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はじめまして、鯨井です。

はじめまして、アラサーニートの鯨井うしお(くじらい)と申します。
現在うつ病の治療中で、これから就活に力を入れていくために活動中です。
23歳でうつを発症し、その1〜2年後には軽度ではありますがASD(自閉症スペクトラム)の傾向も発見されました。
現在はバイトや契約社員としての経歴を経て、体調を崩し無職になり療養中、といった感じです。

就活を始めるにあたり、自分を見つめ直す、という意味で、これから自身の病気や障碍について思考や理解を深めるために、日記のような形で色々なことを綴っていこうと思います。
ひとまず、「うつ病発症から入院が決まるまで」についてまとめます。
今、私と同じように精神疾患や障碍(この言葉は好きではないので、本当は別の呼び方をしたい)に苦しんだり、悩んだりしている方の何かの糧になれば幸いです。

まず、自分自身の経歴について、改めて振り返っていきたいと思います。

大学までストレートで進学し、新卒で中小企業に就職した私は、接客・販売職に就きました。
この職種を選んだ理由は単純で、「それ以外のバイト経験が皆無だったから」です。
本当は事務職に就きたかったのですが、PCを扱うのもそんなに得意ではなかったため、最初から諦めていました。

販売していたのは、いわゆるハイブランドと呼ばれる類いの価格帯のもの。
ですから、当然会話術が必要になってきます。
商品の価値を納得させるためのものはもちろん、ハイブランドと言うのは商品が決まってから会計・梱包・モノによってはサイズ調整など、お渡しまで時間がかかるものです。
その間、待っているお客さんを退屈させないために、ひたすら会話を続ける必要があります。(これが本当に大変でした…)

今思えば、この時点で私の選択は「私の将来」と言う点において大間違いを犯しており、当時の私はそのことにまったく気づいていませんでした。

端的に言うと、私にとって「接客業は超・不向き」だったのです。

私は、幼い頃からとてつもない人見知りでした。
知らない人の顔を見ては泣き、自分から声をかけることも苦手で、簡単な会話を続けることもままならないような人間でした。
小学校低学年の頃は、ADHD(多動性注意欠陥障碍)の気もありましたし、注意欠陥に関しては未だ健在です。
大学に入りレジ打ちのバイトを始めて人見知りは多少は改善されましたが、それでも「知らない人と長時間の会話を強いられる」のは、私にとってはとてつもないストレスでした。

しかも、私が配属されたのは新宿にある人の出入りが最も激しい激戦区。
必然的にマルチタスクを要求されます。
この頃はまだわかっていませんでしたが、ASDの傾向があった私はマルチタスクが苦手で、作業中に声をかけられて別の仕事を振られると前にしていた作業をすっかり忘れて休憩に入り、呼び戻されてお叱りを受けたり、といったことがままありました。
一年経つ前には一人前になってほしい、そんな先輩方の思いもあったのだと思いますし、コミュニケーションをうまく取れず、距離感を間違えた私の先輩方への接し方に問題もあり、人間関係がうまく行かない、満足に仕事もできない、また途中で変わった上司の一人とそりが合わず顔を合わせるのが辛いなど、毎日毎日、小さなストレスが着実に降り積もっていきました。
入社一年目の10月頃には、睡眠障碍や食欲不振が起き始めており、元々悪かった寝つきがさらに悪くなったり、今までは完食できていた朝食も半分程度に減り、昼食に至っては「職場では食欲が一切わかない」状態に陥っていきました。

そんな中、決定的だったのは私が電話対応をしたお客さん(しかもそこそこのVIPでした)を怒らせてしまい、クレームになってしまったことでした。
それを機に店長から「しばらく電話は取らなくていい」と宣告され、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃があったのを、今でもはっきり覚えています。
その場は冷静に返事をしていましたが、店頭に戻った瞬間貧血を起こし立っていられなくなり、先輩に付き添ってもらってトイレまでいきました。
吐き気がひどく苦しい、でも吐けるものもなくただ胃液だけが流れていっていたような気がします。
(正直、この頃の記憶はとてもあいまいで、こんな感じだったかな?程度しか覚えていません)
この頃の私は、ほとんど、退勤後家に帰ると用意されている母が作ってくれた夕飯で栄養を摂っていました。

