自己紹介――OASIS再結成
2024年8月27日
28歳
僕は28歳のサラリーマンだ。
趣味はスポーツ観戦、ゲーム、そして音楽。
音楽の趣味が高じて、今はクジラサウンズという名義で音楽活動をしている。
このnoteが今後どういうものになるかは分からないけれど、
少なくとも音楽、とりわけ歌詞について書いていくつもりだ。
音楽を好きになった時から、僕は歌詞に注目して音楽を聴いていた。
この記事では、自己紹介として、僕が音楽を好きになったきっかけ(それは同時に「歌詞」というものを好きになったきっかけでもある)である、OASISについて書く。
いわゆる「自分語り」に属するような内容だけれども、次回からはもう少し歌詞そのものにフォーカスするつもりなので、許してほしい。
その前に、一つだけ冒頭の一文に補足をする。
正確には、僕は、今日(2024年8月27日)28歳になったサラリーマンだ。
27 Club
音楽、とりわけ洋楽が好きな人間であれば、一度は27 Clubの存在を耳にしたことがあるんじゃないかと思う。
27 Clubは『27歳で死んだ伝説的なミュージシャンたち』のリストのことで、ブライアン・ジョーンズやジミ・ヘンドリクス、カート・コバーンなんかがこの27 Clubの一員として知られる。
転じて、『伝説的なミュージシャン』は27歳で死ぬというような文脈で引き合いに出されることも多く、例えばお笑い芸人空気階段のコント27歳では、27歳で死ぬことができず、「伝説にはなれなかった」と悔やむロックミュージシャンの姿が描かれている。
そんなわけで、今日は僕がミュージシャンとして『伝説になり損ねた日』なのである。
数年前から、僕は自分がもし28歳になったとしたら、どんなみじめな気持ちになるのかと、暗澹たる気分になることが少なくなかった。
ところが、実際にその日を迎えた今日、僕の気持ちはそれとは全く異なる方向に向いていた。
意味深なポスト
昨日の通勤中に、このポストを見た。(ポスト、というのは未だに慣れない)
それは、15年前に不仲で解散したOASISの公式Xによる「'24年8月27日に何かしらの大きな発表がある」ことを匂わせるポストだった。
その日は一日、仕事が手につかなかった。
OASISはそのぐらい、僕にとって重要なバンドだった。
彼らは僕に音楽を与えてくれた存在であり、与えてしまった存在でもあった。
良くも悪くも、僕の半生は彼らに大きく影響を受けたといって過言ではない。
皆が半信半疑であった。
ここまで壮大な「匂わせ」をするからには、期待されるニュースは再結成以外にはない。
だからと言ってそんな簡単には信じられない。
彼らは15年間、お互いを罵り続けてきた。
まさか彼らが再結成するだなんて、到底信じられることではなかった。
そして今日
皆の不安をあざ笑うかのように、今日OASISは再結成を発表した。
OASISとは
最も偉大なロックバンド
ここで少し、OASISの紹介をしたい。
OASISは、1991年にイギリスのマンチェスターで結成した、最も偉大なロックバンドである。(当然のことながら筆者の私見が多分に含まれている)
彼らが活躍した頃のイギリス情勢に詳しいわけではないが、当時のイギリスは長きにわたる保守政権の影響で、労働者階級の人々は相当な苦しみを味わっていたという。
そんな中で、まさにマンチェスターの工場出身の彼らは、ジャージやモッズコートといった労働者階級の服を着て、明るく、単純な曲を奏でた。
閉塞感のある世の中にあって、彼らの存在がいかにセンセーショナルだったかは、想像に難くない。
このバンドの核は何といってもリードギター担当で多くの楽曲で作曲を務めたノエル・ギャラガー(兄)とボーカルのリアム・ギャラガー(弟)のギャラガー兄弟だろう。
彼らはことあるごとに諍いながらも、歴史に残る名コンビであった。
ノエルの曲は、リアムのボーカルでこそ輝いた。
リアムの声は、ノエルの曲でこそ輝いた。
ギャラガー伝説
ギャラガー兄弟は、その素行の悪さで悪名高い。
余談交じりに、それを端的に示す彼らの発言をいくつか載せていく。
(裏どりまではできていない。真偽不明だが、何十年もずっと伝説として残っているような発言だらけである。
