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だらだらと、嫌な感じ

わたしは、小さい頃からデブとかブスとか言われてきた

幼稚園のまわりの友達はすごく可愛い子が多く、「見た目の良い子が何となく優先される感じ」を言語化はできなくとも肌で感じていた

小学校では4年生のときに1年弱、不登校だった
人が怒鳴る声がすごく苦手なのだ
よく言えばにぎやかなクラスだったので、先生がよく、友達を叱るシーンを見たり聞いたりして、勝手に自分も一緒に苦しくなっていた。怒られてる本人よりも、たぶん傷ついていたように思う。

よく言えば繊細で優しい、悪く言えば気が小さくて自分を保てない、そんな子だったから
活発な所もあったけど、私の中には、弱さの方が占める割合が大きいので、根はすごくネガティブなんだと思う

中高の友達も、とっても可愛くて、学年で五本指には入る子とつるんでいた
わたしはその子が友達として好きなので、別に良いんだけど、劣等感はずっとあった
その友達もまた、自分が可愛いことをしっかりわかっていて、私のことを少しバカにしたような扱いをすることもあった

親には「まんまるで可愛い」と笑いながら言われていて、それを愛情として受けとれずに、細くて端正な顔立ちでなければ、こうやって他人にバカにされるんだと思うようになっていた
今思えば、すごく愛されていた

細くないと笑われる、ブスなんだからせめて、デブからは卒業しないと、と中2の時に決めて、ダイエットして、痩せた
運動部だったから、食事を調整して、カロリーを気にして、痩せた

それからはずっと痩せていたので、少し自信になっていたけど、ボディイメージも、食事への態度も、とっても歪んでいた
今は太ってしまっているのだけれど、今も食事観はとても歪んでいるのできつい

もうこれ以上は書かないけれど、見た目のことで、たくさん傷ついて、不安になって生きてきた
周りに比べられて、私も自分で周りと比べて、落ち込むことが毎日のようにあった
小学校の時に言われたことでも覚えてるくらいだよ
傷は深いし消えない

少し成長して大学生くらいになると、もう少し、色々なことを考える時間と余裕ができたけど、
数年の間にいくつかの大きな出来事によって、私の心は常にギリギリだった

私はこう考えた

成長過程での環境が、わたしの心をだめにした
周りのみんなは、無意識にわたしを傷つけた
仕方ない、わたしが自分を否定してしまうのは、過去の境遇のせいだ
わたしの中のルッキズムは、わたし以外の誰かによって作り上げられた、わたしはわたしを愛したいだけなのに

わたしは傷ついたと声に出して言っても良いのだ

今までよく頑張ったね、と自分を甘やかした

自分に優しくなれて、その時はすごく嬉しかった
少しだけ、ありのままの自分をあきらめつつも受け入れる、そんな態勢ができたような気がしていた

私は普通くらいには勉強ができたし、そこそこ相手の気持ちを読み取ることもできて空気を読んで発言できるし、陸上競技が好きで結果も残せていて、まあそんな日常の、小さな積み重ねで、人並みよりは少し小さいけれど、自信もついていた

でも20代になって、わたしも周りの人を傷つけてきたことに気付いた
相手が嫌がることを意図して言ったり、直接嫌がらせをしたり、いじめをしたりしたわけではないけど、確かに人を傷つけて生きてきたことにやっと気づいた
気づいたというか、心の奥ではわかってたけど、ずっと閉じ込めていた
扉を開けてみる時間が、最近できたのだ

誰も傷つけずに生きるのは無理なんだね

自分ばっかりが傷ついてきたとずっと思っていたし、わたしは我慢強い子だとずっと思っていた
それも100%の間違いではないんだろうけど

具体的にどう傷つけたかとかは、文章にする力も強さも、わたしにはない

誰かを傷つけた罪悪感と、向き合うだけの強さがない
誰かを傷つけたことを受け入れて、自分の優しさを育てるための糧として前に進む、責任感もゆるぎない自分もいない

気づいたことが成長だと思い込んで、苦しみを抱えて生きるしかない
人を傷つけたのだという事実に、傷ついてしまう自分を可哀想に見せているだけのような気がして、吐き気がする時もある

そんなこと、気にしないふりをして生きている
みんなもそうなんだと思ってる
みんなも、大丈夫なフリをしているだけで
心の中はぐちゃぐちゃなんだと、そう思いたい
自分だけが辛いわけじゃないというプレッシャーが、なんとか生きるためのエネルギーになっている

誰かに言うでもない、だけど吐き出したいということでnoteに書きました

おしまい




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