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ビートルズ側近マルの本⑨

 【スピリチュアル・ビートルズ】ビートルズが世界ツアーを目前にしているタイミングで、ドラマーのリンゴが病に倒れてしまった。
 だが、マネージャーのブライアン・エプスタインはことをそのまま進めたかった。というのも、ここ数か月間、ブライアンは会場、ホテル、車などもろもろについてプロモーターたちとやり取りしてきたこともあって、キャンセルなどは到底ありえないことだった。
 もしツアーが中止になれば、訴えられる可能性もあった。そうなればビートルズの名声も傷ついてしまうのではないかと怖れていた。
 プロデューサーのジョージ・マーティンはブライアンの理解者だった。ただし、彼の場合は「show must go on」という古い考え方からだった。
 ジョージ・ハリスンはリンゴなしでツアーを進めることに断固反対した。ジョージ・マーティンは覚えている。「ジョージ(・ハリスン)はとても律儀な男です。彼は言ったのです「もしリンゴがグループにいないのならば、それはビートルズではない」と」。

リンゴ・スター


 マル・エバンスはジョージと全く同意見だった。
 一方、ジョンとポールは、リンゴなしでコペンハーゲンに向かうことにそれほど困惑しているようには見えなかった。
 臨時ドラマーを雇おうとなった時、ピート・ベストが一時候補に挙がった。だが、ジョンがすぐさま却下した。ピートが自分のバンドで活動していたからだ。「ピートを連れてきても、それは彼にとって良くないことだ」。
 ブライアンの立場を理解していたマーティンは、ジミー・ニコルというドラマーに電話を入れた。ジミーは「Shubdubs」というバンドなどでプレイしていた。彼はアビーロードに呼ばれ、5曲リハーサル演奏した。
 マルはジミーに名刺を渡した。「ここに電話番号が書いてある。何かあったら、いつでも24時間いつでも電話をしてきなさい」と言った。
 ヨーロッパ大陸へと向かう飛行機の中でジョン、ポール、ジョージは操縦士をネタにユーモアセンスを発揮した。操縦士が、リンゴがいないことを知らずにリンゴのサインを欲しがったのだ。ジョージはポールに言った。「さあ、リンゴ、操縦士さんにサインをしておやりよ。いいだろ」。
 リンゴは語っていた。「彼らはジョージ・ニコルと行ってしまった。思ったよ、彼らは僕のことをもう愛していないんじゃないかって」。
 6月3日、一行はアムステルダムに着いた。その頃にはジミーはビートルズのツアー生活のリズムになじんでいた。

アムステルダム


 3人はジミーの「イージー・ゴーイング」なところを楽しんでいた。ジミーの口癖は「ああよくなるよ(It's getting better)」だった。
 オランダの警察は過剰な警備をしなかったので、彼らは街中を自由にぶらつくことが出来た。ジョージはある午後のことが忘れられないという。ボートで運河を進んでいると、対岸には3万人ものファンがいて、こちらを見ていたのだ。
  オランダでのショーが終わった夜、彼らはブライアンが帰国したのをいいことに、暗闇に乗じて冒険に打って出た。運河沿いに並ぶ売春宿を見て回ったのだ。着いた時には真っ暗だったが、立ち去る時にはもう明るくなっており、対岸には数千人のファンがいて「イエィ、ビートルズ」と叫んでいた。
 彼らは急いでホテルに引き揚げたのだった。
 リンゴの代役を務めたジミー・ニコル。彼はのちに記した「ビートルズの一員になる前は、女性は誰一人として僕を見ることさえなかった。しかし、僕がスーツを着て、リムジンの後部座席にジョンやポールと一緒に乗っていると、彼女たちは僕に触れようとした」。
 

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