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三鷹の太宰治

 太宰治は昭和14(1939)年に三鷹での新婚生活を始めた。以来、居を移すことはなく、作家人生における小説約150作のうち、「人間失格」、「斜陽」を含む、およそ90作を三鷹で書き上げた。
 その三鷹の下連雀113にあった小さな家のいくつかの部屋を再現した太宰治展示室「三鷹の此の小さい家」を三鷹市美術ギャラリー(東京都三鷹市下連雀3-35-1CORAL5階)に訪ねた。
 12坪ほどの一軒家(借家)で、六畳、四畳半、三畳の三間、風呂場と小さな庭があった。家賃は24円だった。
 当時の三鷹は農村地帯で、庭からは麦畑が一望できたという。また、のちに太宰が入水する玉川上水近辺には蛍が飛び交い、駅から歩いて行く途中には竹藪や畑があり、夜などは真っ暗だったらしい。
 三鷹に来る前は山梨県甲府に暮らしていたが、文筆生活には不便だったことから引っ越したようだ。
 実際、三鷹からは荻窪に住む師匠・井伏鱒二や、吉祥寺に住む友人・亀井勝一郎らと行き来をして交友を深めることが出来た。

再現された太宰の家の玄関


 太宰はその家の六畳間を書斎として、一回原稿用紙5枚を限度に午後3時前後まで執筆をしていたという。

再現された六畳間の書斎 
再現された仕事机


 太宰は時に絵も描いた。自画像や檸檬や水仙といった静物画だった。しかし、アトリエはおろか絵筆の一本も持たなかった。
 太宰は無頼派といわれながらも子煩悩だった。第一子の長女が誕生したのは夫婦二人の生活が三鷹に落ち着いてから二年と経たない昭和16(1941)年のことだった。
 太宰はその娘を園子と名づけた。太宰の「御伽草子」「十二月八日」「薄明」といった作品には父親としての太宰がうかがえる。

 常設展示品には、昭和20年4月2日付の罹災証明書、田中英光、佐藤佐宛ハガキ、「斜陽」原稿、「グッド・バイ」原稿などがある。
 
 開館時間は午前10時から午後6時。観覧料無料。
 休館日は月曜日、年末年始(12月29日~1月4日)。

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