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映画「ビートルズの軌跡」

 「1ペニーもするジャムをトーストに塗るジョンを見て、ポールは心配していました」とビートルズの「初代マネージャー」アラン・ウィリアムズは、今年82歳になり10億ポンド稼ぐポールの若き日のことを回想した。
 ビートルズが1962年秋にシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビューする以前に焦点を当てた映画「ザ・ビートルズの軌跡 リヴァプールから世界へ(The Beatles: Up Close and Personal)」(2008年/イギリス/72分)を2024年7月5日(金)、アップリンク吉祥寺で観てきた。
 この映画は16年前の作品だ。なぜ今まで日本で公開されなかったのかを考えてみるに、極めて生真面目な作り方をされているからではないかと思った。プッシュするにはセンセーショナルな要素がないのだ。
 監督はボブ・カラザーズ。スコットランド出身で、1981年にエジンバラ大学を卒業した後、テレビ局に入り、ドキュメンタリー制作会社を立ち上げる。歴史やアートが得意分野の人だが音楽にも造詣が深い。

ビートルズ


 そのボブが手がけたこの映画には何人かの当事者たちが登場し、ハンブルク巡業、リヴァプール席巻、当時英国最大のレコード会社だったデッカとのオーディション、さらにはメンバー交代劇について当時を振り返る。
 少なからぬビートルズ映画では彼らの音楽が使われていないが、この作品ではエド・サリバン・ショーの映像と共に4人の楽曲が使われている。
 アランが映画の冒頭に出てくる。リヴァプールのクラブ「ジャカランダ」のオーナーとして彼らと接して、ハンブルク巡業を手がけた人物だ。
 アランは2016年暮れに亡くなっており、今では貴重な証言である。
 ジョン・レノンとスチュアート・サトクリフに最初に頼んだ仕事が、女性客のいたずら書きのあるトイレの「改修」だったという逸話が面白い。

アラン・ウィリアムズ


 また、ビートルズのデビューを間近にしてドラマーの座をリンゴ・スターに譲ったピート・ベストも証言している。なぜ解雇されたのかなど多くの証言が交錯しているが、ピート自ら口を開いた。

ピート・ベスト

 ピートはリヴァプールで「ベストなドラマー」だといわれていたという。だが、ビートルズの他の3人とは性格などがやや異なっていた。だから4人目の「ビートル」にはなれなかったというのだ。
 そのことがチラシにもあるように「ベスト・ドラマーが去り、グレート・ビートルがやってきた」ということだった。
 そう、他の3人とのケミストリーが抜群だったリンゴ・スターだ。
 また、ジョージ・マーティンの要請でビートルズのレコーディングに参加したセッション・ドラマーのアンディ・ホワイト、『ラバー・ソウル』までチーフ・エンジニアを務めたノーマン・スミスらも当時を回想している。

ノーマン・スミス


 他にはツアー・マネージャーだったトニー・ブラムウェル、PR担当だったトニー・バーロウ、評論家のアラン・クレイソンも証言している。
 冒頭で強くプッシュする要素がない映画だといった。それはこの作品が見るべき作品ではないということではない。証言を丹念に積み重ねていくのは大切なことで、ここでもその努力が見られるからだ。
 そして特筆すべきは映画パンフレットの充実ぶりだ。
 字幕監修のビートルズ研究家・藤本国彦さんやビートルズ研究所・所長にして世界でも有数のビートルズ関連品の鑑定士である本多康宏さんなどの読み応えのある文章が掲載されており、ぜひ手にとってもらいたい。
 なお、アップリンク吉祥寺の見事なディスプレイはビートルズ研究所(東京都新宿区下落合1-3-16ジョリーメゾン407)が協力して提供している「お宝」などによるものだ。

映画の宣伝用ディスプレイ@アップリンク吉祥寺 
映画の宣伝用ディスプレイ@アップリンク吉祥寺



 

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