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Interview by KUVIZM #14 Gerardparman

ビートメイカーのKUVIZMが、アーティスト、ビートメイカー、エンジニア、ライター、MV監督、カメラマン、デザイナー、レーベル関係者にインタビューをする"Interview by KUVIZM"。

第14回は、ビートメイカーやDJなどの活動でよく知られるGerardparman氏にインタビューをおこないました。Gerardparman氏はしばらくの間、一般社会から離れることになっているため、その前にインタビューを敢行しました。

2024年1月24日よりGerardparman名義のアルバム『Free Gerardparman』が配信中。全7曲で、018、Maiji、9for、泰斗 a.k.a. 裂固、GOMESSらが参加している。

【Gerardparman プロフィール】
1993年生まれ。
レーベルMelo Soda主宰。
福岡北九州を拠点に独自のサウンドを拡散。
DJとしてBlack musicを中心に変幻自在に色を変えるPLO styleで地下箱からパーティー箱まで全国何処かに出現。
不定期で発売するMIXCDは好評で毎回完売。
2019年よりBeatmakerとしても活動。
近年はProducerとしてMelo Sodaから作品を量産。
2023年5月、Melo Sodaより最新作「Life Is So Good 2」リリース。
2024年より諸事情により約1年半の活動休止を予定。

X: https://x.com/Gerardparman92
Instagram: https://www.instagram.com/gerardparman


ビートメイクを始めるまで

KUVIZM:
本日はよろしくお願いします。まず最初の質問ですが、ビートメイクはいつから始めましたか?

Gerardparman:
26歳くらいだと思います。
でも、17歳の時からラップとDJをしていました。

KUVIZM:
ラップもしていたのですね。

Gerardparman:
はい。ラッパーの創明と作った『Shutdown』は俺がラップをしている曲で、MVがYouTubeにあります。
この曲はビートも作りましたが、ビートメイクを始めてから1年が経ってないくらいの時のビートです。

KUVIZM:
そうだったのですね。DJについてですが、GerardpamanさんのDJは、曲を繋ぐだけではなくターンテーブリストとしての印象もあります。

Gerardparman:
DJの師匠がDMC(DJの大会)などに出ていたこともあり、普通のDJだけではなくそういうこともやり始めましたね。

KUVIZM:
なるほど。DJとはラップはどのくらいの比率でやっていたのですか?

Gerardparman:
DJ7、ラップ3くらいでしたね。あくまで、自分の中でのメインはDJでした。

KUVIZM:
HIP HOP自体はいつから、どのようにして好きになったのですか?

Gerardparman:
小学生3年か4年くらいに、MTVでEMINEMや50 CentのMVを観てからですね。
最初は、EMINEMの『The Eminem Show』や、50 Centの『Get Rich or Die Tryin'』、Ludacrisの『Chicken-n-Beer』、T.I.の『Urban Legend』を聴いていました。
あと、家の近くのCDショップの店長がDJをしていて、ブートのミックスCDを売っていたのでそれを聴いて育ちました。

中学校2年生頃からは日本語ラップも聴き始めるようになりました。SEEDAの『Green』をCDショップで取り寄せて買ったり、ZEEBRAや般若、RHYMESTER、童子-Tとかを聴いていました。コテコテな感じですね。地方なので、アンダーグラウンドの情報があまり入ってこなかったんです。

次第に耳の好みも変わって、Talib KweliとかNasとかリリシストなラップを聴くようになっていって。
THA BLUE HERB、Shing02とか、神門、POCKY(現PEAVIS)、COMACHIなども聴いていました。
THA BLUE HERB『STILLING, STILL DREAMING』は尖った感じの日本語でクールにラップするスタイルに食らいましたね。

KUVIZM:
学生時代と言えば、ニート東京で海外での生活についても話していましたね。

Gerardparman:
中学2年生の時に、ロスとニューヨークに数か月いました。
母親が服のバイヤーをしていて、よくアメリカに行っていたので、「一緒について行く?」と言われて、行きました。当時、同級生と馬が合わなかったのもあるし、HIP HOPが好きだったので。
現地では、親の知り合いがいたので相手をしてもらいました。母親は途中で日本に帰ったりで、居たり居なかったりでした。

KUVIZM:
アメリカでの生活は今の音楽活動に活きていますか?

