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落語日記 遊雀師匠の初挑戦

第64回三田落語会 夜席
10月29日 文化放送メディアプラスホール
有名なホール落語会だが、私はこの日が初訪問。今まで、なかなか訪問する機会がなかった。会場で次回のチケットを販売していて売り切れてしまうので、なかなかチケットが入手できない会でもあった。今回、この会に遊雀師匠が初出演と知り、前売券を申し込んだら運よくゲットでき、この日の初訪問となった。
人気者同士の遊雀師匠と兼好師匠の二人会で、どんな化学反応が起きるのか。そんな期待を持って訪れた大勢の観客で盛況となった。
 
ネットで、この会の歴史を調べてみた。
2009年2月に三田の仏教伝道センターで始まった「本格・本寸法の落語を楽しく演じて、楽しく聴く」をコンセプトに掲げた落語会。同じ日に昼の部と夜の部があり、それぞれ二人の演者が二席ずつという形式。
コンスタントに継続して開催していたが、2018年2月第54回の開催をもっていったん休止した。その後、同年10月第55回より、会場を文化放送の中にあるメディアプラスホールに移して再開される。この回から、主催者が仏教伝道協会から文化放送と別の一社に承継されている。
2020年1月25日第60回を開催した後、コロナ禍の悪化に伴って、開催が決まっていた第61回、第62回が中止となる。今年の7月16日第63回で二年ぶりに復活し、その後に続いて開催されたのが今回。
 
古今亭菊一「出来心」
前回訪問の浅草見番の会でも前座として起用されていた。なかなかに人気の前座さんだ。来年2月中席より二ツ目に昇進することが決まっている。なるほど、落ち着きや語り口は既に二ツ目だ。
 
三遊亭遊雀「初天神」
さて、いきなりお目当てが登場。ということは、この日の主任は先輩の遊雀師匠が務めることが分かり、ますます期待がふくらむ。
まず、挨拶では三田落語会初登場の喜びを口にされた。まさに正直な気持ちであることが伝わってくる。今まで出演出来なかった訳、それは本格派ではなかったから、という自虐的な発言があり、会場は爆笑の反応。遊雀ファンは師匠の照れ隠しであることが分かっている。
そんな初お目見えの第一席目の演目は、得意の滑稽噺。それも、遊雀節が炸裂し個性あふれるもので爆笑を呼んだ一席だった。これは、本格派という言葉に対する挑戦のような、外連味あふれる一席。これが遊雀落語だ、そんな気概を感じた高座だった。
 
遊雀ファンにとってもお馴染みの演目。噺は初天神に向かう道中の団子屋の場面にフォーカスし、親子の攻防戦を描いたもの。登場する金坊が子供っぽい表情から大人びた表情、そして悪霊が憑依したような不気味な表情へと、次々と変化を見せる。
初天神の金坊の傍若無人さが突き抜けているのは、遊雀師匠と一之輔師匠が双璧、私はそう感じている。この日の金坊も、まさに、子供の皮をかぶった狼。河童を脅しに使う父親を馬鹿にする金坊のセリフ「こえーっ」は思わず吹きだしてしまう爆笑の引き金だ。
次々と繰り出される父親に対する強迫行為の目的が、団子を食べたいという動機のアンバランスさ。目的の子供らしさに似合わない大人びた手段。その格差が笑いの根源なのだ。
 
三遊亭兼好「不孝者」
遊雀師匠で一気に暖まった会場に、にこやかに登場。そんな会場に、落ち着いた語り口でのマクラ。
地域の落語会がコロナ禍で休止に追い込まれている状況を語る。そのうえで、主催者がみな団塊の世代で、後継者を育てていない、とやや毒のあるコメント。そこから、ご自身の所属する五代目円楽一門会の話へ。五代目円楽、六代目円楽が亡きあと、後継者はどうなるのか、と兼好師匠も不安な様子。会津若松市出身の兼好師匠は、母校で落語を披露したときの話など、ときたま顔を出す毒舌が楽しい。
 
本編は珍しい演目。ミイラ取りかと思ったが不孝者の方だった。真面目な堅物だと思われていた大旦那が、噺の後半で昔の馴染みの芸者と再会。この辺りの描写はなかなか風情があり、遊び人を揶揄する単なる滑稽噺ではない味わいだ。これは、ひとえに大旦那がチャーミングな大人として描かれていることにもよる。
ほとんど登場しない若旦那に代わって、もう一人の主役は飯炊きの清蔵だ。この清蔵が付き人として大旦那の伴をする。この清蔵の田舎弁が、ネイティブな発音で、リアルさを感じさせる。さすが、会津若松市出身という発音。
まずは、珍しい演目を兼好師匠らしさ満載で聴かせてくれた。
 
仲入り
 
三遊亭兼好「粗忽の使者」
二席目は、かなり爆笑系に振り切った滑稽噺。この演目は、演者による当たり外れの少ない鉄板の爆笑を呼ぶ演目だと考えている。そんな演目ではあるが、兼好師匠らしさがあふれて、独特の可笑しさを感じさせる一席だった。
兼好師匠らしさの特徴は、登場人物がみな人柄が好く、チャーミングで可愛いのだ。地武太治部右衛門も田中三太夫も大工の中田留太夫も、みなどこか可愛いさを感じさせる。そのうえで、治部右衛門の突き抜けた粗忽さが爆笑を呼んでいた。おじさんの可愛さを目いっぱい発揮した兼好師匠だった。
 
三遊亭遊雀「淀五郎」
登場するなり、前の兼好師匠の高座受け。落語では、色々な性格も、粗忽者でひとくくりにされる。粗忽者と言っても、あんな奴はいない。そんな、ありえない登場人物で笑わせるのは、と言ってから腕を叩く仕草を見せる。まさに、兼好師匠の腕前、技量の凄さを評価するお言葉だ。
今、芝居の世界が盛り上がっているという話から、上手い流れで芝居噺。二席目も、十八番と呼んでいい演目。一席目のハイテンションと打って変わって、人情噺の淡々とした調子で進んでいく。暴れん坊の金坊とは対極にいる淀五郎の人間味あふれる苦悩の物語。いつもながらの観客を唸らせる名演だった。
団蔵として下手を見ながら話すときの目線の先に私の席があり、団蔵がのり移った遊雀師匠の恐ろしい表情がこちらを睨んでいるようで迫力満点。まさに団蔵に睨まれている淀五郎の気持ちがよく分かる。
この一席を本格本寸法と呼ばずして何が本寸法か、そんな遊雀師匠の気迫を感じた一席。三田落語会というブランドの高座に上がるという経験が、主催者の起用に応えた名演を生んだと言えるだろう。この日の熱演によって遊雀師匠と兼好師匠の二人は、本格派で、かつ爆笑派であることを改めて感じさせてくれた。

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