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ビートルズ側近マルの本⑧

 【スピリチュアル・ビートルズ】リンゴがふと漏らしたおかしな言葉「A Hard Day's Night」。この文法的にもおかしくてネイティブにとっても奇妙な言い方が、ビートルズの初主演映画で初のサントラのタイトルとなる。
 マルは1964年3月11日に妻リリィに宛てた手紙に、「今日初めて映画製作に関わった・・・彼らに機材をセットしてくれと頼まれて、その日の午後はずっとバンの中で機材を準備していたんだ。その間中、ボーイズたちはカード・ゲームをしたり、最後は「I should have known better(恋する二人)」を歌っていた」と書いた。

『A Hard Day's Night』英国盤 
『A Hard Day's Night』米国盤 


 次の週はもともと狂ったような一年だがその中で最も多忙となった。ビートルズは私的な上映会でジェームズ・ボンド映画「ロシアより愛をこめて」などを楽しんでいた。
 そしてビートルズの連中はいつものようにマルをからかって遊んでいた。
 ジョージはミルクをいっぱい入れたプラスチック製のコップをマルのシャツのポケットにこっそり入れた。
 ジョンは「「sarnies(サンドウィッチのこと)」を食べた後のお前さんは俺のお気に入りの動物だぜ」と言った。彼独独のウィットでもって、ジョンはマルを「威嚇」するのだった。ジョンの「ギブソン・ジャンボ」がなくなってからは特にひどくなった。
 3月19日、マルは機材をビートルズのためにボール・ルームに運び込んでいた。ネクタイや燕尾服の人たちがいるフロアでセッティングしなければならず困惑した。観客は上流階級と映画、テレビ、レコーディング業界の有名人たちで、中にはハロルド・ウィルソン首相もいた。
 ビートルズは殺人的なスケジュールに追われ、また彼らの前例がないほどの名声によって、ライブを行うのにも尋常でないアレンジが必要となった。3月21日には、マルとニール・アスピナールは何と夜明け前にジョージとリンゴを彼らのフラットに送り届けなければなからなった。
 ジョンとシンシアはまだ赤ちゃんのジュリアンとケンジントンのアパートに居を構えていた。一方、ポールはガールフレンドの女優ジェーン・アッシャーが家族と暮らすウィムホール・ストリートへと移り住んでいた。
 ジョージ、リンゴ、マルそしてニールは「面倒を見てくれる泊まる場所」を必要としていた。そのためロンドンのプレジデント・ホテルにしばしば泊まっていた。当時を思い出してニールは言った。「私たちは次第にロンドンへと拠点を移しました。たぶん、ぼくとマルがフラットに移ったのは最後だと思います。その余裕がなかったんです」。
 ロンドンという場所は、生粋のリバプールっ子であるビートルズと取り巻きにとってカルチャー・ショックだった。トニー・ブラムウェルが指摘しているように、ロンドンっ子たちとはうまくやっていけないと思ったという。
 ロンドンの人たちはリバプール出身者を、誰にも分からないような言葉をしゃべくるやくざものだとみなしていた。

ロンドン


 4月になると映画とサントラの仕事も最終版に差し掛かった。その頃、マルは、それまでのホテルやレストランでの食事ばかりでないように、ビートルズのためにケータリングも始めた。
 セットに彼らが到着すると朝ごはんはスタジオの地下の食堂から調達した。紅茶にジャムやマーマレードが塗られたトーストだ。EMIスタジオに長くいる時には、変化をつけるために、セント・ジョンズ・ウッドのケータリング・サービスから食べ物を取った。

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 マルはゆっくりではあるが要領をつかんでいった。
 マルと妻リリィはロンドン生活で金銭的に苦境に陥った。マルは気前よく使い、リリィが帳尻を合わせていた。マルは以前の仕事よりもいい給料をもらっていたにもかかわらずだ。彼は追加的な実入りになる道を探していた。
 マルは、映画のセットでビートルズが演奏する姿や彼らがコンサート会場を次から次に移動する合間の姿などを撮影していた。
 4月17日にリリィに宛てた手紙にマルは次のように書いた。「ぼくはビートルズの写真を撮っていて、それをフリーランスのジャーナリストに見せると、これは新聞社に売れるぞっていうんだ。少しはおカネを稼げるんじゃないかな。でも人には言わないでいておくれよ」。
 ビートルズは6月4日のコペンハーゲンを皮切りに北ヨーロッパ、香港、オーストラリア、ニュージーランドを回るツアーに出ることになっていた。
 5月31日、ウォーミングアップを兼ねたショーをプリンス・オブ・ウェールズ劇場で行ったが、バンドは完璧だった。世界に打って出る準備は整った。マルは機材を整備することにした。リンゴには新しいドラム・キット。ポールにはお気に入りのベース弦。ジョンには彼が好きなギター・ピック。
 だが、セント・ジョンズ・ウッドで酷いことが起こってしまった。6月3日のことだ。サタディ・イブニング・ポスト紙の取材でビートルズの写真撮影をしている時に、リンゴが倒れてしまったのだ。
 ニールはリンゴを病院に運んだ。急性扁桃腺炎および咽頭炎と診断された。ドラマーがいないワールド・ツアーのことをみんなが考えてしまった。それは考えもつかないことだったが・・・マルは日記に書いた。「リンゴなしのビートルズなんて・・・」。

 
 

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