Gerardparman:
はい。

アメリカで一回殺されかけたことがあって。
パサデナというところに居たときに、夜に1人で外に出たんです。そうしたら、ギャングのキッズみたいなヤツに絡まれて、「金出せ」みたいな流れになって。本物かどうかわからないけれど、銃を持ってて。よくわからないまま財布を出したら解放されて、ギリ助かった。
その後、泣きながら部屋に帰ったんですけれど、ラジオで、Nasの『Life's a Bitch』が流れていたんですよね。その曲を聴いて気持ちが救われて。
曲の内容的にも、「人生はクソだけれどやっていくしかない」みたいな感じだから、その曲のお陰で”生かされた”と思うんですよね。
それで、「HIP HOPをやれ」みたいなことを感じて、帰国後にDJを始めて、今にたどり着いているので、殺されかけた体験は貴重だったかなと思います。

KUVIZM:
すごいエピソードですね。帰国後、DJはどのように始めたのですか?

Gerardparman:
17歳の時にレコードを買い始めてDJを始めました。DJの師匠がレコードでDJをやっていて、当時は「パソコンでやっているDJはDJじゃねえ」みたいな時代だったので。今でもバイナルは買っていて、家に2、3000枚とかおいています。最初からずっとHIP HOP DJです。

ビートメイカーとして

KUVIZM:
DJやラッパーとしての活動を経て、ビートメイクはどのようにして始めたのですか?

Gerardparman:
地方で、DJで飯を食うのって限界があるなと思ったんです。曲を出していないDJだと、毎日、箱付きのDJをやるとかじゃないと、食えないと思うんですよね。それを24歳くらいで気づき始めて。
nicejokeというクルーでも活動していたのですが、相方の2人がUMB(MCバトルの大会)に出ていたので、「2人が頑張ってくれれば俺も有名になれる」といった考え方をしちゃってて。途中でそれが間違いだということに気づいて。

それだと俺のDJ人生は、2人のラップの頑張りに託すことになるし、賭けじゃないですか。
「自分の力で飯を食うことを考えないと」と思って、26歳くらいからビートメイクを始めました。

でも、18歳ぐらいの時から、「かっこいいビートは作れる気がする」っていう根拠のない自信があったので、それを信じて、「とりあえずやってみるか」という気持ちでビートメイクを始めました。

KUVIZM:
Gerardparmanさんは多作ですし、今は10代 からビートメイクを始める人が多いので20代半ばからビートメイクを始めたのは意外でした。

Gerardparman:
10代のころはMPC(ビートメイクなどで用いられるAKAIの機材)が主流でしたし、「MPCの触り方わかんねぇ」みたいな感じで。本格的にビートメイクを始める1年前くらいにMASCHINE(サンプラーに近い操作感のソフトと機材)を1回買ったのですが、パッドを叩くのが苦手だから、1回諦めたんです。

KUVIZM:
今はソフトは何を使っていますか?

Gerardparman:
FL Studioですね。

Trapが流行りだして、「Trapを作っている人は何のソフト使ってんだろう」と思って調べたら、FL Studioというソフトだったので買ったんです。

元々、アンダーグラウンドのHIP HOPが好きだったのですが、DJとして渡り歩いていく上で「今の曲もちゃんと聴かないと」って思って、Trapも聴き始めたんです。

EDMの明るいサウンドが流行っていた頃の時期が終わって、Trapが流行りだしてHIP HOPのサウンドが暗くなったんですよね。
あのサウンドは俺が聴いてきたアンダーグランドのHIP HOPに通じるものがあると思うんです。
オバマからトランプに大統領が変わってアメリカの情勢も暗かったので。
俺が聴いてきた90’sのアンダーグランドのHIP HOPも、何が売りかと言うとサウンドが暗いとか、いかにドープかみたいなところの勝負だったんです。
で、自分でTrapも作りたいと思うようになったのでFL Studioにたどり着きましたね。

KUVIZM:
FL Studioの使い方はご自身で調べながらですか?

