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落語徒然草 その4 鰻で一杯食わされた幇間

 コロナ禍で春から自粛生活が続き、緊急事態宣言が解除されてからも第二波とも思われるような感染者数が増加している日々。寄席にも行けず、季節の移り変わりに気付かぬうちに、いつの間にやら梅雨から夏へと季節が移ろいつつある。
 生の落語を聴く機会が奪われて、寄席や落語会が季節の移ろいを感じさせるイベントだったことにあらためて気付く。演者の挨拶であるマクラはもちろんのこと、出し物や演者の装いの変化から季節の移り変わりを感じていたのだ。

 夏になるとよく聴かれる噺がある。鰻が登場する噺がそうだ。「鰻屋」「素人鰻」「後生鰻」「鰻の幇間」と鰻が出てくる演目はいくつもある。まさに、鰻が庶民から愛されていた食べ物であることがわかるというもの。江戸の頃より土用の丑の日に鰻を食べていたように、鰻といえば夏のイメージ。夏のスタミナ食として愛されてきた。なので、鰻が登場する噺も夏によく掛けられているのだ。
 そんな噺のなかでも、代表的な噺であって、私の一番のお気に入りが「鰻の幇間」。幇間が騙されて鰻を食い逃げされるという筋書。ご馳走してくれる客を探して、真夏の炎天下をさまよう幇間、夏に聴くからこそ面白さが増す噺でもある。

 好きな噺であり、今までも楽しませてくれた鰻の幇間だが、私のなかでは、違和感というか、小さなトゲのような疑問がいつもくすぶっていた。今まで聴いてきた印象では、登場する鰻屋は店が汚くて店員の態度も悪いという商売っ気ゼロで、当然、鰻も強烈に不味い。しかし、この不味い鰻を幇間を騙した男が土産に持って帰る。それも3人前から5人前。幇間の下駄を履いて帰るのは、騙しの薬味として笑って許せる。しかし、こんな不味い鰻を、なぜ土産に持って帰ったのか。こんな不味い鰻でも、誰かに食べさせたかったのか。そんなもやもやとした違和感を、この噺を聴くたびに感じていた。
 おそらく、現在の落語家は、程度の差はあるが、幇間が最初に鰻を食べる場面から不味さを感じさせる演出をしているように思う。なので、この噺の鰻は不味いものという印象を受けてきた。私の違和感も、この店の鰻は不味いという設定が前提だ。

 この記事を書くにあたって、過去の音源を聴いてみた。まずは、志ん生、文楽、圓生のもの。この昭和の名人たちの音源がユーチューブにあった。初めて聴いたのだが、三人とも今の演出とちょっと違ったもの。
 それは、幇間が最初に鰻を食べる場面が、そんなに不味そうでないのだ。おまけにに苦情を言う場面でも、鰻を食べ続けていたりする。私の違和感の視点を持って聴くと、この鰻は幇間が苦情を言うほど不味いものではないという印象を受ける。
 この印象を持って幇間の苦情を聴いていると、本当はそんなに不味くなかったのだが、騙された悔し紛れに鰻にケチをつけ、店の奉公人に当たって悔しさを晴らしているようにも聞こえる。
 名人たちの音源を聴いて、本当はそんなに不味い鰻ではなかったのではと感じることで、その後の苦情の受け取り方も違って聞こえた。そして、鰻がそんなに不味くないのであれば、客が土産に持って帰ることへの違和感もそんなに感じなかった。

 手銭で食べていたと判ったあとの奉公人へ苦情を言う場面。店の汚さから始まって、酒、お香々、鰻が如何に不味くて酷いかという、幇間のお小言というか罵詈雑言がこの噺の見せ場でもある。
 ご馳走になれる嬉しさから、客に対しては目一杯のヨイショで褒めまくっていた場面の後なので、その落差の可笑しさ。逆に、幇間のヨイショの素晴らしさが伝わる場面だ。
 現在の落語家による不味い鰻を食べさせられている演出では、その不味さが強調されればされるほど、土産の違和感が残る。
 客は不味い鰻をなぜ土産に持って帰ったのかという、この噺の長年の違和感、疑問に一つの解答を示してくれたのが一之輔師匠だ。その私の違和感に対するドンピシャの解答だったので、一之輔師匠の鰻の幇間を初めて聴いたときは、衝撃を受けた。

