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ASKA 「消えても忘れられても」の歌詞を考える(アルバム Breath of Bless 11曲目)

こんにちは、ジニーです。

ASKAのアルバム「Breath of Bless」の歌詞の考察も、ようやく11曲目まで来ました。
今年中に新しいアルバムも出るそうなので、それまでにはこのアルバムの歌詞考察も終わらせたいですね。
残りあと3曲です。

■まずは曲紹介から

さて、今回考えていく「消えても忘れられても」ですが、製作途中では「大バラード」という仮タイトルがついていたようです。
その通りのエモーショナルなバラードソングとなっています。

演奏時間は4分30秒とそこまで長い時間ではないのですが、聴きごたえはものすごいですね。

そして何やら意味ありげなタイトルです。
この曲から感じることを、いつものように書いていってみたいと思います。

■ASKAも一人の人間なんだよなって、すごく感じる歌詞

いいことがつづけば やがて悪い日が来る
当たり前を歌にして 自分に向けてる

やや後ろ向きな歌詞から始まります。
誰しもにあるだろう、山と谷。
ASKAがこれまでに手掛けてきた曲を振り返ってみると、後ろ向きな表現も見受けられる、そんな内省的な歌詞の曲も多くあります。

思うようには 行かないもんだな
つぶやきながら 階段を上る
(PRIDE)

少しくらいは自分の事 なんとかしようと
眠れない朝に出逢った
(帰宅)

いろんなこと言われる度に やっぱり弱くなる
いろんなこと考える度に 撃ち抜かれて
(月が近づけば少しはましだろう)

追いかけて 追いかけても つかめないものばかりさ
(太陽と埃の中で)

これまで多くの曲を書いてきたASKAですが、誰かに向けて書いた曲はほとんどないそうで、この曲の歌詞にある通り、「自分に向けている」ものが多いようです。

僕には金色の 翼もたてがみもない
ただ焦がれている 憧れている

金色の翼もたてがみもない。
ここはおそらく、自信や矜持、誇り、といった自分自身の存在価値を感じられる揺るぎないもののことを指すのではないかと思います。

記録にも記憶にも残る大ヒット曲をつくり、国内外でも大きな成功を収めてきたASKA。
僕らからすればすべてを手にしているようにも感じますが、そんなASKAにも迷いや悩みは生まれるものなのですね。
うまくいかないことがあったときに、「ここを行けば間違いがない」といえるような確固たるもの、そういったものに焦がれ、憧れているということなのかなと感じました。

知られたくない 弱さで

そしてこの歌詞です。
ここ最近のASKAって、こういう人間味あふれる歌詞を書くな、という印象が強いです。
これまで以上に自分自身を投影しているというか、より等身大の自分をエアがいているように感じます。
この一文、すごく好きなんだよなぁ。

「知られたくない」という強い意志に「弱さ」という言葉が続くことで、アンバランスな心の内を絶妙に表現されているように感じます。
なんでもできる、見られたいのは人間だれしも持っている感情だと思いますが、それを知られたくない場面もある。
なんかそういう、人間らしさを、このたった1行から感じるんですよね。

■いろんな受け取り方ができそうなサビ

景色をはがされる ふと触れる度に
ならば両手で いっそ壊れるほど

サビではこれまでの歌詞にある感情を振り切るかのように歌われています。
この歌詞に込められた感情はどんなものなのだろうと、考えながら何度も聴きました。
不思議なもので聴くたびにいくつかの視点が混在してしまうのです。
特に「いっそ壊れるほど」に続く言葉が何なのか?

個人的には「抱きしめる」という言葉がしっくりくるのですが、皆さんはどうでしょうか?

■ASKA節炸裂の時間軸の表現にニンマリ

ここ最近、ASKAは「いま」という時間軸を大切にしています。
その「いま」を引き立たせるために過去と未来を用いています。

過ぎた過去 まだ見ぬ未来 二つの真ん中の今
なるように いや こうなるように歩いてきたけど・・・

ここまで明確な意思を持って歩いてきたことに対する自信はきっとあります。自分で選んできたという自負といったほうがいいかもしれません。
これに似た歌詞を以前もASKAは書いてますね、この歌詞を考えていてフィードバックしてきました。

失うものは失いながら
俺は 俺は何とかやってる
(I'm a singer)

思えば、このころ(1996年)からすでにネガティブな中にあるポジティブを歌ってきたのですね。
なんとなくこの「消えても忘れられても」という曲は、その当時(もしくはそれ以前)からあった考えの一つのアンサーのような気がしてきました。

確かにここまでの歩みは、自分自身で決めてきたという想いはあるものの、ふとその対岸にある気持ちに目を向けてしまうときもあるのでしょう。
自問自答は続きます。

ねぇ君は 誰かひとりでも たった誰かひとりでも
幸せに 幸せに することができたかい

たぶん、こういった気持ちを常に持ち続けて活動をしているのだと思います。おごることのない気持ちで望めているのかと、まるで自分を律しているようにも聞こえます。
自信と慢心とをはき違えてしまわぬように。

ASKAのブログを見ていると時々目にするのが「安定」=「衰退」。ビジネスの場でもよく目と耳にする言葉ですが、この気持ちからくる自問自答のようにも感じられる歌詞です。
だから人の心に響く歌を作り続けることができるのだろうなぁ。

■たぶん、この歌の答えを最後のサビに持ってきた

2番のサビ、ここから圧巻の熱唱が続くのですが、その歌声に乗せる歌詞もとてつもなく重く意味のあるもののように感じています。

愛して 愛して 心だけになり
消えてもいい 忘れられてもいい
愛になれるかい 愛になれるかい

もう、すごいや。
こんな愛の表現ってありますか?
愛して 愛して 愛になる。
愛することを突き詰めていくと、そこには、名前も何もなくなっても通用する、普遍的な概念や象徴として愛が残る。

例えば、僕らが誰一人もいなくなるくなるほどの未来に、古の音楽を紐解いていったときに、「はじまりはいつも雨」をその時代の人が聴いて、そこに息づく愛に野菜い気持ちになる瞬間があったとして、おそらくそこが一つのASKAにとっての目的の達成になるのだと思います。

「愛になれるかい」という言葉にはそういう意味を僕は感じるのです。

消えても 忘れられても、歌は残り続ける。
歌が、音楽が「UNI-VERSE」として一つの宇宙であれば、その宇宙は誰かの宇宙ともいつか繋がる。
その時に姿かたちはなくとも、変わらず「愛」と呼ばれるのでしょう。

こんなことを言うと本人やほかのファンの方にも怒られそうなのですが、年齢的にもキャリア的にも、ASKAはそのキャリアをどう終えるかというのも考え始めているのだと思います。
時間は消えていくのだからなおさらです。
そういった気持ちを歌に託したとすれば、この曲ほど想いを込めたものはないようにも感じます。

この曲は是非ライブでも歌ってほしい曲ですね。
多分、ものすごく感情が押し寄せてくる気がする。

■最後に、やはり曲のつながりって大切だなと感じた話

こうやって、ある意味ASKAにとっての活動のテーマとなっているものを歌ったと推測した今回の歌詞。
でも、さらに意味深いものとしているのは、この曲が「歌になりたい」の後を受けて収録している曲なんですよね。

「歌になりたい」⇒「愛になれるかい」。
ASKAが今もなお新曲を作り続け、歌い続ける意味をすごく感じてしまいます。

なんだかそういう所信表明なものを感じてしまうと、ことさらに応援に力が入ります。
力いっぱい 体いっぱい 心いっぱい 歌い続けてほしいです。

さいごまでお付き合いありがとうございました!


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