Gerardparman:
そうですね、1から勉強しましたね。

KUVIZM:
Gerardparmanさんはサンプリングもするし、打ち込みもしますよね。そして色んなビートを作りますよね。

Gerardparman:
はい。
いろんなビートを作れるのは、自分が時代の中間層みたいなところにいるからかなって思います。
自分より下の世代は古い曲をあまり聴かないし、上の世代は食わず嫌いで今っぽい曲を聴かない人が多いので。古い曲と今の曲の両方の良さをちゃんと分かって出せているのは、自分の世代くらいしかあまりいないんじゃないかなと思っています。

KUVIZM:
ビート提供はどのように始めたのですか?

Gerardparman:
友だちとやることから。自分のクルーや、Maiji(ベゲfastman人)にビートを聴かせて、ラップをしてもらうことから始めました。
今も一緒に音楽をやっているColteっていうラッパーとは、ヤツが16歳くらいのころから作っていますね。

KUVIZM:
ビートメイカーとしての知名度が全国区になるきっかけは何でしょうか?

Gerardparman:
なんだろう。北九州の勢いがあって注目された時期があったんです。Junction Threeや、Maerd54、ベゲfastman人とか。
福岡市が、BASE(親不孝通りにあったクラブ)が無くなって氷河期みたいな時期で、アンダーグラウンドなHIP HOPが少なくなっていたというのもあると思います。今みたいにDADAやYvngboi Pが出てくるのもその後だったので。

あと、自分の曲では、ぜつ(NF Zessho)がfeat.した『Utopia』がヒットしたのもあると思います。ストリーミングサービスでトータル500万回くらい再生されたのかな。

KUVIZM:
NF Zesshoさんとはどのような経緯で曲を作ったのですか?

Gerardparman:
ぜつ(NF Zessho)は元々福岡に住んでたので。10代の時にパーティーで一緒になってから、ずっと知ってて。
ビートを作り始めた時に、ぜつにビートをずっと送っていたんです。ぜつもビートを作ってて、かっこよかったから。ぜつもFL Studioを使っていたので、使い方を教えてもらいつつ。
ビートを送っても、大体「微妙っすね」みたいにいい反応が返ってこないのですが、『Utopia』のビートだけは「めっちゃいい」って言われて。
1日くらいでラップのアカペラがきて、やりとりを繰り返して曲が完成して、曲を出そうっていうところから、Gerardparmanのソロ名義での音源活動が始まってます。ぜつにはマジで感謝してますね。ビートメーカーの師匠でもある。

KUVIZM:
そういえば、インタビューをする前にスタジオにいた9forさんとはどのように知り合ったのですか?彼は横浜ですよね。

Gerardparman:
俺が主宰するイベントに呼んだときに、スタジオに連れてきて、ひたすらビートを聴かせて、「曲作るぞ」って半分脅しで曲作らせたのが最初ですかね(笑)。本人からしたら、知らない場所に連れてこられて、爆音でビート聴かされて何が何だかわからない感じだったと思うのですが。

9forは、その前からも小倉にKMB(小倉MCバトル)で何回か来ていますね。
俺、ラッパーとしてKMBで優勝もしてるのですが、優勝したのを機に「もうMCバトルはしたくない。MCバトルのDJならします。」って言って、KMBのDJをするようになったんですよ。KMBは、優勝するとKOKに行ける枠があるので、その関係もあって今はKOKでバトルでビートも使ってもらってます。ありがたいです。

Melo Sodaとスタジオについて

KUVIZM:
ご自身が主催するMelo Sodaについて教えていただけますか?

