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歌詞を考える ASKA「百花繚乱」(アルバム Breath of Bless)

こんばんは、ジニーです。
しばらくぶりの更新となってしまいました。
仕事やらなんやら忙しい時期というのもありましたが、時間があれば歌詞とにらめっこ。
読めば読むほどに、まとまらなくなる感じです「百花繚乱」。

ASKAのブログでも歌詞について少し触れていたので、ここから少しヒントを得ながら考えていってみたいと思います。

街のネオンに身を投げる衝撃的な冒頭

まずは、景色の描写から入ります。

花を抱いて見上げりゃ 瞬く星
合わせ鏡で広がる 地上の星

ASKAのブログでも語られている通り、「地上の星(街の明かり)」を意味していますので、空の星と地上との星が合わせ鏡のように広がっているとう景色であることが浮かびます。

何処から見える景色なのか、それは次の歌詞で明かされます。

超高層ビルの屋上の角に立ち
吹き上がる風の中に両手広げて

最初の2行の景色は超高層ビルの屋上からの景色だったのだとわかります。そしてその場所から、男は両手を広げます。

身を投げる 落ちてゆく
夜に降る そして夢遊に咲く

衝撃的な歌詞ですね。超高層ビルの上に立っていたのは、今まさに身を投げようとしていたわけです。
ここの展開、凄い好きなんですよ。いわゆるAメロからBメロに入るところなのですが、疾走感のあるAメロから少し落ち着いたBメロに入る間に、「両手広げて」「身を投げる」が繋がっていて、小説で例えるなら、「両手広げて」でページをめくって、次のページで「身を投げる」という言葉が突然目に入ってくるような衝撃と、インパクトを感じるんですよね。
そして、Bメロのテンポに合わせて、場面を切り取る連続写真のように、言葉が連なる2行。
身を投げ、落ちていき、夜の街に降る人影、夢遊に咲く・・・ん、夢遊に咲く?
これはどういう意味なんだろう?
と、ここでだいぶ止まってしまいました。

身を投げたのは現実なのか、想像の中なのか

続く歌詞に目を向けると、少し意味を紐解かれるようなイメージが浮かびました。

雨の中でハンドルを切って 浮かべた場面
流れ消える景色の向こう 百花繚乱

またまた登場のASKAのブログでは、身を投げた男とハンドルを切る男は同一人物だと明言されています。
ただ、それが現実なのか、想像なのかは聴き手の想像に委ねられています。

僕の考えとしては、冒頭からの男が身を投げる描写はハンドルを握る男の想像だったのではないかと思っています。
どういう心境にあるかは定かではありませんが、何か思い詰めてた主人公の男が、運転中にその目に映る百花繚乱な景色に、思わずそのような想像を巡らせたのが、ここまでの歌詞の内容ではないのかと感じるのです。

そう考えると、夢遊に咲くというのは、そこで想像が終えたということとして受け止められないでしょうか?
例えば夢の終わりが、現実に引き戻されて、それまでの鮮明なビジョンが急に曖昧なものになっていくようなイメージ。
誰も死ぬという経験をしたことはないので、身を投げてそのあとの鮮明なイメージは持っていないので、そこで想像が曖昧になると思いますし、それを夢遊に咲くといく言葉で表現したのかなと、そう考えると個人的にはしっくりとするところがありました。

あの曲がフラッシュバックするのは僕だけでしょうか?

2番に入ると、なんとなく主人公の気持ちの変化のようなものを僕は感じました。

僕は今の自分のこと知っている
どうにも塗り潰せないから 生きつづけてみる

入れ替わる 蘇る
夜に舞う そして未来に咲く


1番が自分を消してしまいたいというような、どちらかというと負のイメージが先行するのに対し、2番では理由はどうであれ生きることを選び、蘇る男の様子が描かれています。
ここも「塗りつぶせないから」という言葉が何を意味するのかがうまくイメージできなかったんですよね。

ここで、ヒントにしたのが過去の名曲。
「百花繚乱」を聴いているとどうしてもフラッシュバックしてくるその曲、「迷宮のReplicant」。
「迷宮のReplicant」についてもASKAはブログでのライナーノーツで「自分は、誰かの夢の中だけに存在するのではないだろうか」という幼少期からの思考を歌詞にしたということを書いているのですが、これは「百花繚乱」においてもそのまま当てはまるように感じるんですよね。

「時間の運命」という言葉もライナーノーツでは出てきますが、命を消すことも、命を続けることも「時間の運命」に縛られているのだとすれば、どうにも理解しきれないことがあろうと、時間の期限が来るまでは生きてみようといういう心境がつづられているのではないのかなと感じるのです。

曲にちりばめられた対比が描く感情、悩みや葛藤のような答えのないもの

Cメロでは空と海との対比が歌詞として綴られています。

たとえ空が海に・・・
たとえ海が空に・・・

行間を読むと、空が海に飲み込まれようとも、海が空に飲み込まれようとも。
もしくは、空と海が入れ替わろうとも。
そんな風にも読めます。僕は前者のような読み方をしています。

少し視点がズレるのですが、この曲はいくつか対比が盛り込まれています。
空に瞬く星と地上の星。
死(身を投げる)と生(蘇る)。
空と海。
言葉としての対比もあれば、1番と2番との内容での対比もあります。
僕はこういった対比を用いることで、主人公の葛藤のようなものを演出しているのではないかと感じました。
二つの事象を描くことで、どちらともの正当性が謳われる。
どちらが正しい、どちらが誤りというものもなければ、どちらが秀でているというものもありません。
答えなどない二つの間で揺れ動く思考が、浮遊感の漂うこの曲の中で、妙に人間味を感じさせるエッセンスになっていると感じるのです。

百花繚乱という言葉に切なさや恐怖を感じるからこういった解釈になったのかもしれない

この曲は一人の男の心情を通して生き方への相容れない二つの心理のようなものを描いたのではないかと、僕としてはそんな風な解釈に行きつきました。

これは人それぞれの捉え方だと思うのですが、そもそもの「百花繚乱」という言葉に、説明のつかない切なさや恐怖のようなイメージが僕にはついて回ります。
それもあって、今回のような曲の解釈に繋がっているのかもしれません。
ASKAがこの曲の歌詞についてあまり事細かく説明をしなかったのは、人それぞれの受け止め方が、この曲に関してはほかの曲以上に間口が広いと感じているからなのかもしれません。
機会があればぜひ別の方の解釈もうかがってみたい歌詞ですね。

僕は楽曲の歌詞には深く考察することで広がりを見せるものと、感覚的に捉えることで深さを生まれるものとがあると感じています。
今回いろいろと考えてはみましたが、この曲は後者にあたると思っていて、だからこそ様々な捉え方が生まれていくのではないかとも感じています。
いずれにしても、だから歌詞に興味を持ってしまうのだと思います。

今回もお付き合いいただきありがとうございました。
次の更新はもう少し早くしていきたいと思います。

ありがとうございました。

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