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脳内ブラタモリ1 古入間川をまとめる

脳内ブラタモリ 古入間川をまとめる

本来現地や図書館で一次情報に触れるべきだがネット上での話を
自分の理解の為にまとめてみる。
(間違ってるかもしれない、が何度も考え直しするのが脳内ブラタモリの面白さ。)


昔々、荒川と入間川を混ぜたような古入間川が埼玉の大宮台地に沿って曲がりくねり東西を渡り江戸川の方まで流れていたという、(約2000年前)

その後川の水が 元荒川の方へ流出し、旧入間川自体は廃れてゆく。
ただ増水すると旧入間川に流れ込んだりするので締切堤防(16世紀中ほど:伊奈忠次)が築かれたりして
入間川(現荒川へと)水量が人為的に流れが変えられる。


さらに江戸時代に元荒川の河道を締め切り(久下村地先・熊谷市)、元荒川から入間川に水を流し(荒川の西移動)現在の荒川に近くなり川の水も多くなったので船ルートが発展し江戸時代の流通を支える動脈となる。

それでも古入間川あたりは沼地や小河川が混とんとしており、中小河川が整備され(鴨川、芝川、他排水路)荒川への支流になる。


まとめてしまえば短いが、重機やGPSなどのない時代に手作業での土地、河川改良などすごいこと。手計算でどうやって測量して水を流し込んだのだろうか。。


荒川の流量が増えた分東京湾付近では、氾濫がひどく、埼玉県川口から荒川放水路(現荒川)という巨大運河をつくる明治時代。



May the Force be with you.