十日町市博物館に行った!
2024年6月9日(日)、十日町市博物館(新潟県)に行った。常設として3つのテーマ別展示があるー「縄文時代と火焔型土器のクニ」「織物の歴史」「雪と信濃川」。
同博物館の笠井洋祐・学芸員(考古学)は「令和2年6月1日にリニューアルオープンしました」と話した。
「盆地地形の中に十日町市があります。河岸段丘が平らな面をつくり出しており、そこに人が住んでいるのです」。
温暖な気候かつ豊富な食物資源に恵まれて昔から人が住み、そのなかで火焔型土器が作られたという。
「およそ500年にわたり継続発展したのです」。
笠井学芸員によると、信濃川流域には遺跡が多く、山間部には少ない。
「今から8000年くらい前から今と同じくらいの冬の降雪だといわれています。それ以前はもっと寒くて、今でいうとシベリアのようだった。それが暖流の影響などで人が住みやすくなった」。
「また、水が豊富。四季があって季節ごとの食べものがある。信濃川を遡上してくる鮭などを縄文人は狙って獲った。木の実や山菜も食べた。そうして、火焔型土器を持つようなグループの人々がこの地域に住むようになったのです」と笠井学芸員。
今回は国宝に特化している特別展示から見て行った。というのもこの日ここに来る前に見た笹山遺跡での火焔型土器はレプリカだったから、今度こそ本物を見てみたかったからだ。
国宝に指定されたのは1点だけの火焔型土器ではない。指定されたのは火焔型土器群なのである。
まず「縄文時代と火焔型土器のクニ」をテーマとする部屋を観た。
笠井学芸員は「火焔型土器が注目されたのは画家の岡本太郎先生が称賛して下さったことが大きいです」という。
岡本太郎はその土器を優れた芸術として称えて自らの作品に取り入れていった。足繫く十日町にも来たようで、市内の人気蕎麦屋「由屋」の看板の文字は岡本太郎のものだし、作品も店に飾ってある。
さて、話は戻る。縄文時代の遺跡は370ヵ所あるが、弥生時代の遺跡はわずか11ヵ所。「河岸段丘が邪魔になるのです。水が十分に得られない。得られる水だけでは賄いきれなくなったのです」。
道具の展示もある。「この地域は石がいっぱい取れた。津南と長野の境では安山岩が取れる。それが流れ着いてきて素材に出来た」。それによって石器、のちには矢じりなどの道具が作られた。
土器にしたって粘土を作る時に砂を混ぜるのは普通だったが、時には植物繊維や動物の毛などを混ぜたという。
次のテーマ別展示部屋は「織物の歴史」だ。
十日町は織物の町そして着物の町として栄えた。
今、着物産業が衰退し、それが町の経済を直撃している。
十日町は豪雪地帯のひとつ。そこでもう一つの展示のテーマは「雪と信濃川」だ。今でも降雪は2,3メートルとなることがある。
昔の生活を再現した部屋がある。
それを見て思ったのは子ども時代に見た津南町にある父の実家とそっくりだということだ。囲炉裏があって、天井が高くて、煙でいぶされて柱などは黒ずんでいた。それを思い出して懐かしくなった。
ただ雪が深いと仕事がない。多くの男たちが東京などに出稼ぎに行った。家を守るのは妻の役目だったが簡単な仕事ではなかった。雪は重い。雪を下ろしてやらないと家が潰れる。下ろした雪も片づけないと固まってしまう。そういう雪かきなどの仕事も重労働。