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ドイツ語のススメ -経験的外国語学習法

小澤 幸夫 教授

僕がドイツ語を学び始めたのは高校2年の春だった。といっても学校でドイツ語の授業があったわけではない。テレビのドイツ語講座でである。

物事は最初が肝腎なので、そもそもなぜ僕がドイツ語を学ぼうと思ったかをここで書いておこう。僕が物心付いた昭和30年代の始めは、ようやくテレビが出始めた頃でラジオや新聞が主なニュースソースだった。小学校に上がる前で字も読めなかった僕でも、毎日新聞の第一面に同じ人の写真が載っているのに気が付いた。母に尋ねると首相の岸信介だという。政治家は、皆の役にたつ偉い人だと教わったので、それからは近所の大人たちに「大きくなったら何になるの」と訊かれるたびに「総理大臣」と答えていた。

そのうちに政治家というのは悪いこともするのだということが分かり、政治家になる夢は捨てた。小学校の三年か四年の時にシュヴァイツァーや野口英世の伝記を読んで、これこそが世のために役にたつ仕事だと思い、医者になろうと決めた。この希望は中学生になっても変わらず、高校に入っても持続していたが、対数の勉強をする高校一年頃から数学が苦手になってしまい、それとともに学校の授業全般に興味が持てなくなってきた。けれども医者になろうという夢は捨てていなかったので、テレビでドイツ語の独習を始めたわけである。当時はまだ医者はドイツ語が出来なくてはいけないという考えが一般的だった。ドイツ語を始めたのにはさらにもう一つの理由があった。中学校の頃従兄がプレゼントしてくれたシューベルトの歌曲を聴いて、ドイツ語の響きの美しさに惹かれていたのである。

学校の授業と関係なく自習する語学は楽しかった。当時テレビで放送されていた外国語講座は英独仏中西露だったと思うが、ドイツ語の他にフランス語や中国語も見てみた。だがいずれも発音が難しそうなのでやめてしまった。その後大学に入ってからは授業でドイツ語以外にフランス語も履修したが、これは今でもよかったと思っている。

さて当時のNHK教育TVでは、イタリア語やハングルはなかったが、その代わりドイツ語やフランス語には1回30分で週3回の時間が割り当てられていた。週2回は基礎編、1回は応用編である。僕が最初に見たのは偶然応用編で、歯医者での会話だった。キーセンテンスは“Sind Sie angemeldet?”“ Nein,ich bin 
nicht angemeldet.”(予約はしてありますか?いいえしていません。)というものだった。文法的に説明すれば分離動詞を用いた状態受動というかなり高度な文章なのだが、不思議と今でも覚えている。だが2回目、3回目の授業で何を学習したかをすっかり忘れてしまったところを見ると、最初に出会ったものはそれだけ印象が強いということなのであろう。この頃またヘッセやハイネなどを翻訳で読むようになり、“Ich  liebe dich!”などというのが所々原文で出てくると嬉しくなって、ますますドイツ語の勉強に身が入った。

さて高校生活もいよいよ三年になり、文系と理系のクラスに分かれることになった。数学だけでなく物理も苦手だった僕は、そのころになると医学部進学は無理だと考えるようになり,結局文系を選んだ。専攻は国文学にしようか独文学にしようか迷ったが、結局ドイツ文学に決めた。自分でドイツ語を勉強するのは限度があると考えたからだった。

教養課程を一年で終えると,早速専門の勉強に入った。小さな学科だったので同じ学年で独文専攻を選んだ者はたった三名、四年生まで一緒に学ぶ演習はかなりきつく、辞書を引くのが嫌になった。先生に向かって、「新しい単語を詰め込む度に、僕の中にある貴重な文芸性が一つ一つ音を立てて崩れていく気がします」などと生意気なことを言ったが、先生は怒りもせず、「単語が増えればそのうち本当の面白さが分かってくる」と笑っていた。

運のいいことにこの年からネイティブの先生が赴任され、直にドイツ語の発音にふれることができた。授業は書き取りが中心だったが、耳を鍛えるいい訓練になった。

大学三年の夏休み、かねてからの夢だったヨーロッパに行くことにした。このために中学生の頃からお年玉などを貯めていたのだった。それでも足りないところは親が援助してくれたが、一人で行くのには反対だった。当時はまだヨーロッパに行く人もそれほど多くはなかったからだった。哲学専攻の友人を説得し、結局二人で行くことになったが、最初のフランスの一週間と、最後のドイツの一週間を除く、ザルツブルク大学での語学講習の三週間は別々に行動することにした。これは結果的にとても良かった。お互いがお互いを頼らず、自分の責任で行動したからである。