上記の出来事がいつ頃だったのか、今となってはまったく思い出すことができません。
はじめて病院に罹ったときや病院を移るたび、また何か書類を書くたびに説明が必要だったので衝撃的な内容として記憶に残っているだけで、本当に思い出せないのです。
ただ、このことがきっかけで、ただでさえ億劫だった出勤がさらに嫌なものになったのは事実でした。

それからどのくらい後だったかは覚えていませんが(翌日だったような気もするし、数日後だった気もします)、出勤のために朝食を食べようとしたとき、口に含んだものを飲み込めなくなっていました。
口に入れるのも辛いし、咀嚼している時も飲み込む時も、胃が食べ物を拒絶しているように押し戻されるような感覚があり、水すら飲めない状態でした。
さらに、下半身がまったく動かなくなってしまい、もはや出勤どころの状態ではなくなっていました。

当然、その日は仕事を休みました。
近所にすぐ診察が受けられる心療内科があったため当日中に受診。
しかし、その病院の先生とは絶望的に相性が悪く、「あなたは発達障害だから、仕事に関してなにか対策を打ったほうがいい」と言われました。
正直、それについては自分でも薄々「そうなのではないか」と疑っていたため納得はできました。
ですが本当に最悪なことに、この先生とはうまく会話が噛み合わず、症状が改善されることもなく、悩みを話しても見当違いの回答ばかり。
短い期間で2〜3回ほど受診しましたが「ここではダメだ」と確信。

とにかく話を聞いてもらって食事はできるようにはなりましたが調子が良くなるようなことはまったくなく、ひとまず精神科のある大きな病院に紹介状を書いてもらい、そちらにすぐに連絡しました。
予約が取れるのは一ヶ月後になると言うので、その間ずっと出勤できない自分との戦いでした。

身支度を整えるまではできるのに、家を出ようとすると涙が止まらなくなり母親に止められ欠勤。
駅までは行けるのに、いざホームに停まった電車の出入り口を前にすると足が動かなくなり、泣きながら家にトンボ帰り。
よしんば出勤できても、勤務中に泣き出してしまい午前中で帰されたり。
(私には合わなかったものが多かっただけで、職場そのものはとてもホワイトな企業でした)

本社の方とも連絡を取り合って、休職を勧められました。
最初のうちは必死に抗っていた記憶があります。
家の経済状況があまりよくないのもあり、「私が働けなくなったらこの家は終わりだ」と言うとても極端な思考になっていたためです。
しかし、一ヶ月が経ちようやく予約していた精神科を受診した際、外来の先生に衝撃的なことを言われました。

「あなたはうつ病だ。今すぐにでも入院したほうがいい」

うつ病。入院。今すぐにでも。
その言葉がいつまでも頭の中をぐるぐると巡っていました。
まさか自分が、うつ病になるなんて。
思いもしていなかったからです。

「家族に相談します」
ひとまず、その場はそう言って病院を出て、母が迎えに来てくれていた車に乗り、入院を勧められたことを話しました。

今更ですが、私は母と兄の三人家族です。
母は都の指定難病とパニック障碍を抱えており、兄は当時警備員の仕事をしていました。
父親との縁が完全に切れていた訳ではありませんが、基本的には三人で生活しており、今現在もそれは変わっていません。

精神疾患に多少なりとも造詣が深く理解のあった母は、入院の話をすると「そうしたほうがいい」とすぐに賛成してくれました。
念のため父親にも報告、家に帰って病院に連絡し、その週の週末には入院することが決まりました。
勤務先にもすぐに連絡しました。
入院期間がどのくらいになるかまだわからなかったため、ひとまず一ヶ月間の休職が決定。
入院生活が始まりました。
この辺りの展開は当時の私にはあまりにも怒涛で、今思い返すと一瞬で過ぎ去っていったような気がします。

さて、長くなってきたので、今回の記事はここで終了としたいと思います。
次回は「入院生活」と「うつ病に伴う身体症状」について詳しく書ければと思います。
ここまでお付き合いありがとうございました。

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