見出し画像

落語日記 芸術祭に挑戦できなかった悔しさをぶつけたような熱演をみせた遊かりさん

たっぷり遊かりvol.2 ~ 落語の中の女たち
11月4日 お江戸日本橋亭
遊かりさんが昨年の芸術祭に参加するために企画した会を、今年も同様の企画で開催。残念ながら、今年の芸術祭には参加できなかったが、企画はそのまま活かして、第ニ回として開催された。
この会のタイトルにあるように、女性が登場する噺や女性が主人公の噺として、古典の「文違い」と新作の「鉄砲のお熊」を演目として選び、遊かりさんの視点と解釈で、これら噺の中の女性像を描くことに挑戦された。ゲストも、女性芸人の大先輩である江戸家まねき猫先生。芸術祭参加を前提として企画された落語会なので、単なる独演会とは異なり、テーマ性の高いものとなっていた。
 
三遊亭遊かり「文違い」
前座の高座がなく、ご本人が開口一番。会場の使用時間の関係らしい。まずは、この会の主旨説明。今年、芸術祭に参加できなかったことは、遊かりさんはかなり悔しかったに違いない。この日の高座は終始、そんな悔しさをぶつける様な熱演だった。
本編への導入として、宿場に存在した飯盛女と呼ばれる宿場女郎、遊女の解説から。この噺の舞台は、甲州街道で江戸から数えて最初の宿場である内藤新宿。江戸四宿のひとつであり、遊女のいる岡場所としても賑わった。そんな岡場所の遊女のお杉が、この噺の主役。
男たちを手玉にとって金を騙し取った悪女ながら、お互いに惚れ合った間夫と信じた男に騙されて金を巻き上げられるという、欲に突き動かされる男と女の悲しい性を描いた噺。筋書きがよくできていて、私の好きな噺でもある。
 
金の為なら平気で噓をつく強かな遊女でも、内心に秘められた恋愛感情という本能によって、理性や計算尽くな行動も吹き飛ばされてしまう。そんな、人間の悲しさを見せつけられると、欲望に踊らされる登場人物たちは、どこか哀れで、悪だくみも憎めない。これら、この噺が本来持っている面白さを、充分伝えてくれる遊かりさんの熱演だった。
恋愛感情による欲望が原動力となっているのは、男性も女性も同じ。そのうえで、身を売っている遊女お杉の恋愛感情が真摯であり強烈であるだけに、手練手管の悪女がその冷徹な目をも曇らせる様子は、憐憫の情と可笑しさと可愛さの混ざった何ともいえない感情が、観客に湧き上がってくる。
マクラで遊かりさんが、自分の中の女性であることの意識は大切にされていると語っていた。このお杉を演じるうえで、遊かりさんの女性であることの意識が上手く働き、お杉から伝えられる女心をより繊細で複雑な感情として表現できていたのではないかと思う。まさに、女流としての強みを活かした一席だった。
 
江戸家まねき猫「河童の鳴き声」
遊かりさんからの紹介を受けて、プリンセスまねき猫ですと自己紹介。こんなアドリブの反応からも、お二人の良好な関係性が感じられる。
ネタ出ししている次の演目は、相撲取りが登場する噺。なので、その前に自分の出番があるのは、何かの効果を狙っているのでは。そんなご自身の体形をネタにして、会場はほのぼのとした笑いに包まれる。
まねき猫先生のネタは、単なる動物ものまねの羅列ではなく、ショートストーリーになっている。この日のネタは、河童という空想の動物の鳴き声ってどんなものか、そんな疑問を考えていくというもの。観客に問い掛ける河童のイメージ、実はほとんど皆さん共通のイマージを持っている。
そのイメージによると、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類という脊椎動物の分類それぞれの特色を河童がすべて持っているという面白い見方を紹介。その分類ごとに代表的な動物の鳴き声を実演。このとき、まねき猫先生が真面目な解説から突然弾けて鳴きだす豹変ぶりが、鳴き声の見事さ以上に可笑しいのだ。最後に、鳴き声だけで、川辺にいる犬と猫が河童に驚くという見事な物語を聴かせてくれた。
 
仲入り
 
三遊亭遊かり「鉄砲のお熊」
ネタ出しの二席目がお開きの高座。この演目は、三遊亭白鳥師匠作の新作。遊かりさんのこの噺は2019年4月の中野芸能劇場での遊雀師匠との親子会で聴いて以来、二度目となる。この日の高座は前回のときの印象とは明らかに違うものだった。前回は、ボーイズラブやお熊が女相撲であるという、奇人変人の可笑しさが勝っていたような印象があった。
今回の高座から強く感じたのは、男らしさとは何だろう、女らしさとは何だろう、そんなテーマが噺のなかから浮かび上がってきたこと。また、男らしさや女らしさの前に、まず自分らしさが大切である、そんなメッセージが伝わってきたのだ。
 
子供のころより身体が大きくて男勝りだったおみつ、美形で色気のある優男の時次郎、乱暴者の長吉、この三人による成長と確執の物語。大人になった三人はそれぞれ、女相撲の横綱を目指す鉄砲のお熊、人気者の女形中村夢之丞、ゴロツキの親分まむしの権三となり、再会を果たす中で運命の歯車が動き出す。
この物語の終盤で、男前のお熊と恋愛感情にひきずられる女々しい夢之丞の二人が、お互いの気持ちをぶつけ合う場面は秀逸。ステレオタイプな男女の役割からすると、お熊の立場は男性で、夢之丞の立場は女性が担うのが普通。これを逆転させて物語を作ったところが、白鳥師匠の凄さだ。これを遊かりさんは独自の解釈と演出で、女性なのに勇気ある正義漢のお熊、感受性豊かな恋愛傾向の高い男性である夢之丞、そんな二人の性格を印象深く描いてみせた。遊かりさんはこの噺を通して、常識的な男らしさ女らしさという価値判断の是非を問い掛けていたのだ。
恋愛感情をぶつけてくる夢之丞に対して、お熊が二人の夢を語って聞かせる。これによって、夢之丞に夢をあきらめないことの大切さを気付かせる。ここで、夢之丞は自分らしさの大切さに気付く。
この場面に、遊かりさんの主張が潜在的に込められていたように感じた。それは、社会的な役割による性差別、つまりジェンダーの問題に対するメッセージだ。男らしさ女らしさという価値判断よりも、自分らしさという性別を超えた価値が大切である、そんな遊かりさんの見えないメッセージを受け取ったように感じた。
落語家の世界は、男性が圧倒的に優位な世界。そんな世界に身を置き、この世界で夢を追いかけている遊かりさん。そんな遊かりさんが、このお熊と夢之丞の二人に落語界に身を置く自分を重ね合わせ、二人の会話で自分を奮い立たせていたのではないか、そう感じた。
 
女心の繊細さや哀しさ可愛さを描いた一席と、性別を超えた自分らしさの大切さを伝える一席を組み合わせて披露した遊かりさん。芸術祭にノミネート出来なかったことが、つくづく惜しまれる落語会だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?