Gerardparman:
Melo Sodaは俺の独断というか、ノリで作ったレーベルみたいな感じです。
単純に俺がメロンソーダを好きだからMelo Sodaという、名前からしてめちゃくちゃしょうもないんですが。
俺、自分のクルーとか、次に何かをするなら、メローなんとかにしようと思っていたんですよ。小学生の時に流行っていたポルノグラフィティの『ネオメロドラマティック』という曲があって、語呂がめっちゃいいじゃないですか。
“ネオ”と”ドラマティック”は、あんまりひっか引っかからなかったのですが、”メロ”にすごい引っかかって、”メロ”を使いたいっていうのと、ただ単純にメロンソーダが好きでつけました。

KUVIZM:
Melo Sodaから出すアーティストは、Gerardparmanさんがビートを作るだけではなく、プロデュースで深く関わっているのですか?

Gerardparman:
そうですね。ただ一緒にレコーディングをして、曲を作るだけではなく、歌い方などもプロデュースをします。はっきり発音するラップするか、マンブルみたいな感じでラップするか、みたいな、そういう微妙なニュアンスもめっちゃ言ったりします。

KUVIZM:
MVやアーティスト的な見え方などもプロデュースしますか?

Gerardparman:
めっちゃしますね。若い子たちは、たぶん自分の強みを知る機会が少ないので。
例えば、貧乏だったら、そういうところをみんなに伝わるようなラップをしたらいいんじゃないとか、ラッパーとしてのキャラクター性の話はすることは多いですね。
そいつの生活スタイルに合わせて、「お前の強みはこういうところだから、 そこを伸ばしていけばいいんじゃねぇかな」みたいな話は日常的にみんなとしますね。

KUVIZM:
リリックについてもプロデュースしますか?

Gerardparman:
リリックはあんまり俺が口を出すところじゃないかなと思っているのですが、あまりにも実生活と違いすぎるようなことを言っていたら突っ込みます。

KUVIZM:
話は変わりますが、楽曲制作とドラッグの関連性はありますか?

Gerardparman:
ありますね。
ビートメイカーを始めたての頃に、ラッパーを家に連れて行って。用意しておいた30グラムくらいのXXXを「どうぞ」って言って。いい感じになった後くらいに、「あの、曲作りませんか?」って言う。その戦法を、ほぼ全員のラッパーにやってきましたね。

KUVIZM:
小倉という街に怖いイメージもありますが、音楽活動をしていく上で、怖い思いをしたことはありますか?

Gerardparman:
反社みたいなレベルの怖さの先輩は多かったですね。けれど、俺は「お前は音楽頑張ってるから頑張れよ」みたいな感じで、大体許してもらいましたね。

ある日、バーに入ったら、俺と同い年のヤツがめっちゃ怖い先輩に壁ドンされてて。
とんでもない場所に入ってしまって、すぐ出るのもちょっとできないじゃないですか。なので、ほとぼりが冷めるまで、自分が存在するかしないかくらいの存在感でその場に居たんですよ。
そうしたら、急に先輩が俺の方に振り向いてきて、「お前は頑張ってるからもっと頑張れよ」って言われて、また同い年のヤツのところに「お前何してんだよ、殺すぞ」みたいなことを言っていて。その時に初めて「うわ、音楽真面目にやってきてマジでよかった」と思いました。

KUVIZM:
笑。普段、スタジオとして使用している場所は、楽曲制作をしたり、仲間とのたまり場になっている感じなのでしょうか。

Gerardparman:
そうですね。毎日、制作をしているか、毎日、スマブラをしているか。総合格闘技をやっていた後輩たちスパーリングをよくやってます。喧嘩は絶対ないですが。

KUVIZM:
スタジオで、ビートメーカーはGerardparmanさんだけですか?

Gerardparman:
基本、そうですね。ビートスクールもしているんですよ。ようやく、その後輩たちが色んなところにビート提供するようになってきたかな、という感じです。教えると言っても、一緒にビートを作ってるだけなのですが。教え始めてから教えることがなくて後悔して、「もうあとはセンスだね」みたいな。

SNSとかでビートスクールを6回に分けてやっている人を見たりしますが、すごいなと思います。多分、みんなここには俺と遊びたいから来ている。

KUVIZM:
スタジオ=Melo Sodaと言っても過言ではないですか?

