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ホビロンを追いかけて

近藤和哉
法学部・刑法

 ベトナムには、ホビロン(hột vịt lộn)という食べ物がある。道路沿いの屋台やスタンドで売っていて、一見すると、ただのニワトリの卵であるが、実は、ニワトリではなくアヒルの卵である。また、生ではなく茹でてある。そして、中にはヒナが入っている。

 今から約15年前、私がベトナムを訪れた目的のひとつは、現地の料理をあれこれ食べてみることだったが、ホビロンは、私の<食べたいものリスト>のトップに君臨していた(2位は雷魚。3位はヤギ)。ところが、探しているものはなかなか見つからないもので、出発前に読んでいた本には『アオザイ姿の女子学生が学校からの帰り道、おやつ代わりに食べている。』と書いてあったのに、現地に着いて、女子学生を目印に探してみても、ホビロンスタンドは見つからない。雷魚やヤギは向こうから寄ってきたのに、ホビロンは、親アヒルが隠してしまったかのように、姿が見えない。

 そんなホビロンに私が出会えたのは、<ホビロン=都市伝説>説がもやもやと首をもたげ始めていた帰国前日、ホーチミンシティ(昔の「サイゴン」)から、メコンデルタの街、ミトーを訪れる現地ツアーに参加した時だった。地元のおかあさんが歌いながら操るボートで、熱帯樹の絡み合った枝々が両岸から間近に迫るくねくねした小川を下り、心地よい揺れの余韻を感じながら昼食の場所へと移動する道すがら、観光客を相手にする気配がゼロの商店の店先に、それはあった。
 団体行動に慣れない私は、誰にも断らずに集団を離れてその店に駆け寄って、店主のおじさんに、これが欲しいと訴え、何を言っているのか、お互いによく分からなかったと思うが、ともかく2個買い求めて後ろを振り返ると、そこにはもう、誰もいなかった。ジャングルっぽい場所でアヒルの卵を2個抱えて迷子になるのは海外ひとり旅の醍醐味だと今なら思うが、そのときは、さすがに少し焦った。遠くからかすかに聞こえてくる人声と肉か魚かを焼く匂いを頼りに道を辿って行くと、幸いなことに東屋の下でランチを待っているツアーの一行と合流することができた。私は、何事もなかったかのように、日本から来た大学生だという女の子たちのグループのテーブルに入れてもらい、「これ見て」と自分の獲物を自慢した。私が期待した通り、彼女たちが、「きゃー」と声を上げると、それに気づいた現地人ガイドのお兄ちゃんが近づいてきて、卵を手に取り、太陽に透かし、

「コレ、生ダヨー」

と笑顔で教えてくれた。
 そういえば、例の本には、夜、仕事帰りのベトナム人が、屋台のホビロン(すでに茹でてあるやつ)を電球の光に当てて、中のヒナがどれくらい育っているかを熱心に吟味する様子が描かれていた(各人に好みのタイミングがあるらしい)。年中暑いあの地域では、放っておいても中のヒナは成長し続けるので、地元民相手の店では、生で売って、客は、毎日、卵を陽に透かして、「うーん、あと2,3日?」とかやっているのか? 私は、アヒルの胎児(?)をテーブルにぶちまけて、自分を快く迎えてくれた優しい女の子たちに、ホンモノの悲鳴を上げさせずに済んだことにほっとしたが、その一方で、これ、どうすればいいの?、と炭火でこんがりと姿焼きにされた地元名物のエレファントフィッシュ(形が象の耳に似ている。鼻はない)をつつきながら考えていた。

 ミトーからホーチミンシティまで、バスで約2時間。ホテルに戻った私は、バスの中で居眠りをしながら立てた計画に従って、部屋に備え付けの電気ポットに卵を入れ、水を注いでスイッチを入れた。気圧の変化のせいで機内で破裂することを恐れたわけである。「残酷!」と思われた方もあろうし、私としても何の罪悪感も感じないわけではなかったが、かつて活けクルマエビにしたあんなことや、活けコウバコガニにしたあんなことと比べれば、まだマシな方だと自分に言い聞かせた(そういえば、話はそれるが、私は、助手[現在の助教]時代、生きているタコを電気ポットで茹でたこともある。東京湾で釣ってきて、大学院の研究室でみんなに見せていたら、茹でた足を1本欲しいと言い出した後輩がいたので、助手室に行って、先輩助手のポットで勝手に茹でた。彼には翌日告白したが、特に文句も言われなかった。いい人だった)。

 さて、困ったことに、ここまでで、すでに、与えられた文字数をほぼ完全に使い切ってしまった(正直に言うなら、少々オーバーしてしまった)。私としては、ホビロンを落語でいうところの「枕」にして、大学における(ひいては人生における)勉強と料理とが、いかに良く似ているかについて語りたかったのだが、こんな「落ち」になってしまった(この手の失敗は、論文ではよくある)。せめて最後に一言だけ、それらしいことを言っておくと、読者の(特に新入生の)みなさんには、この機会に、みなさん自身の「ホビロン」を見つけ、追いかけることを、強くお勧めしておきたい。帰国後、私が自宅で食べた(リアル)ホビロンは、実際のところ、とても美味しかったのだが(詳細を語りたいが、余裕がない)、あれは私の経験であって、この文章を何度読んでいただいても、あれがみなさんの経験になるわけではない。椎名林檎さんの、「人生は夢だらけ」でも聴きながら、みなさん自身の、ほかの誰のものでもない「ホビロン」を見つけ、追いかけ、みなさんの人生を、数え切れないほどの「ホビロン」で彩っていただきたいと思う。

近藤和哉
法学部・刑法

『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために各学部の先生方に執筆して頂いています。