大学入学から数学者になるまで、その一例
学生さんたちと話をしていると「いつ頃から大学の先生になろうと思ったのですか?」「どうやったら数学者になれるのですか?」といった類の質問がくることが割とよくあります。せっかくの機会ですので、私の場合はどうだったのかということを振り返ってみたいと思います。
単純に数学が好きだったので、数学のことをより深く学びたいということで九州大学の数学科に進学しました。その時点で数学者になるという夢をぼんやりと描いていたので、進みたい方向性がある程度定まっていたという点では珍しい学生だったといえるのかもしれません。大学ではもちろん勉学に励みましたが、その一方で塾講師のアルバイトもしていました。人に勉強を教える経験を積みたかったわけですが、楽しいと同時にやはり大変な思いもしました。とくに小学生たちには色々と振り回され、小学校の先生は天才だなどと何度も思っていたものです。アルバイトは社会に触れるいい機会だと私は思っています。いまのコロナ禍、希望の仕事を見つけるのは当時に比べると大変なことかもしれませんが…。
話がずれそうなので本題に戻りましょう。数学者を目指す過程で、大きく影響したのは「ゼミ配属」です。いまはどうか知りませんが、当時の九州大学では3年生になるとゼミに配属されることとなっていました。私が入った研究室には数学者を目指す先輩方が多く、これがとても良い方向に作用しました。おすすめの数学書を教えてもらったり、仲間内で集まって一つの専門書をみんなで回し読みしていくなど、それまで以上に数学を楽しく学ぶ時間が増えました。長期休暇期間に行っていた朝8時から夜24時まで勉強会を行う「地獄セミナー」のことは一生忘れません。もう無理です。とにかく、曖昧だった数学者への道が具体性を帯びてきたのはこのゼミ配属の時期からといえるでしょう。振り返るとこの時期は狂ったように勉強していたと思います。
大学を卒業すると多くの人は企業等へ就職しますが、大学院進学というまた別の選択肢もあります。大学4年間では学べなかったより専門的な技術や知識を得たい人が大学院に進みます。私は数学者を目指したいわけですから、素直に大学院進学を選びました。はじめて海外の研究集会に参加したのもこの時期で、数々の天才たちを目の当たりにして驚きました。「あの天才たちになんとかして食らいついていかないといけない」とは一緒に集会に参加していた先輩から聞いた言葉で、気合を入れ直したものです。合計5年間の大学院生活を終えた後は、縁あって京都大学(数理解析研究所)所属の研究員となります。偉い方からの挨拶の際に「とにかく研究をしてください。私たちが望むのはそれだけです」と言われたことは忘れません。ラーメンを食べたり鴨川を散歩したりしながらのびのびと研究をしました。研究成果の報告会のような集まりで私が発表したときに、「ここが分からないのですが頑張ります」と述べた数分後に「こうすればどうでしょう?」というコメントをいただき、それで実際に解決したときには開いた口が塞がりませんでしたが、そういう事件も経験しつつ、刺激の大きな研究期間を過ごすことができました。振り返るとこの時期も狂ったように勉強していたと思います。
大学生、大学院生、研究員として経験と実績を積んだところで、いよいよ大学の助教といったポストを目指すことになります。いわゆる就職活動です。数十倍、場合によっては百倍にも及ぶ倍率の競争を勝ち抜かなければなりませんので研究者を目指したい方は覚悟しておきましょう。私の場合、幸運にも神奈川大学に拾ってもらうことができました。「職業:数学者」とようやく声を大にして言えるようになったわけで、まさに夢が叶ったということになります。大学から連絡が届き、しばらく天を仰ぎその喜びをかみしめていた…とでもいいたいところですが実際にはそうではありません。結果を知ったその時は研究打ち合わせの真っ最中でしたので、部屋に戻って「それでさっきの話の続きですけど…」といった感じの平常運転でした。夜に近所のスーパーでおいしいお弁当を買って一人でお祝いをしました。なんにせよ、こうしてめでたく「大学の先生」にして「数学者」となることができたのでした。
というわけで、私が数学者になるまでの経緯を少しだけ振り返ってみました。それなりに楽しかったのではないかと自分では思いますが、別にここで終わりではなくまだ先がありますので、今後はどうなるのやら。学生さんたちも、大学に来てよかったと思える思い出やら友人やら様々な何かを手に入れて欲しいと、そう思います。
『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために各学部の先生方に執筆して頂いています。