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システム関連のトラブルは供養が必要

弊社ごとではあるのですが、今期は大きめのトラブルが何回か発生してまして。その度に報告や相談が来るのですが、その際に毎回伝えていることをnoteにまとめようと思った次第。

本題に入る前に、タイトルに「供養」と書いたものの(普段から供養が必要って表現を使っているからなんですが)、意味があってるのかコトバンクで検索してみたところ

② 法会(ほうえ)を営むこと、死者の冥福を祈って回向する追善、施餓鬼(せがき)などのこと。また、開眼(かいげん)供養、鐘供養、経供養などの仏教行事をいう。

とあったので、おそらく間違ってはいないんだろうと思うが、正しく学んできたわけではないので、使い方が間違っていたらすみません。
という前提で本題に。

弊社はITの色々な仕事をしているのですが、その中でお客様から依頼されたシステム開発や、システムの運用をしています。人が実施していることなので、システム開発であればプログラムミスがあったり、システム運用であれば手順を間違えたりと何かしらのミスによる「トラブル」が発生します。
当然、発生した「トラブル」の原因を追究して解決をはかったあとに、再発しないよう対策が実施されるのですが、あえてこの「トラブル」を人称扱いにすると、日々どこかで発生している「トラブル」は、勝手に人が無から生んだ産物です。そもそも世の中には「トラブル」は存在していなかったのです。それなのに発生させた張本人たちが思うのは

「トラブルさえ発生しなければ平和だったのに」

のようなことを思うわけです。それだけでなく、多くのパターンでは発生させた張本人の周囲(例えば上司や同僚)も同じ思いを持ちます。巻き込まれて原因追及のための時間を奪われたり、影響を受けた方々へのお詫びや報告等に時間を奪われて大変な思いをする可能性があるからです。
しかしながら、「トラブル」本人からすれば、勝手に無から生んでおいて生んだ親が恨み言を言うだけでなく、兎にも角にも不幸の塊として扱われることが多々です。

私はいつの日か、人が勝手に生んだ「トラブル」を恨む気持ちはわかるのですが、生んでしまった「トラブル」を”極楽浄土”や”冥途”にいかせてあげられなければ、何かしらの不幸がこの世に残る。と考えるようになり、結果としてどうすれば不幸が残らないのか=供養できるのか。の答えを自分なりに考えてみて実践するようになりました。
今回のnoteには自社の業務におけるトラブルの供養例を書いてみます。

1)迷惑をおかけしてしまった相手(お客様)が結果として幸せになる

何とも難しいお題のように思えるかもしれませんが、まず前提に迷惑をおかけしていることへのお詫びや解決といった当然の対応はすることが前提のうえで、その後、結果として幸せになることを考えています。
例えば、プログラムミスであればプログラムミスをした箇所だけでなく、テストが不足していた箇所や検証するデータが本番データと比較して甘かった場合に、お客様にも協力いただき本番データを投入して検証することで、プログラムミスが先に見つかって大惨事を未然に防げた。
他には、開発者が業務理解が浅かったが、今回の件で理解度が上昇し、結果としてその後の問合せに対しての回答時間が早まった、回答内容の精度が高くなった。とか。

2)トラブルを生んでしまった張本人や自社が結果として幸せになる

トラブルが解決するまでは「トラブル」への恨みつらみを抱えながらではあると思いますが、二度と同じことを起こすまいと原因の理解や未然に発生を防止する手段を身に着けたことで、未然に防止できるだけでなく、危機察知能力が向上した。より慎重に行動するようになった。
他には、そもそも誠意ある対応(お詫びと解決、報告など)でお客様からかえって信頼を勝ち得てしまった。とか。

3)時が経過してから両社ともに「あの時は大変だったけど、結果(トラブルが発生して)良かったね」と言える日が来る

最難関かもしれませんが、1)と2)の達成度合いによると思うんですよね。まるでお盆のお墓参りのような例えですが、思い返して感謝ができるってことは、よほどその後の成果となって表れない限り、難しいことです。
やはり1)と2)の達成度合いに手を抜いてしまうと3)に到達できないわけですが、そもそも上記の考えでなく、1)だけ追い求めても無理ですし、2)だけを追い求めていても到達できないと思います。
また、1)だけ追い求めればトラブルを生んでしまった張本人は「何で私はあの時にもっと確認をしなかったんだろう」といった恨みや悔やみといった不幸が残ってしまいますし、上司や同僚にも何かしらの不幸が残ってしまう可能性があります。
逆に2)だけ追い求めればお客様側に「あの会社に依頼するんじゃなかった」といった恨みや悔やみといった不幸が残ってしまうかもしれません。
そして、人が勝手に生んだ「トラブル」は誰かしらに恨まれ続け、”極楽浄土”や”冥途”にいくことが許されず、この世に残り続けることになります。
ですので、私に報告や相談が来た時には、上記を伝え、「可能な限りトラブルを供養する」ということを伝えるようにしています。

番外
どうしても過去の「トラブル」を供養したいのであれば、RPA Communityの供養支部のイベントでLightning Talk(通称LT)をすることで、供養していただけると思います。

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