こういう歯に衣着せぬスタンスが、彼らの人気に一役買っていたことは言うまでもない。
一方で、こういう大人になれない部分が、彼らを不仲からの解散に追い込み、そして15年間の深い溝を落とすことになった。
2009年8月28日
ニュース
その日、中学生だった僕は、夏休み期間だった。
だらだらとインターネットサーフィン(死語なのかしら)をしていると、『OASIS、ギャラガー兄弟の不仲で解散』のニュースが眼前に飛び込んできた。
当時の僕は、Greeeenなんかを好んで聞いていた。
いわゆる"ロックミュージシャン"には、『乱暴で礼儀知らずでドラッグみたいな馬鹿なことしている最悪な連中』という悪い印象しか持っていなかった。
だからそのニュースが飛び込んできたときも、「馬鹿な連中が兄弟喧嘩で解散か」ぐらいにしか思わなかった。(ギャラガー兄弟が、上に書いたような粗暴な連中だというのはなんとなく知っていた)
そのあとの僕の行動は、言葉ではどうにも説明のしようがない。
気づくと僕は、彼らの代表曲である"Don't Look Back in Anger"をYoutubeで再生しており、あまつさえ涙をこぼしていた。
Don't Look Back in Anger
聞いてもらえればわかるのだが、この曲は決して粗暴なだけの人間に書けるようなものではない。
『乱暴で礼儀知らずでドラッグみたいな馬鹿なことしている最悪な連中』という若かりし頃の僕の偏見は、図らずもギャラガー兄弟のことをほぼほぼ完全に言い当てていたが、『最悪な連中』というところだけは誤っていたようだった。
優しくて、美しいメロディだった。そしてそれを、観衆が大合唱で迎えていた。観衆の連中は決して粗暴な連中ではなさそうであった。毎日を懸命に暮らしている人間に見えた。
そして何よりも歌詞に衝撃を受けた。
ロックバンドの歌詞というものが、これほどまでに優しいものだと、当時の僕は思っていなかった。
歌詞の内容については、いつかまた書くことがあるだろうからここでは深く言及しない。
ただ、とりわけ胸を惹いたのはタイトルにもなっているサビの部分だ。
なんとも中傷的な歌詞だが、少なくともこの歌が暴力的な怒りを否定していることは分かった。
僕の偏見の中には「怒り」を否定するロックバンドというものはなかった。
この歌詞を見た時の衝撃はとても忘れられるものではない。
その日からというもの、僕は洋楽を聴きあさり、ギターを弾き、自分で曲を作る少年になったのである。
それから今日まで
当時の僕
当時の僕は、控えめに言ってタフなシチュエーションに置かれていた。
いろんな事情で、親とは最悪に仲が悪かった。
今も悪い。
私に親の話を振った人間は皆、1分後には苦笑いと共に後悔の感情を隠せなくなっているほどだ。
学校にも友達はいなかった。
というか、僕が、僕自身の混乱のために周りにいる人全員を傷つけていたんだと思う。
ハッキリ言って僕は死にたかった。
OASISの影響でロック少年になった僕は、さまざまな音楽に触れ、その過程で伝説的なロックミュージシャンになることを志すようになった。
その中で、27 Clubの存在も知った。僕は27で死にたいと思った。
それは当時の僕にとっては27までは生きるという意味に他ならなかった。
15年後
15年後、僕は28歳になった。
今ではもう、死にたいと思うことはそんなに多くなくなった。
それでも27歳での死というのはずっと頭にこびりついていた。
そんな中での、28歳の誕生日のOASIS再結成。
15年前に始まった(極めて個人的な)物語の終わりとしてはあまりにもドラマチックだった。
彼らがかつての諍いに折り合いをつけて、50歳を超えて新しい物語を紡ごうとしている。
僕も28歳になっても、自分なりに音楽を続けていいのかもしれない。
そして、僕はまだ、自分の過去に折り合いをつけ切れていない。
だけどいつか、怒りに任せず、自分の過去を振り返ることができる日が来るのかもしれない。
ちょっとした宣伝
僕がこれまでに発表した曲は、以下で聞ける。
もしよかったら聞いてみてほしい。
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