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ジョンとディランの応酬

 ジョン・レノンはビートルズ時代からボブ・ディランに傾倒していた。
 だが、そのディランが70年代後半に「新生」を強調する「ボーン・アゲイン・クリスチャン」という団体の洗礼を受け、「ガッタ・サーヴ・サムバディ」という作品を79年に発表した時には大きな衝撃を受けたようだ。
 「あなたが何者でも、誰かに仕えなければならない。それがたとえ悪魔だろうが、神だろうが、あなたは誰かに仕えなければならない」と歌った。
 これに対する返歌としてジョンは「サーヴ・ユアセルフ」を書いた。
 「全能の神とやらもいいが、なにか忘れてやしないか。それはあなたの母親さ。そう、母親の影響を忘れちゃいけない。自分自身に仕えなさい。代わりなんて、誰も務めてくれない。悪魔に傾倒しようが、法律を盲信しようが、知ったことではない。だけど自分の魂くらい、自分で面倒みろよ」とディランへの対抗心も露わに歌ったのである。

ボブ・ディラン 「ガッタ・サーヴ・サムバディ」を収録する『スロー・トレイン・カミング』


 ジョンの神についての歌といえば70年の「ゴッド」(神)が有名だ。
 「神はわれわれが自分たちの苦痛を計る際に用いる概念のひとつだ」と定義し、ビートルズなどを信じない、「信じるのは自分自身。ヨーコと自分だけ。それが真実だ」とした。
 同曲が入っているジョンの実質的に最初のソロアルバムとなった『ジョンの魂』の冒頭を飾ったのは「マザー」(母)という歌で「母さん行かないで」と叫んでいる。
 このアルバムの最後を締めくくったのは「母の死」という曲だった。

ジョン・レノン『ジョンの魂』


 ジョンの神についての考え方でカギを握っているのが母親だと思う。
 ジョンの生い立ちにおいて実母ジュリアは気まぐれな存在だった。彼がまだ子ども時代に夫以外の男に走り、ジョンがミミおばさんに預けられたのは有名な話だ。
 そして後半生において一番重要となるのがジョンが「母さん」と呼んでいたオノ・ヨーコの存在だ。
 遺作となったアルバム『ダブル・ファンタジー』(80)収録の「ウーマン」という曲では、ヨーコへの感謝と永遠の愛を歌っている。
 マッチョだったジョンの女性に対する目を開かせ、成功の本当の意味とはなにかを分からせ、男の中にいる子供を理解してくれている、そういう女性であるヨーコへの現在の、そして永遠の愛を歌いあげている。

ジョン・レノン ヨーコ・オノ「ウーマン」


 普通の人にとっては、神というものに近づく(あるいは覚醒する)途中でクリアすべき心の中あるいは魂のゲームである「マインド・ゲームス」ともいうべき混沌とした心理的状況から救ってくれるのが、キリストやブッダやアラーなのかもしれない。
 しかし、ジョンの場合にはヨーコという「母」だったのだろう。
 ジョンは「マインド・ゲームス」(73)という自身の曲で「われわれはマインド・ゲームスをしている。壁を取り払い、種を植えながら。マインド・ゲリラをしている。マントラを唱えながら」、「愛こそが答え。あなたは確かにわかっている。愛とは花。あなたはそれを育てなければならない」と歌っている。

ジョン・レノン『マインド・ゲームス』


 ジョンはマザー・コンプレックスだったのだろうか。マザコンというのは辞書によると「自分の行為を自分で決定出来ず、母親に固着し、いつまでも支配されている心的傾向」とある。
 しかし、ジョンの場合「自分の行為を自分で決定」するためにいろいろな意味で守ってくれる大切が母親的存在ということなのだろうが、それはマザコンとはちょっと違った意味合いではないだろうか。
 しかし、ジョンの先妻シンシアは生前、ジョンがヨーコに傾倒していったのは彼がマザコンだったからではないか、という仮説をたてていた。
 「自分自身に仕えろ」と言ったジョンはマインド・ゲームスを乗り越え「スターティング・オーバー」(再出発)した矢先に凶弾に倒れた。
 一方、「誰かに仕えなければならない」と歌ったディランは現役バリバリでライブ会場を沸かせている。

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