安芸高田市長選挙の結果を正しく理解しよう

7月7日に都知事選とともに安芸高田市の市長選挙も終わりました。
結果は反石丸を掲げた藤本氏が当選ということになりました。
この結果をもって「石丸伸二は安芸高田市民に嫌われていた」「石丸市政を安芸高田市民が否定」とネット上を騒がせています。

個人的に、この選挙は石丸市政の信任不信任という側面は確かにあるものの、それ以外の影響がかなり大きいと感じました。

基本的な構図

この市長選挙は石丸氏へ反対する勢力が擁立した藤本氏と市議会の中で唯一石丸派として賛成し続けていた熊高氏が対決する構図となりました。
それぞれのスローガンも議会や住民との対話を重視する藤本氏と石丸市政の継続と改善を願う熊高氏と対照的になりました。

選挙に影響を及ぼした石丸氏以外の要因

バックについた組織力

今回、熊高氏は組織を全く使わずに支援者のみでの選挙活動を行いました。
家族とボランティアがメインとなった選挙運動チームです。
出陣式でも応援は市議会議員2名のみの参加にとどまりました。

一方で藤本氏の出陣式の映像はこちらです。

動画についていたコメントを引用させてもらいますが
斎藤斎藤国土交通大臣(公明党)、森本参議院議員(立憲民主)、石橋衆議院議員(自由民主党)の代理秘書、宮沢参議院議員(自由民主党)の代理秘書、玉重広島県会議員(自由民主党、安芸高田市が選挙区、前安芸高田市議)、他7名の広島県会議員(敬称略/栗原、下森、鷹廣、竹原、本長、灰岡、山形)
+安芸高田市議(清志会)
といったそうそうたるメンバーが応援に駆け付けました。

現役の大臣を含めて国会議員が4人、政党をみても与野党含めすべてがバックについているということです。
地元の商工会のような組織もついているということで、いかに根回しが済んだ状態かということが明らかですね。

つまり、今回の市長選挙は超巨大連合組織VS個人というとんでもない選挙だったということです。

選挙までの準備期間

今回の選挙は石丸氏が辞職したことにより予定よりも数か月はやく市長選が行われました。

熊高氏は当初出馬する予定はなかったと思います。
石丸氏が出るならそのまま石丸氏でと考えていたはずだからです。
ところが石丸氏が次期市長選出馬しないと宣言したこと(5/10)を受けて、そしてまたほかの市長派有力候補が出馬しないことを受けて出馬を検討し始めたと考えると、準備期間は相当少なかったでしょう。

一方で藤本氏です。
藤本氏が出馬表明をしたのはそのはるか前の昨年11/30でした。
出馬を検討するのはもっと前ですし、なにより反石丸団体が対抗候補を擁立した選挙戦略を考えていたのはもっと前のことでしょう。
そのころから打倒石丸のために準備を進めてきたと考えると、圧倒的な準備期間です。
石丸氏が出馬しなかったこと、期間が早まったことは多少予想外であったと思いますが、そこまで慌てるほどのことではなかったと思います。
したがってこの期間に水面下で支持基盤を広めていったと考えれば時間をかけてとても強固な地盤を作れたのだと思います。

このように比較しても圧倒的に藤本氏が準備万端だったということです。

熊高氏の市民に対する人気のなさ

これは表現が難しいところですが、熊高氏はそこまで人気のある政治家ではありませんでした。
というのも、熊高氏は30年ほど地方議員を続けている方ですが直近の市議会議員選挙では500票しか獲得できず定数16出馬18人のうち15番目の得票に終わっています。
しゃべりが特別うまいわけでもなく、大きなバックを抱えているわけでもなく、政策は地味なものをコツコツと積み上げてきた男です。
地元への利権誘導も(おそらく)せず、まっすぐな政治姿勢が石丸氏と共感できたポイントでした。

