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落語日記 何気ないセリフで江戸の空気を感じさせてくれた馬生師匠

金原亭馬生独演会
8月31日 江戸東京博物館小ホール
師匠である金原亭馬生師匠の独演会を弟子の馬治師匠がプロデュース。コロナ禍の影響で出演機会の減っている演芸界。そんな中、師匠や一門の出演機会を少しでも増やしたいと馬治師匠が企画した落語会。なので、馬治師匠はこの日は受付やら案内やらの裏方仕事に徹して、出演は無し。チラシにも載っていない馬治師匠が受付にいて、驚かれたお客さんも多かった。
馬治丹精会が今月、同じホールで久し振りの再開を予定しているので、運営についての予行演習も兼ねて、私も裏方のお手伝いをさせてもらった。
一つ飛ばしに制限された客席は満員。馬生師匠のご贔屓さんが集まった。

金原亭駒介「道灌」
まずは、七番弟子で末弟の前座駒介さん。久し振りに拝見。声が出ていて、伸び伸びした高座。以前の印象とは見違えるよう。前座さんの変化は凄い。

金原亭小駒「堀の内」
二番手は、五番弟子の小駒さん。舞台袖から登場する際、楽屋用スリッパのまま高座に向かいかけ、気付いて慌てて脱いでから登場。観客からは丸見えなので、いきなり大爆笑。
小駒さんらしい天然のボケ。この日のネタは粗忽者の噺に決めていたようで、マクラで粗忽者の例え話を始めるも、何を言っても爆笑。馬生一門ファンの観客は、小駒さんの天然キャラをよくご存じ。粗忽者が粗忽者を笑うというハプニングの可笑しさ。
本編は、小駒さんの粗忽者キャラが似合い過ぎていて、笑いどころでないところも妙に可笑しいという楽しい一席。

金原亭馬久「臆病源兵衛」
三番手は、四番弟子の馬久さん。コロナ感染のためしばらくお休みされていた。無事に復帰されたようで、病み上がりを感じさせず、元気に回復されている様子。
馬生一門らしい綺麗で丁寧な語り口で、低音の声音も心地よい。マクラもそこそに、本編へ。
臆病者の源兵衛をからかう筋書き。前編は、源兵衛の大げさに怖がる様子の可笑しさ、後半は死んだと思われた八五郎が不忍池から根津の廓まで怯えながら彷徨う様子の可笑しさを伝えてくれた。どちらも、尋常じゃなく怯える様子の描写が見事。馬久さんの雰囲気に合った演目だった。

仲入り

金原亭馬生「居残り佐平次」
この日は、全員一席ずつの出番。時間的にも丁度良い。馬生独演会というより、馬生一門会と呼んだ方が合っている構成。なので、馬生師匠は、長講の噺をやりますと、チラシでネタ出しされているこの演目をじっくりと披露。
マクラでは、この噺の時代背景や登場する遊郭などの江戸の文化や風俗についての蘊蓄話を聞かせてくれた。これは、馬生師匠の得意とするところ。この日は、吉原が北国、北州と呼ばれていた謂われを丁寧に解説。また、細見という当時のガイドブックには、遊郭や岡場所に星が付けられ評価が書かれていた。まさにミシュランの先を行っていた。綺麗な語り口で丁寧な解説が馬生師匠の見せ場だ。北の吉原に対して南は品川宿のこと、そんな導入から、すーっと本編へ。
お馴染みの演目。調子の良い佐平次に翻弄される遊女や廓の奉公人や客たち。テンポ良く舌先三寸で周囲を手玉に取る佐平次の活躍は、痛快さを感じるものだ。
下げは、「おこわにかける」ではない型。これなら「おこわにかける」の解説の仕込みも要らないし、分かりやすくて良い下げ。さすがの工夫。

噺が本来持っている言葉とか、舞台となっている江戸時代の風俗や言葉使いを馬生師匠は大切にされている。ここが馬生師匠の得意技の一つと感じている。この日の高座で、この観点から私に刺さったセリフがある。下げの直前、昼間に廓を出た佐平次が、後を付けてきた店の若け衆に言った言葉「今日様(こんにちさま)には、申し訳ないってやつだ」というもの。
今はあまり使わなくなった今日様という言葉。これはお日様、お天道様(てんとうさま)と同じ意味で、太陽を敬って表現する言葉だ。この今日様は、挨拶の「こんにちは」の語源にもなった言葉とも言われている。
昼間、空には常に太陽が輝いていることから、昔の人々は太陽に対して感謝の気持ちを持っていた。それが、極まって、お天道様と呼ぶように畏敬の念の対象となり、誰も見ていなくてもお天道様は見ている、お天道様はお見通し、だから悪事を働いてはいけないと、倫理観を表すようにもなったのだ。
それを象徴するのが「今日様」という言葉。日本人の伝統的なメンタリティを表わしている言葉と言えるだろう。今は日常では聞かれなくなった言葉だ。良い言葉なのに、消え去るのはもったいない。落語の世界だけでも残っていって欲しい。

なので、この佐平次のセリフは、昼過ぎになって動き出したことへの言い訳の意味も強いが、誰も見ていなくてもお天道様に恥ずかしいような振る舞いをしてはいけない、という意味合いも含んでいると感じとれる。
となると、このセリフを稀代の詐欺師である佐平次の口から聞くのは、なんとなく奇妙であり違和感があるのだ。悪事を働いた男が見せる倫理観。何と皮肉の効いたセリフだろう。
悪を描いた噺なのに、観客が感じる爽快感。悪党譚を歓迎する我々観客に対し、そんなに悪さを喜んじゃいけないよ、と最後に少しだけ皮肉を込めて、佐平次がたしなめたように感じた。また、佐平次の良心の欠片が見せた自戒のセリフなのかもしれないと思ったりもした。
馬生師匠の丁寧なセリフから、あれやこれや考えた。何気なく語られた一つのセリフの重さを感じさせてくれた、見事な一席だった。

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