デグーの習性。習慣の話。
度々noteにも書いているが、僕はデグー2匹「さと」と「てと」と一緒に暮らしていた。(以下さてと)
3か月前にさとが亡くなってからというもの、てとの習性がガラッと変わったので些か驚いている。
それからは「デグーって実はすごく合理的な生き物なんじゃないか?」という考えがぽつぽつと浮かび上がってきたのでメモっておく事にした。
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そもそもデグーはねずみの仲間ではなく、どちらかというとモルモットやヤマアラシの仲間という分類の生き物。
食性にもそれは顕著に表れており、雑食性のねずみと違って牧草や穀物を食べる、うさぎの形をねずみにしたようなイメージである。
「アンデスの歌うねずみ」なんて言われるほど多彩な鳴き声で自分の感情を表す、アーティスティックな齧歯目だ。
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デグーと一緒に暮らすことにおいて、定石とされている「習性」がある。
・トイレの場所は覚えない
・生後時間が経つほど人に慣れなくなる(懐かない)
・身体を綺麗にする手段は砂浴び
・前歯は齧ることによって歯を削り、臼歯は牧草をすりつぶすことによって削る
・知能が高く人とコミュニケーションがとれる
など。
確かにこれらの事はデグーの習性と言っても差し支えないだろう。
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年末に大掃除に伴う部屋の模様替えを敢行した結果、ケージを窓際に置く事になった。
低体温症が心配だったので、従来使用していたパネルヒーターに加え温熱電球とタオルハンカチを導入し、電球の前で固まっている2匹に頬が緩んだのは記憶に新しい。
それから2か月程経ち、てとは初めて1匹で冬を越えることとなった。
いつもは2匹で固まって寝ていたので、それはそれは寒いだろうなと思って24時間暖房体制の中でてとを見ていた。
てとはタオルハンカチをいたく気に入ったらしく、くわえて走り回ってはその上で寝転がったりする始末。かわいいなあ。
更に3か月が経った。タオルハンカチは交換を重ね、既に4代目。
そして毎春恒例の換毛期の時期が到来していた。
換毛期になると、さてとの抜け毛だけでもう1匹デグーができるんじゃないかというくらいの抜け毛の嵐。
この時期にタオルハンカチが入っていたことは初めてのてとだったが、自分の毛とはいえ、それがびっしりついたハンカチに若干ヒいていたような気もする。
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無事に換毛期を終え、タオルハンカチも5代目になった。
うちのかわいいかわいいてとが寝てる様子を見て欲しい。
↑目開いているけど寝てる。なんだこいつ。めちゃめちゃかわいいな。
電球の前のパネルヒーターの上にタオルハンカチを折って、その上に転がる。パネルてとのベッドメイクはいつもこうだ。
前回の掃除から1週間程経っているが、ここで全く汚れていないパネルヒーターに注目して欲しい。
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てととタオルハンカチが出会う前までは定石に漏れず、パネルヒーターの上だろうと巣穴の中だろうと思い立った時その場所で用を足していたてと。
ヒーターが汚れていないことから、もしかして、とは思っていたがつい先日その姿を確認して確信に変わった。こいつ、同居6年目にしてトイレの位置覚えた・・・。
それまでの常識が覆った瞬間である。
その他にもてとが1匹で過ごすようになってから変わった事。
・「歌うねずみ」があまり歌わなくなったこと。
→びっくりした時や怒っている時は思わず声が出る事はあるが、さとと暮らしていた時と比べてそのバリエーションは格段に減った。
・牧草をしっかり食べるようになったこと。
→好物のえん麦やペレットを取られるのではないかという懸念からいつもは仲が良いのに修羅のごとく争っていたさてと。ゆっくり食べられるようになったからペレットは後回しにしているように思う。
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これらの事からデグーはすごく合理的な生き物だと僕は思った。
「それ」を必要としない時はしないし、「それ」が必要なら定石を打ち破る。
そう言ってしまうとどんな生き物も同じのような気もしてしまうのだが、「お気に入りのハンカチを汚したくないがために、それまでの生活を一変させる」という行動力には特に衝撃をうけた。
生理現象ぞ?
以前読んだアトミックハビッツ(最小習慣)では、習慣を「反復しているうちに思考しなくても同じように出来るようになる事」と定義していた事が非常に印象に残っている。
定石の言葉を借りるならデグーは知能が高い生き物だ。
汚さないためにはどうするべきか、考えて反復する事にしたのか。
どのタイミングで汚さなくすることに成功したのか。
必要があればまた色んな声を聴かせてくれるのか。
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歌う事をしなくなった小さな哲学者はその答えを教えてくれないが、夜通しゲームをして眠い目を擦りながらこれを書いている僕は、習性をも凌駕する「好き」の力を見習わなければならない。
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