ザルツブルクの講習会は各担任による総合的な授業の他、LLを使った発音矯正の時間、独作文の時間、歌の時間と盛り沢山だった。歌の時間は、レベルに関係なく皆で楽しめたので好評だった。またエクスカージョンにザルツブルク近郊を訪ねる日帰り旅行の他、週末を利用してウィーンに行くものもあり、オーストリアの主な観光名所を回ることができた。また仲良くなった各国から来たクラスメート達と一緒にキームゼーに泳ぎにいったのもよい思い出である。ここで学んだことは、とにかく自分から積極的に人に話しかけるということだった。例えば駅での会話や、レストランでの会話のように、状況が設定されている場合、言葉が半分通じれば、意思はほとんど伝わる。言葉が三分の一通じれば、意思は半分くらいは伝わる。状況がない場合は、想像力を働かせ何とか切り抜ける。こちらが伝えたいという意志を持っていれば、相手は時間を取って理解しようと努めてくれるということだった。そして発音が大切であることも改めて感じた。

南仏では休暇中のドイツ人一家と知り合いになった。ご主人はマインツ大学の図書館に勤めているというので、講習会の後マインツまで訪ねていったら、とても歓待してくれ三日もお世話になった。その間娘さんが勤めている幼稚園にも遊びに行き、日本の歌を歌ったり、折り紙を折って見せた。子供たちはまるで火星人が来たかのようにびっくりしていたとのことである。

「アルト・ハイデルベルク」でおなじみの大学都市ハイデルベルクの本屋では以前から親しんでいたヘッセの全集を買い、日本に送ってもらった。翌年卒論を書く段になり、他の作家にしようと思ったのだが、その作家の本が夏休みに入っても届かないのでヘッセにした。作品は「デーミアン」を選んだが、その理由の一つはマインツの友人がこの作品のポケット版をプレゼントしてくれたからだった。ヘッセとの付き合いは今でも続き、「デーミアン」についても何度か論文を書いているので,この時の出会いはその意味でも貴重なものとなった。

さて、まだまだ書きたいことは山ほどあるのだが、紙数も限られているので、外国語学習の話に戻ろう。言うまでもなく外国語を学習するにはその国に行くのが一番である。しかも若ければ若いほどよい。けれども誰にでもそれが可能なわけではない。次善策としてはテレビや映画の活用である。ただABCも分からずにテレビや映画を観ていてもそれほど能率的とは言えないので、まずはNHKテレビの語学講座を観ることを勧める。残念なことに最近では、英語以外の外国語講座の番組は週に一回しか放映されなくなったので、これだけで外国語をマスターするというわけにはいかないが、一回30分という限られた時間でいろいろ工夫を凝らして作られているので、退屈しないで学ぶことが出来る。またラジオは20分であるが、月から土まで毎日放送しているので、欠かさず3年間も続ければ、旅行会話などは難なくできるようになる。要はやるかやらないかである。その際モティヴェーションが大切なのは言うまでもない。

以上のようなことを考慮して、実際の一年生の授業ではLL教室を使い、毎回ドイツの世界遺産を舞台にしたビデオを観た後、20分程度の発音練習の時間を取っている。自分の発音をネイティブのものと聴き比べ、矯正できるこの練習は好評である。学生が練習をしている間、教師はそれをモニターし、悪いところがあれば改めるのであるが、始めのうちは学生が自分で誤りを正すのを待っている。自分で自分の間違いに気づき直すのが大切だと考えるからである。またこの時間は学生の方から教師に個人的に質問もできるので、皆の前では恥ずかしくて訊けない学生も積極的に参加でき、学生、教師の双方が、かなり充実した時間を過ごすことができる。

二年生の授業では、ドイツ製のビデオを使いかなり高度な聴き取り能力を養う訓練をしている。発音練習に20分を費やすことは時間の関係でできないが、必ず一度はテキストを音読する。聴き取りと発音とは表裏一体となっているからである。これが完璧にできるようになれば、ドイツのニュースを見て分かるまでもう一歩である。

