいで皆がしんどくなって、ごめんなさい。祖母へのお弁当作りは、旧約聖書に出てくる贖いの儀式でもあった。


ある日、部活の顧問の先生が心配した面持ちで声をかけてきた。
「長谷川さん、最近痩せてない?首のあたりがすっごく細くなってる・・・」
「いえ、大丈夫です。元気なので」

実は最近ごはんがうまく入らなくなっていていた。どうも自分でも気づかないうちに痩せたらしいのだけど、私は彼女の言葉がすごくうれしかった。「痩せた」というのは当時の私にとって誉め言葉だったから。

「足もそんなに細くないのにスカートを短くして」といういじめっ子の言葉。
「〇〇さん、そんなに食べたら太るで」と調理実習で先生に言われた言葉。
それに当時付き合っていた彼氏は私よりずっと細い子と浮気してた。

その時から痩せれば友人、先生、恋人との関係、きっと全てがうまくいくに違いないと感じ「痩せること」が生きる目標になっていった。ご飯をスケーラーで図っていつもの半分以下にしたり、水やお茶も制限し始めた。家でも学校でも緊張していた私は、体重計に乗り、目盛りが前日より少ない数値を示す瞬間だけが安堵できる瞬間だった。友人が度たび「やせたね」と言ってくれることが嬉しくて、私の痩せはどんどんエスカレートしていき、一気に30㎏代まで減量した。もうそのころは骨と皮だけでとても綺麗とは言い難く、痩せた私に心配の声をかける友人も現れた。家族は何としてでも食事をとらせようとしていたのだけど、私は自分で決めたスズメの涙ほどの量を食べ終わると自室にこもる生活を続けていた。「なんでそんなに食べないの!?」、「もっと食べなさい!!」、という母や祖母の言葉はより一層私の体を硬直させる。そのたび私はまるでハンストを行うかのごとく口を一文字に閉じ、食べない意思を更に固くするのだった。

私は痩せることに集中してたら罪悪感から逃れられるということに気づきだした。それに体重だけが、このどうにもならない環境で私がコントロールできる唯一のものだった。もはや途中からは、最初の頃とは痩せる目標がすり替わっていたのだ。もっと痩せろ、もっと痩せろと自分に鞭打ちながら、いつの間にか終わりのないマラソンレースを走っていた。もう疲れた、止めたい、でも止めたら体重が追いかけてくる、罪悪感も積もりだす。後ろを振り向いてはいけない、ただひたすらご飯を減らすこと、沢山体を動かすこと、体重計に一日3回に乗ることなどなど沢山ノルマを課しながら、ひたすら走って走って、走りまくって、ああ、早く長い眠りについてしまいたいとヒンヤリした絨毯に体に横たえた時も、罪悪感と体重が私を飲みそうになったから大急ぎで飛び起きた!さらに加速した私は、もう絶対休まないと心に誓って、水もちょっぴりしか取らないようにして、動いて動いて、もっともっと走って!!!

ついに母は私を病院に連れて行った。

その日、「もうこのままでは死にますよ」という医師の言葉で私は入院した。


今思えばあの時、私は他人に体を乗っ取られてた。もともと家で家族の顔色ばかり窺うのが得意だった私は、いつの間にか私に代わって他人が私を操作して、「私」は「他人から見た私」にどんどん浸食されて痩せが加速していった。友人の心配する声に、実は途中から瘦せすぎているのではないかと薄々気づいていたのだが、痩せることに集中しとけば罪悪感を感じなくて済むと気づき、家族からの「もっと食べなさい!」という激高した声に抗うかのように体重を減らし続けた。痩せるということは、私にとってどうにもならない日々の抵抗の一種でもあったのだ。


今はもう拒食症ではないけど、やっぱり体重が気になってしまって、体重計の目盛りで一喜一憂する自分がいる。メイクをしている時も、はたと手が止まり、これは私のためのメイクなのか、他人のためにしているメイクなのかと考え込んでしまう。私は今も「私」と「他人から見た私」の境界線の狭間で揺れ動き続けている。

8月からフェルデンクライスメソッドを始めて、内側から自分が変わっていくのがわかる。同時に私を縛っていた「どう見られるか気にする私」や、「罪悪感を感じる私」がまるで玉ねぎの皮を剥がしていくように剥がれていくのを感じる。体の内側の深部で対話して、本当に自由で何のしがらみのない「私」が現れる過程ではないか。

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