Gerardparman:
ノリはそうなのですけれどね。でも、ベゲfastman人はMelo Sodaではないので。
一応括りは違うんですよ。ベゲはベゲという感じで。必ずしもMelo Sodaだからここにいるというわけではないですね。仲がいい友達が集まって、1つのスタジオ使っているという感覚には近いです。

KUVIZM:
このスタジオが小倉のHIP HOPシーンの中心地という感じですか?

Gerardparman:
みんなで集まってやっているという意味ではそうなんですが、小倉にはマッキンさん(INGENIOUS DJ MAKINO)というtha BOSS舐達麻のビートを作っている人がいて。地元で全員がリスペクトするOGで。そういう人たちがいるので、自分たちが小倉でHIP HOPを発信しているというよりも、その人たちが発信していると思っています。

マッキンさん、ビートかっこいいので聴いてみてください。生き様もかっこいいし。

音楽活動を続けていくうえで

KUVIZM:
「小倉という街を盛り上げていきたい」といった気持ちもあるのでしょうか?

Gerardparman:
ないです。ないっていうと嘘になるかな。
自分が有名になることが1番街を盛り上げることになるのかなと思っています。街を盛り上げようとするとイベントをするとか、そういう方向になってくるんですよ。イベントをするパワーと、曲を作るパワー、使うパワーが全然違うじゃないですか。

街を盛り上げる方にパワーを使いすぎると、自分のしたいことをできなくなるんですよ。
例えば、自分が有名になって勝手にお客さんが来てくれるのと、こちらから色んな人にDMを送って「遊び来てよ」みたいなことをするのとでは、全然、労力が違うので。

一時期、イベントの主催をすごく頑張っていたのですが、自分自身に武器が無かったので、都会から来たゲストをヨイショするしかできなかったんですよ。ゲストを呼んで、ご飯を一緒に食べて、終わるみたいな。自分が不甲斐なかったんですよね。それだけで終わることが多くて、それが嫌でビートを作り始めたっていうのもありますね。イベントが終わった後に、「曲を一緒に作りましょう」って言えるようになれば違うのかなとか。

BESさんとはそういった流れで曲(『通り名』)を作れました。「自分みたいな無名のやつでも一緒に曲を作れるんだ」みたいな、自信がすごく出ました。
プロデューサーとしての1歩目は、あの人が踏み出させてくれたと思う。

その前から身内とは曲をいっぱい作っていましたが、知名度もあってリスペクトもしているラッパーの人がそういう風に認めてくれたというのは、感動しましたね。

イベントも頑張らなければいけないのですが、イベントを頑張るよりも自分で曲も作った方が周りの反応がいいってことがわかったんです。
DJとしてもぶちかましていたので、DJとしてのプロップスはありましたが、心の中では舐められている感じがあって。それもあって今の活動に至っているというのはありますね。

あと、音楽って続けることの方が大事じゃないですか。

音楽を頑張っていたのに、女性のファンと付き合って、結婚して、音楽やめるみたいな、そういうやつばっかりなんですよ。
本当はラップ上手くなりたいとか、有名になりたいとか、そういう気持ちがあって始めているはずなのに、幸せな家庭を作ってフェードアウトするのって本末転倒だなって思っていて。人の人生としては幸せなのですが。

「なんでそこに行っちゃったんだ」って思うことも多いので、音楽はたぶん売れることより続けることの方が難しいと思うんですよ。趣味でもやっぱ音楽を続けている人の方がすげえなって思います。

KUVIZM:
ご自身が音楽を続ける上で、工夫してることはありますか?

Gerardparman:
ないかなぁ。これくらいしか取り柄がないので。音楽をやめたくなる時はないですね。
「もうこれしかないかな」と、思い込んでるんで。

KUVIZM:
なるほど。音楽のモチベーションは何ですか?

