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落語日記 珍しい廓噺を披露してくれた入船亭扇蔵師匠

入船亭扇蔵独演会・遊廓篇
4月30日 池袋演芸場 夜の部 落語協会特撰会
この池袋演芸場で定期的に続けている扇蔵師匠の独演会。今回はゴールデンウイークの前半での開催。独演会は三年前の3月30日にお邪魔して以来となる。久々に拝見した扇蔵師匠の高座、じっくりと聴かせてくれた三席からは、静かなる進化を感じさせてくれた扇蔵師匠だった。
遊廓篇と名付けられた今回。吉原、もしくは遊廓にまつわる演目を掛けようというコンセプトだ。事前の案内に「「文違い」他、廓噺と吉原にまつわる噺を申し上げます。」とあり、当日配布の演目表には三席ともネタ出しで、いずれも廓噺か廓に関係する噺。なかなか楽しい企画で、開演前からワクワクさせてくれる。
 
金原亭駒平「元犬」
前座は、世之介師匠のお弟子さん。元舞台俳優のイケメン。
前座には珍しくマクラを振る。ペットの話題からワニはどんな風に寝ると思いますかと問い掛けると、客席から「輪になって」の声。これには会場爆笑、本人苦笑い。この後の動揺した様子から上手く立て直した。これも、寄席の修行だ。
 
入船亭扇蔵「文違い」
マクラでは、世間一般では吉原や遊郭の話が通じなくなってきていて、その傾向が年々強くなってきている現在の状況を具体例で説明。声優学校で指導しているが、生徒から「仲で冷やかす」の意味が分からないとの質問があった。十年以上前のアニメ「こち亀」のセリフで、吉原大門をヨシワラダイモンと読んでいたこともあった。
NHK以外の地上波では、時代劇を見かけなくなった現在、遊郭のこと以外でも、落語ファンでしか通用しない言葉が年々多くなっている、そう私も感じている。この辺りの危機感が、この日のテーマに廓噺を選んだ扇蔵師匠の理由だと想像している。
 
事前告知でネタ出ししていた「文違い」を初っ端に持ってきた。ということは、もしかするとこの噺はネタ下しかもしれない。
この噺は廓噺の中でも、私の好きな噺なのだ。その訳は以下のとおり。
遊女が手練手管で客を騙すのは、廓噺の王道。欲望によって簡単に騙される客の哀れさや馬鹿々々しさが、廓噺の面白さの源だ。そんな廓噺にあって、この噺は遊女自身が騙されるという珍しいもの。客側が逆襲する噺は「三枚起請」や「品川心中」などがあるが、この噺は遊女がやり込まれるのが客側の逆襲によってではないのが違うところ。
客を騙すのが仕事の悪女である遊女自身が、逆に騙されるのだ。客の立場から見ると、ざまあみろ、因果応報だ、と騙されたことへの鬱憤を晴らす痛快さを感じさせる。しかし、私はこの噺の主題がそこにあるのではないと考えている。

この噺では、遊女自身が客と同じ人間として、恋愛感情や欲望によって突き動かされていることが描かれている。単なる悪役ではない。
悪役は悪役らしく、罪悪感や後悔が一切なく客を騙す遊女が登場する廓噺は、それはそれで痛快で面白いし、そんな落語は数多い。しかし、この噺の遊女は、人間としての弱さを見せる。そこからは、抑えきれない恋愛感情に突き動かされる人間の、哀れさや悲しさ、馬鹿々々しさや可笑しさを伝えてくれるのだ。そんなところが面白い噺であり、だからこの噺が好きなのだ。
 
そんな期待と視点で扇蔵師匠の高座を楽しみにしていた。その期待に応えてくれた、50分近い長講の熱演だった。
廓噺の前提となる吉原や遊郭の周辺知識の丁寧な解説も、扇蔵師匠らしさ。この噺の舞台は、幕府公認の吉原ではなく、非公認の遊廓である内藤新宿の岡場所。主役の遊女も、花魁ではなく飯盛り女と呼ばれた遊女のお杉。
自分に惚れているという弱みに付け込み、半七と角蔵という二人の客を手玉に取る強者な遊女のお杉。ところが、そのお杉も客を騙した手口と同じ手口で騙される。まさに、特大のブーメランをくらったのだ。当然の報い、因果応報、身から出た錆などとお杉に浴びせる言葉がある。しかし、そんな痛快さよりもお杉の哀れさが勝っていて、お杉に同情してしまう。
最後には、真実に気付いた半七とお杉の両者が揉める場面は、同じ穴の狢同士の痴話喧嘩。哀れさを滑稽さで包み込んだ秀逸な場面。
金銭でしか愛情を勝ち取れないと考えるお杉の哀れさ、と同時に、金銭にすがる男女の恋愛感情の悲しさや可笑しさという一面を、充分に感じさせてくれた扇蔵師匠。それも、この演目の見せ場である入り組んだ人間関係を分かり易く、そして何人もの登場人物を丁寧に描写して見せてくれた見事な一席だった。
 
この噺の余韻のなか、端唄「深川」に合わせてひと踊りを見せてくれた。この深川節の歌詞も、猪牙で行くのは深川通い、駕籠で行くのは吉原通い、とまさにテーマに沿ったもの。どこまでもこだわりの扇蔵師匠。
 
仲入り
 
入船亭扇蔵「蔵前駕籠」
仲入りでひと呼吸おいて、空気を変えて、女郎買いの決死隊の噺。
幕末のころの江戸の街、勤王倒幕派や佐幕派の武士や浪人たちが入り乱れ、政情不安で治安が悪くなっていたことを伝える話。事件現場は我が家のすぐ近所。そんな世の中だったのかと、歴史が身近に感じられる演目。中継ぎの噺で、上手く気分転換できた。
 
入船亭扇蔵「子別れ(中・下)」
さて、締めの一席。上中下と分けられる長編の噺。本来の廓噺の括りでいえば、上の別名「強飯の女郎買い」の一編だが、この一席は、その後日譚である熊が女房子を追い出す場面から下げまで。
おそらく、扇蔵師匠の得意とする演目だろうことを感じさせる安定の一席だった。親子三人の喜怒哀楽を表情豊かに見せてくれた。この日の一席で気付いた点を簡略に記す。
女房のお徳が亀を殴ろうと手にしたのは、ゲンノウではなく「金槌」。なので、下げのセリフも、金槌でぶつと言った、となる。
後半の鰻屋の二階での場面。そこに、最後の最後で番頭が駆けつける。番頭は元の鞘に収まると聞き、「子は夫婦の鎹だね」と下げの切っ掛けとなるセリフを語る。そんな特徴をみせた子は鎹だった。
しみじみとさせる一席だが、その発端の原因と言えば亭主の廓通い。夫婦や親子の人生にも大きく関わってくるのが亭主の道楽。そんな人生の真理を改めて感じさせてくれた噺で、独演会を締めくくった。

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