歌詞を考える 『どうしたの?』 ASAK(アルバム「Breath of Bless」)
こんにちは、ジニーです。
ASKAのアルバム「Breath of Bless」の収録曲を一つずつ辿って行っております。
そんな中、当アルバムは発売から1年を迎えたようです。
時の流れは早いものですね。
さて、今回は3曲目の「どうしたの?」について考えてみようと思います。
この曲は、非常にストレートなラブソングとなっています。
原点回帰という言い方をするとちょっと語弊があるとは思うのですが、こんな感じのストレートなラブソングは復帰してから増えたな、という印象を持っています。
長く音楽を作っていると、いろんなバイオリズムがあると思うのですが、おそらくというか、いろんなインタビューを見ていると、やはりラブソングを作ることに抵抗が生じていたのだろうなと感じる時期はあったように思います。
いまはそこが素直に向き合えるタイミングになっているようです。
歌詞を考える、なんてタイトルにしては見たものの、この曲の歌詞は考えるというより感じる、浮かべるというほうが正しいのかなと思っています。
君の眠る顔を見るのが好きだ
傍で遠くにいる人
優しさに溢れた言葉から始まる歌いだし。
激しい想いを相手にぶつけるという形ではなく、見守るようないつくしむ愛情や主人公の恋愛のスタンスを感じます。
特に、「傍で遠くにいる人」という言葉はとてもすてきだなと思っていて、相手への愛情と尊敬の念に溢れているように感じるのです。
君のことを僕のものとして捉えていない、あくまでも君という存在がそこにあって、その計り知れない愛の海を、近づくほどに思い知るというようなイメージを浮かべるのです。
1988年にリリースしたアルバム「RHAPSODY」のラストナンバー、「ミステリー」という歌にも
追いつけない
隣の人
抱きしめても
揺れるミステリー
という歌詞がありますが。
そこにもつながる愛の表現方法だなと感じています。
多分、まだ主人公にとって、君には知らないところが多くあり、そういったところを知るほどに恋が深まっていく、そんな予感を表しているのではないでしょうか。
大事なものと大切な人を守れてる
そんな気持ちになる
試されているみたい
「大事なもの」と「大切な人」同じような表現ですが、並列に並べているところを見るとそれぞれに対象があるということですね。
「試されているみたい」という言葉もあるところから、「大事なもの」は自分の中の君への気持ち、「大切な人」というのは君のことではないでしょうか?
その二つを守れている満足感と、それを永く続けていこうという意思表明にも感じられる歌詞ですね。
難しいことが世間にはいっぱい
そして何もないこの部屋は
君と僕とでいっぱい
「君と僕とでいっぱい」。
なんてシンプルで幸せにあふれた歌詞なんでしょう。
この歌の冒頭の歌詞から察するに、場面としては朝方の、まだまどろみの時間でしょう。
例えば今の時勢からすると、新型コロナのことや政治のこと、世の中にはいろんな「難しいこと」があふれています。
ただ、今この時間には、君と僕とが部屋の中にいるだけ。
スマホもテレビも、ラジオも何も点けていないのだと思います。だからこの部屋には君と僕意外に入り込むこのが何もないということではないかと解釈しています。
この歌詞を読んだ時に、僕は井上陽水さんの「傘がない」の歌詞を思い浮かべました。
「都会では自殺する若者が増えている」という衝撃的な歌詞から始まるのですが、この歌の主人公にとっては君に逢いに行くための傘がないことのほうが問題と捉えています。
切り口と世界観は、もちろん全く違いますが、「世間のことよりも、今は君と僕のことだけ」という主人公の気持ちにはつながるところがあるなと感じたのです。
寂しさ痛みは追いかけ上手
すぐに大きくなりたがる
恋する気持ちには、いつも不安がついて回るものです。
寂しさ痛みは、そのなかでもきっかけにありやすいものですね。
一度感じた不安というのは、意識せずとも自分の中では膨らんでいってしまうものです。
まだ、主人公は君を遠く感じている部分もあるので、余計にそういった気持ちが不意に生まれてくるときもあるのでしょう。
それでも小さな幸せの前じゃ
消えたがる
すぐに隠れたがる
優しくなりたがる
もう、語る必要もないくらい、「そうそう」と共感を得る歌詞ですね。
先ほども書きましたが、恋には不安がついて回るものですが、そんなのはただの杞憂に終わることも多く、君が僕を好きでいてくれることがわかると、互いの気持ちが同じように通っていることがわかると、それだけでそういった不安は小さくなっていきます。
ASKAの歌詞の凄いところって、結構この3行に詰まっている気がしています。
恋の不安が「無くなる」とは書かないんですよね。
人である以上、プラスの気持ちもマイナスの気持ちもどちらもあります。
前向きなことが何もかも正しいということではなく、そういったマイナスの気持ちも含めて、恋なのだと改めて教えてくれます。
こういうところが、聴き手の共感を呼ぶポイントであり、たぶんそういうところが沼の入り口なんだと思いますw
「どうしたの?」って顔で
君は起きるだろう
そして僕も「どうしたの?」って
同じ顔をするだろう
主人公の目には、少し先の未来が見えています。
こんな風に幸せと不安とが混ざり合った気持ちで、君の顔を見ていると、その視線を感じてか君は目を覚まします。
その時、「どうしたの?」って顔をするのだそうです。
とっても自然体な反応。
こういった、ありのままの君が好きなんだと思います。
そして照れ隠しをするように、僕も「どうしたの?」という顔をするという未来。
ああ、温かいなぁ、幸せだなぁ。
こういった瞬間にこそ、恋の喜びが詰まっているのかもしれませんね。
ツイストのような仕草で
カーテンひらり揺れた
開いた窓を閉じたらとってもふたり
ここでもASKA節炸裂ですね。
伝家の宝刀、比喩表現。
ツイストのような仕草で揺れるカーテン、ちょっと強めの風が吹いたのかもしれませんね。
君の寝顔をまだ見ていたいと思ったのかもしれません、君と僕との空間に風さえもいまは迎えたくないと考えているのかもしれません。
窓を閉じて、再び「君と僕とでいっぱい」な空間を作り上げます。
この曲から伝わる幸福感は、「君と僕」の最小限複数に集約することで生まれるものなんだろうなと感じました。
生きるうえで関わるものは数多くありますし、愛するものはいっぱいありますが、恋をするのには「君と僕」があればそれでいいという絶対的な幸せのカテゴリーの中での幸福を歌っていることが、聴き手の心に甘酸っぱい味わいももたらしているのだと思いました。
イントロからして幸せが詰まったこの曲。
前曲「修羅を行く」までの内省的なものに、君という優しさが介入することで一気にアルバム全体が立体的な大きな空間を持つようになったと感じるのは僕だけでしょうか?
この曲を、この位置においたASKAの狙いをいつか、本人の口からきいてみたいなと思いました。