見出し画像

見放さないで、虚仮にしてくれ

「ホワイトデーに、マカロンを作ろう」
4ヶ月ぶりに会った相楽健花は、喫茶店の淡い光に溶けてしまいそうなほど蒼白な顔色をしていた。
「お前さ、高校来ないで何してたんだ」
「最近はもっぱら新海誠の映画ポスターを買い占めてリビングで燃やしているよ」
「そうか」
意味不明な提案を聞き流そうとしたらさらに意味不明な情報が飛んでくる。彼の脳にまともな部分はもう残っていないのかもしれない。
「ホワイトデーに、マカロンを作ろう」
リツイートしてきた。
「それで、クラスの女たちに無差別に配ろう」
「そうしたらどうなる」
「『もしかしたら私は相楽クンにチョコレートもしくはそれに類するものを渡したのかも』と、そう思ってくれるかもしれない」
「バレンタイン貰ってないだろ」
「ああ、自室でマスターベーションをしていた。君と同じように」
相楽が気味悪く微笑む。ねちゃねちゃという音がした。
「じゃあ可能性はゼロだ」
「それじゃあこうしよう。放送室をハッキングして、『2月14日、誠に勝手ながら無作為に選んだ1人の下駄箱にクワガタ汁チョコレートを入れさせていただきました』と放送する」
「クワガタに汁があるものか」
「チョコレートを貰って煮え繰り返った思春期どもの脳みそに、自分がクワガタ汁を内服したのではないかという疑念を一滴垂らす。面白いだろ」
「無益だ」

相楽健花と出会ったのは高校一年の頃だ。人間関係の輪に入りそびれたのに、己から望んでコミュニティを辞退したのだという顔をして教室の隅で埃をかぶっていた。青春を真っ当に楽しむクラスメイトを一方的に憎み、エコーチェンバーを自己の内面で響かせ、思春期の傷みやすい心根を不可逆に捩じ繰り返していた。つまり、同類だった。
数ヶ月にわたるほくそ笑み合いと目配せの末に意気投合した俺たちは、『青春みなごろし合戦ぽんぽこ』と銘打った薄ら暗い活動を始めた。告白スポットとして知られていた校庭のイチョウに除草剤をぶち撒け、投票を操作して文化祭の出し物を『世界の奇病展示会』にしてやったときは楽しかった。だからこそ彼は、学校に来なくなっても俺とだけは交友を続けたのだと思う。

「なあ相楽。ホワイトデーに望まれぬマカロンを作るのは余りにも……無益だ」
躊躇いがちにそう告げると、相楽はわざとらしく虚をつかれたような顔をした。
「おや、まさか君にそれを言われるとは。
無益。その通りだ。我ら『青春みなごろし合戦ぽんぽこ』の活動は結局のところその一言に尽きる。それでもなお憎むべき仇敵を、熱暴走した高校生の青春を、卑しくのたうつ生殖器どもを鏖殺するのが俺たちの信念だったはずだろう。なぜ今更それを言う?」
「相楽、ほかの客が見てる。声を抑えてくれ」

「俺がもう邪魔者だからか?」

「……は?」
「君の青春において、俺は目障りなんだろう」
「言っている意味がわからない。俺はお前と___」
「恋人から貰ったマフィンは美味かったか?」

背中を冷たい汗が流れる。
彼は、どこまで知っている。

「心配するな。君が恋人から受け取ったマフィンはクワガタ汁無添加だ。無論、幸せを勝ち取った君を恨むつもりもない」
「………………」
「むしろ俺は謝罪するべきだろう。俺が教室で孤立しながらも毎日すこやかに登校して君に粘着していたものだから、密かに君に思いを寄せていた彼女はなかなかアプローチできなかったのだ」
「相楽、俺は……」
「裏切るつもりはなかった、なんてことは言わないでくれよ、友よ。」
相楽は少し天井を見上げ、深くため息をついた。
冷め切ったコーヒーを口に運ぶ。

「あんなに素晴らしい女性と結ばれて俺は幸せだ、貴様にもこのアドレナリンを融通してやりたいくらいだ、無理だけどなガハハ。そう見下してくれ。嘲り笑ってくれよ。」
「俺は……そんなことは……」
「そうして俺にこう言わせてくれ。
『リア充爆発しろ』と」

死語だ。

「死語だ。と思ったろ?そうさ、今日びカップルを見つけたとて誰もこんな使い古された捨て台詞を吐きはしない。
だがね、この言葉は救いでもあったんだ。


救いだったんだよォ!!!オワーーーー!!!


「マスターすみませんすぐ出て行きますから」

「リア充VS非リア。バスケ部VS帰宅部。
一般人VSオタク。メディアVSねらー。
少し前はそんな対立構造が溢れていた。だが今は違う。彼女いない歴=年齢でもおかしくはないよね!バレンタインデーは自分で美味しいチョコを買う日!!クリスマス家族と過ごすなんて素敵じゃん!!!それぞれの価値観があるんだし、リア充とか非リアとか言ってても意味ないよね!!
それで俺たち『非リア』が救われたか?いいや違う。多様性の中に封殺され、忘れられただけだ。蓋をされたんだ。俺たちは臭いから。世間がクリぼっちを肯定してもおひとりさまを持て囃しても、俺たちの孤独と欠乏は変わらず胸中を食い荒らす。一方カップルは暖かい寝室で性行為をする。あの頃と何も変わりはしない。ただ俺たちが投げる石つぶてを奪われただけだ!去勢されただけだ!!こんなことなら疎まれ蔑まれていた頃のほうが幸せだった。俺たちは存在するのだと実感できたのだから。ヒャダインの曲を聴いてメリークルシミマスと唱えたかった。バレンタインに一人でチョコを買い占めたかった。リア充爆発しろと、まだ……叫びたかった……」

しばしの沈黙のあと、相楽は切なげに笑った。

「友よ、もうじきパトカーが来る。最後に君に、『リア充』たちに伝えたい」



   見放さないで、虚仮にしてくれ



そう言って相楽は喫茶店を出て行った。会計と事情聴取は俺持ちのようだ。彼とはもう会うことはない。そんな予感がする。思い返せば、彼との日々は悪い夢のようだった。俺の高校生活を悪意と混沌と虚構と無為無益に染め上げ、目が覚めると何も残ってはいない。だが、そんな毎日の中で一つだけ確かなものがあるとすれば、俺と相楽はリア充と非リアでもバスケ部と帰宅部でも一般人とオタクでもメディアとねらーでもなく、

ただの友達だったんだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?