近江・三井寺を訪ねる①
滋賀県大津に来ている。びわ湖畔は歴史豊かな土地だ。
いい所だ。権力者たちが拠点を置きたがったのが分かる気がする。
どこか一カ所でも観光をということで三井寺(みいでら)を訪ねた。
そもそもは飛鳥時代にまでさかのぼることができる古刹だ。
天智、天武、持統天皇の産湯
7世紀に天智天皇ゆかりの寺として創建された。その寺名は、天智、天武、持統の3天皇の産湯を汲んだ御井(みい)にちなんでいる。
その後、大寺院となるが、長い歴史のなかでは度々戦禍を被ってきた。しかし、その都度、復興したことから「不死鳥の寺」と呼ばれている。
35万坪におよぶ広大な境内には国宝、重要文化財の堂塔伽藍が立ち並び、古より近江を代表する景勝の地として、また桜の名所として親しまれている。境内には1300本の桜がある。
三井寺は「源氏物語」の作者・紫式部との縁も深い。紫式部の父親の為時は晩年三井寺で出家したと伝えられる。母親の兄弟だった康延は宮中の仏事や天皇の安寧を祈る役目に任命されていた。
では境内ツアーを始めよう。
まずは仁王門(重要文化財)だ。1452年の建立。浄域への表門として1601年、徳川家康により甲賀の常楽寺より移築された。
門を入り右手にあるのが食堂(じきどう)あるいは釈迦堂。室町時代に建立された重要文化財。御所の清涼殿を三井寺に移築したものだと伝えられている。多くの僧たちによって使われた中世の「食堂」の古式を今に伝えている。食堂の前には弁財天がある。
食堂を出て仁王門を背にして真っすぐに進んでいき、階段を登ると国宝の金堂(本堂)がある。本尊の弥勒仏は天智天皇が信仰していた霊像で、秘仏として静かに祀られている。現在の金堂は豊臣秀吉の正室・北政所によって1599年に再建されたもの。桃山時代を代表する名建築で天台系密教仏堂の形式を今に伝えている。
金堂の中には多くの仏像が安置されている。主だったものを挙げるだけでも:大黒天半伽像(室町時代)、北極星を神格化した尊星王像(江戸時代)、地蔵菩薩立像(南北朝時代)、毘沙門天立像(鎌倉時代)、聖徳太子立像(室町時代)、宝冠釈迦如来坐像(室町時代)、円空仏(江戸時代)、大日如来坐像(平安末期)、不動明王立像(平安時代)、十一面観音菩薩立像(平安時代)、不動明王二童子像(室町時代)、千手観音像(江戸時代)ーーーとお宝が並ぶ。ちなみにこれらは撮影不可だった。
有名な三井の晩鐘(重要文化財)もここにある。1602年に再建されたもの。宇治の平等院、高雄の神護寺とともに日本三名鐘に数えられ、その荘厳な音色は有名。有料でつける。除夜の鐘としても鳴らされるのはここ。高台なのでよく響き渡りそう。
一切経蔵(重要文化財)は室町時代の建築で、三井寺唯一の禅宗様建築だ。1602年に毛利輝元により山口県・国清寺より移築された。堂内には高麗版一切経を治める回転式の八角輪蔵がある。
「弁慶の引き摺り鐘」(重要文化財)が面白い。奈良時代。弁慶が三井寺から奪った鐘を比叡山に引き摺り上げたといわれるが、これを打ち捨てた。引き摺ったりぶつかったりした「傷」が残っている。
三重塔(重要文化財)。1601年に徳川家康が三井寺に寄進した仏塔。奈良県吉野の比蘇寺(今の世尊寺)の東塔で秀吉が伏見城に移していたものを再び移建したという。
唐院唐門(重要文化財)は桃山時代の建立。そこを入ると唐院潅頂堂(重要文化財)で、寺院の密教を伝承する道場だ。
(続く)