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私の美は私のため。平日脱コルしてみた。

最近仕事の日は自分なりのゆるーい脱コルをしている。

少し前から「脱コル」ということばを聞くようになった。正式な名前は「脱コルセット運動」でざっくり言うと、社会に押しつけられた女性らしさ(特に装飾)からの解放を目指している運動である。

「化粧はマナー」って本当なの?
ハイヒールって足を痛めてまで履くべき?
女性だからキレイじゃないといけないの?

こんな疑問を抱いたことがある人はぜひ脱コルについて調べてみてほしい。

私も「化粧はマナー」という常識に疑問を抱いたから脱コルについて調べてみた。
いろんな人のブログやツイート、雑誌の記事を見たが、100%の共感はできなかった。ただ、いろいろ考えるうちに、

私はメイクもかわいい服も好きだし、
私は女性らしさから解放されたい訳ではなく、

「私の身体は私のためにある」
「私の美しさは私のためだけにある」
「私の美しさは私が決める」

という3つが私の信条だと気づいた。

「メイクがマナー」に怒りを感じていたのは、私の顔をどうするか決める権利があるのは私だけだから。「女らしい格好をしろ」に怒りを感じていたのは露出でもしない限り私の格好について他人に指図される筋合いがないからだ。

その信条に沿って行動を変えて行ったら、平日は脱コル、休日は好きに着飾るスタイルにたどり着いた。

仕事へ行く時はメイクをほとんどやめた。
私のためではなく社会のためにメイクしていたから。
なんとなくしていた社会人らしいメイクは好きじゃなかったし、メイク代も時間ももったいない。
そもそもメイク代もメイク時間分の給料ももらっていないんだし、と不要なものは切り捨てた。
日焼け止め替わりの下地とパウダーは変わらずしているが、アイラインやシャドーはやめた。

出勤の時、誰かに何かを言われるのでは?と不安に思ったが、今のところ何にも言われてない。
もし何か言われたら「メイクはマナーだと言う認識は間違っている、お金と時間がもったいないので辞めた。化粧代と時給くれたらメイクするよ」と正直に言おうと思う。
もちろんこんなこと言えそうなのは良い職場に恵まれていること、メイクが大事な職場じゃないことだから言えるんだけれど。

それに、平日脱コルの思わぬメリットも見えてきた。
男性からの妙なアプローチが無くなった。
私はいわゆる「中の下」くらいの見た目で、男性から「この子なら行けるんじゃないか」みたいな超失礼なアプローチを受けることがある。

これが結構精神的に堪えていて、なんだか女性としてわたしが消費されている感覚、そして私が女性として「周りよりも劣っているが許容範囲内」「アリといえばアリ」と勝手に評価されていることがとても不快だった。
また、私は他のnoteで紹介しているように、性的マイノリティなので、恋愛対象外の人間が本気でもないのに声をかけてくるのは邪魔でしかないし、「リスクなしに手当たり次第アプローチできる異性愛者は狡い。」と無駄に異性愛者を恨まずに済むので声をかけられなくなってとても嬉しい。

以来、私は職場でどんどん「女性らしい装飾」から距離を置くようになった。必要ないと感じたからだ。
ワイヤーブラからノンワイヤーにしたり、通勤服もユニクロのメンズ服にした。これは脱コルを意識した結果というより着替えの利便性を考えた結果だけれど、着実に平日の私はコルセットを脱ぎ捨てていっている。

その一方で、休みの日はこれまで通りに自分の好きなメイクをしている。友達と遊んだり、楽しみにしていたランチを食べるときはメイクをしたかわいい自分の方が楽しめるからだ。
けれどちょっとコンビニやスーパーに行く時はメイクをしないことにした。
両親は私の行動に難色を示しているけど、

メイクをしてなくったって私はそれなりにキレイだし、そもそもいつも完璧キレイでいる必要ってある?

それに、私の顔についてとやかく言う権利は無いよ

と大声で叫びたい。
ナルシストだと思われそうだから言えてないけど。

あと、これからは「自分の為の美しさ」を追及して、減量やボディメイク、服選び、メイクを楽しむことにした。まずは私の理想体型になるための減量と筋トレをしている。

今までダイエットの度に「好きな人のため?」とか聞かれたり、「愛されボディを目指そう」という見出しに辟易して、自分はなんのためにダイエットするのだろうか、ダイエットは必要か?どうせ痩せても平凡な顔だし、彼氏も要らない。と考えてしまい挫折してきた。けれど、今なら自分の為!と胸はって言えるし頑張れそうだ。
外野は全員無視して自分のために美しくなるぞ!

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