Gerardparman:
HIP HOPを更新したいんですよね。
日本語ラップとかじゃなくてですよ、HIP HOPそのものを更新させたくて。
HIP HOPって、ちょっとずつアップデートしていく積み重ねじゃないですか。更新していく中の1人に入りたいなって思います。更新していきたいですね、HIP HOPのその歴史を。
そういう気持ちで作っているかな。

KUVIZM:
ビートメイクでスキルアップやレベルアップで意識していることはありますか?

Gerardparman:
作り続けるしかないんじゃないですかね。1日10個とか。 努力って、後から気づくものじゃないですか。
作り続けないことには、明日もないんじゃないかなっていう。

KUVIZM:
アイデアはどのように引き出していますか?

Gerardparman:
ひらめきみたいものはあるのですが。

警察に捕まっていた時に、俺が唯一音楽に関して書いたメモが「EXILE サンプリング Drill作る」だったんですよ。
なぜかと言うと、留置所で2日に1回くらいのペースでEXILEのベストアルバムが流れていたからなんですよ。
留置所って、場所によって流れる音楽が違うらしくって、大きい留置所ならラジオとかが流れるのですが、自分捕まったのが田舎の署で、CDコンポだったんですよ。
日替わりというか、朝昼晩で、そのときにいる警察の人の好みでCDが変わるんですよ。若いヤツに気をつかってか分からないけれど、EXILEとAdoと浜崎あゆみが半端なく流れていたんですよね。

Adoを聴いていて気が狂いそうになったけれど、「中田ヤスタカすげえな」とか思ったりもして。多分、ONEPIECEの映画のアルバムだったんですよね。

そういうのも一応全部インスピレーション。インスピレーションはいろんなところから。

KUVIZM:
インプットで意識していることはありますか?

Gerardparman:
意識はしていないですね。けれど、あまり日本語ラップは聴かないようにしています、日本人のヒット曲を聴いた後に、影響を受けてビートを作っても、”HIP HOPを更新する”こととは真逆なことになるので。

KUVIZM:
例えばDJの活動が曲作りに活きることはありますか?

Gerardparman:
俺の曲、音抜きが多いんです。あれは、DJの経験によるものです。

昔、イベントで、ラッパーのバックDJがいなくて、俺がずっとバックDJをすることが多かったんです。1日7組とか。
そうすることで、音抜きをどこでやるべきかわかるようになったんです。
ラップぴったり、タイトにはめていくラッパーには、じゃあ小節の最後で抜いた方がラップが映えるとか。小節の最初のキックがドンって鳴ってからラップ始める人は、キックのドンのところで音抜くと、”間”が生まれてかっこよくなる。そういうことを事前に打ち合わせもなしでやっていたんですよね。
ラッパーによって異なるのですが、どこで音を抜けば、言葉やフローが映えるのかっていう感覚がわかるようになったんです。
曲を作る時に、他人の曲から影響を受けることもあるのですが、音抜きについては全然影響受けてないです。多分自分が作っている、自分が影響を与えている側だと思います。 

一般社会から離れる前に皆さんに向けて

KUVIZM:
最後の質問になりますが、数年、一般社会から離れることをSNS公表していますよね。リスナーの方などにメッセージはございますか?

Gerardparman:
1年4ヶ月離れます。大麻取締法という法律で捕まりました。
みんな生きたいように生きてくれって感じですね。
今ある1日1日は、当たり前じゃないんですよ。
今こうやって普通に人と会話してること、それだけでも幸せなことなんですよね。
そんなことが刑務所の中ではできないんですよ。
外の世界で生きていくことを不自由に感じる人もいるかもしれないですが。
今こうやって普通に外で当たり前のようにしている生活はマジでめっちゃ幸せなんで、その小さな幸せを忘れないでほしいかなって感じです。

KUVIZM:
インタビューは以上となります。ありがとうございました。

Interview by KUVIZM バックナンバーはこちら
(MESS氏、塩田浩氏、小森雅仁氏など)
https://note.com/kuvizm/m/mb5dcc2fd6d61

KUVIZM
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