そんな人気のない熊高氏は当然安芸高田市においても認知度が低く、今回の選挙でもそもそも石丸氏の後継かどうかすら知られていない場面があったと本人が選挙期間に語っています。
これはある意味当然なのですが、一般市民は石丸氏のことは知っていても不人気市議の名前は知らないです。
我々市議会ウォッチャーからすれば熊高氏は石丸派最後の希望として有名でしたが一般市民からは認知度がなかったという問題を抱えていたわけです。

さらに加えるならば熊高氏の年齢も影響したでしょう。
石丸氏のような若い市長の路線を期待する市民からすると、70歳の老人はなんか違うなとなっても不思議ではないです。

そして最後には熊高氏が市議会議員だったということ。
石丸氏と対立したあの市議会からの立候補ということで、石丸氏の後継者としての認識も浸透していなかったと思います。
本当にしっかりと議会の様子を見ていなければ、そこは分かりにくいです。

選挙戦略

これは都知事選とも共通するのですが、知名度拡大から始めなければいけなかった熊高氏と、すでにある地盤を固めつつマイナスを防ぐ藤本氏の構図が印象的でした。

唯一開かれた(と私は認識している)リハックの討論会に熊高氏は出席しましたが、藤本氏は出席せずに同じ建物の別の部屋で支援者向けの個人演説会をしていたと。
もう徹底的です。

また田舎特有の選挙戦略も印象的でした。
熊高氏によると、自分を応援してくれる市民の方から「表立っては応援できない」「村八分にされる」と言われたという話があります。
表立っての応援ができないということが何を意味するかというと、友達を誘う・ご近所を誘うということができないということです。
つまり横の広がりが皆無になります。
選挙において横の広がりをいかに作るかは最も重要な戦略です。
候補者が街頭で訴えるよりも、知り合いから熱心に推薦されるほうが心には響くのですから。
このような状態で認知度を広げなければいけなかった熊高氏の苦労を想像するに、とんでもない状況があったでしょう。

他にも藤本氏陣営が戸別訪問していたというような噂もありますし、応援県議が利益誘導を匂わせる発言をしていたなど、とにかく選挙戦略でも圧倒的に負けていたのが熊高氏陣営ということになります。

まとめ

以上のことから、今回の選挙は藤本氏側に相当有利な状態ですすんだ選挙といえると思います。
個人的にはそんな中でも一定の民意が示される奇跡が起こることを期待していましたが、そんなわけはなかったですね。
田舎×組織力、強すぎます。
こりゃ自民党が強いわけです。

従って、これは当然のことですがこの市長選における当選落選だけをもってして石丸市政の本当の評価ができるとはとうてい思えません。
そもそも、石丸氏が出馬していない時点で石丸氏の信任不信任が問えるわけのない選挙だったわけですし、このような非常に偏った情勢での選挙ではあまり参考にならないでしょう。
石丸氏のファンとアンチによって代理戦争の場とされてしまったのが非常に残念でした。

個人的には、このような状況下において熊高氏が獲得した4500票はとてもとても重い票だったと思います。
一方で熊高氏のライブ配信や安芸高田市のyoutubeで見られた「安芸高田市はもう終わり」「がっかりした」「そのまま滅亡してくれ」というようなコメントは悲しかったです。

そもそも、藤本氏は市長になってまだ何もしていません。
結局のところ石丸市政の功績はそのままに安芸高田市をさらに発展させていければ仮にそれが藤本氏のもとだとしても正解だったということになるわけです。
批判するのもあきらめるのも勝手ですが、実際の市政運営、そしてそれを市民が正しく評価できるかを見定めてからでも遅くないと思っています。
たとえ市長が利権政治をしようとしても議会が正しく監視できれば問題ないわけです。
そして市民が議会を監視できていれば問題ないわけです。
これこそ正しい二元代表制。
いまこそ議会の本質、市民の役割が問われる、というつもりで見守っていけばよいと思います。
せっかく知った安芸高田市ですから、私はこれからも見守っていこうと思います。

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