 一之輔師匠の噺では、まず客と一緒に鰻を食べたときから、かなり不味いという演出。酒もお香々も強烈に不味い。鰻は顎の筋肉がつりそうになるくらい、箸でも切れないくらいの強者。そして、後のクレームでは、如何に不味かったか酷かったかをリプレイ。と言うことは、一之輔師匠の鰻は本当に不味いという設定。不味いことを判ったうえで、幇間に鰻を食べさせて金を払わせて下駄も巻き上げる。この騙した男は、相当なワルだ。
 そして、違和感の元であるお土産も男は持って帰る。下げはここで終わらない。この後に、不味い鰻だからこその、幇間に対する強烈な嫌がらせの場面で下げになる。ネタバレになるので、これ以上の記載は省略。一之輔師匠の客は、幇間を虐めて楽しむ、かなりのサディストなのだ。
 しかし、この下げなら客がこの不味い鰻を持ち帰る理由があるし、筋書に一貫性がある。不味い鰻土産の違和感は、一之輔師匠の大胆な下げで見事に解消された。

 ネットで調べると、一之輔師匠の鰻の幇間は喜多八師匠から習ったものらしい。残念ながら、喜多八師匠のこの噺は聴くことが出来なかった。しかし、弟子の小八師匠のこの噺は聴いている。
 三年前なので記憶は薄れているが、当時の日記を読むと、小八師匠は喜多八師匠の型を承継されていることが分かる。小八師匠の型は、最初に食べるときから、お香香、酒、鰻が強烈に不味い様子が描写されている。酒など不味さが脳天を突き抜けて頭を押さえるくらい、鰻など箸を全力で突き立てないと切れず、噛んでも噛んでも噛み切れない。こんな鰻をよくもまあお土産に持って帰ってたよ、幇間にそう嘆かせる。おまけに幇間の苦情を馬耳東風で聞き流すという凄い女中も登場。
 これを読むと、喜多八師匠の型を一之輔師匠が承継して、さらに発展させていることが分かる。一之輔師匠の凄いところ。
 この一之輔師匠の騙した男は、落語界の住人としてはかなりの悪人。罪のない幇間、欲望を隠せないが人の好い芸人 こんなに虐めて楽しいのだろうか。虐められてオロオロする様子の滑稽さはあるが、加虐を笑いに変えるという大冒険であり、一之輔師匠の大胆さを感じさせる。

 この鰻の幇間という噺、鰻の味を観客の想像に委ねる選択と、強烈に不味いものとの設定で噺を進める選択の二通りあるように思う。昭和の名人たちは前者であり、後者の代表格は一之輔師匠を筆頭とする喜多八師匠の流れだ。これは演者の解釈による選択だし、両極端の間には、演者の数だけ演出方法もあると思う。
 私の好きな志ん朝師匠のこの噺では、最初に幇間が鰻を食べたときの印象は、やや不味いというもの。幇間が思わず「コシがある鰻ですね」と言っている。昭和の名人たちと違うところ。ちなみに、この志ん朝師匠が芸のために鰻を断っていたことは亡くなってから知った。本当は鰻が大好きだったらしい。大好きなのに食べられない鰻を食べる噺、志ん朝師匠はどんな気持ちで高座に掛けていたのだろう。芸人の凄さを感じるエピソード。

 近年、鰻が高騰し高級料理と化して、庶民が気楽に口に出来なくなりつつある。下手すると鰻が絶滅危惧種として保護の対象となり、将来は口にすることが出来なくなるかもしれない、という心配もある。そして幇間という職業も、絶滅危惧種と言われている。
 この噺を笑ってきける現在、不味い鰻を想像して笑ったり、違和感を覚えたりできることができる現在、そんな時代にいること自体、ありがたいことなのだろう。幇間の存在が理解され、鰻も庶民が口にできる時代がこれからも続くことを願っている。

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