国際コミュニケーションの授業とタイアップして学生をウィーン大学の夏期講習に参加させるのも授業の一環として大切なことだと考えている。畳の上やプールの中だけでなく実際に海に入って泳ぐことにより、文字通り、体で言葉を身につけるのである。この時に繰り返し学習した発音やヒヤリングの力がものをいう。希望者がいれば、週末を利用して、ガイドブックに載っていないオーストリアの友人の田舎にも連れて行く。素朴な人情にふれ、温かいもてなしを受けることでいっそう勉強しようという意欲がわいてくる。学生たちを側で見ていると、日を追ってたくましく成長していくのが分かる。若い時はその土地の空気を吸うだけでも吸収するものが多いのであろう。

大学の単位と関係なく二度、三度と参加する学生もいるが、必ず良い結果を持って帰ってくる。独検(ドイツ語検定試験)やオーストリアが世界中で実施しているドイツ語検定試験に合格し、就職してそれを活かしたり、進学して役立てたりする学生もいるのは望外の喜びである。

授業中にも繰り返して言うことであるが、学問に近道はない。つまるところ時間かける集中度(力)の積が結果となる。いくら一所懸命努力して理解しても、それが使えるようになるには相当な練習量が必要である。特に言語の習得は時間がかかる。これが学習者から外国語学習が嫌われ、また学校で習っても使えるようにならないと目の敵にされる一因である。授業中にも、できるだけ枝葉末節な部分は省いて、分かり易く説明するよう心がけ、大事な点は何度でも復習するよう努力している。だが何よりもまず、決定的に時間数が足りないのである。週二時間、三年間学習するというのが最低限必要であろう。週四時間勉強しても一年で止めてしまっては何にもならない。同じ四時間であれば週四回で一年しか学ばないよりも、週二回二年間続けた方がよい。高い山に降った雨が伏流水となって名水と呼ばれるようになるには多くの年月がかかる。良いワインやウィスキーにも熟成の時が必要である。語学でも身に付く、すなわち勉強を始めてから体が吸収するまでには、何年もの時が要求されるのである。ドイツ語の諺にも“Gut Ding will   Weile haben.”(良いものは時間がかかる。)というのがある。できるまで時間がかかるが、いったんできてしまえば良いものは長持ちする。漢字の学習やかけ算の九九を考えてもそれは明らかであろう。旧制高校の語学教育は、読解力の養成に偏していた嫌いがあったにしても、それなりの学力がつき、終生の財産となった。それというのも、十分に時間をかけたからである。自転車の乗り方と同じで、一度習い覚えた外国語はしばらく使わなくとも、必要とあれば、少し訓練すればまた使えるようになるのである。その一方、すぐ覚えられ、すぐその場で使えると言われるものは、一見便利に見えるが、その実すぐ役に立たなくなることが多い。大学に限らず、学校で教育する中味は、基礎的でそれ故応用が利く、一生使えるものが中心とならなければならない。本来文化とはじっくりと時間をかけてはぐくむべきものである。基礎的な勉強、研究を重視してこそ次世代に残す価値あるものが生まれるのであり、「社会の要請」や「学生の希望」という美名のもとに安易に時代に迎合し、近視眼的に目先の利益を追うことは、少なくとも大学としては厳に慎むべきであろう。すぐ結果が出ないから止めてしまうというのではなく、結果が出るまでしばらく待つという態度をもう少し我々日本人は養う必要があると思うのは僕だけだろうか。

何と言ってもどの言語も長い歴史と文化を背景に持っており、そこに生活している人の思考や感情を形成する基盤となっているのである。島崎藤村もいうように「血につながるふるさと 心につながるふるさと 言葉につながるふるさと」である。いろいろな言語を学ぶというのは、自分と違った価値観を持つ、さまざまな人間の考え方を知るといった意味でも、単なる実用性を越えた重要な行為なのではなかろうか。せっかく七カ国語もの言語が開講されているのだから、学生の皆さんは、在学中に最低一カ国語、できれば数カ国語を習得し、一生の財産にしてほしい。

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オーストリアのゴーザウ湖の美しい風景。この地を引率で訪れた時に学生たちが見せてくれた目の輝きは、忘れることのできない思い出です。