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落語日記 改名で心機一転の市寿さん

SHINCHO高座 矢来町土曜早朝寄席(第56回)柳亭市寿の会
11月7日 新潮講座 神楽坂教室

番組

柳亭市寿「大安売り」

柳亭市寿「湯屋番」

仲入り

柳亭市寿「八五郎出世」

新潮社が主催している新潮講座の神楽坂教室を会場として、“SHINCHO高座”と題して開催されている落語会。カルチャー教室である新潮講座とは別企画で、毎月一回不定期で土曜日の午前10時開演という形式で開催されている。かつて鈴本演芸場で行われていた早朝寄席を思い出させる会。しかし、この会は二ツ目が単独で出演する独演会形式。入門当時より応援している柳亭市寿さんが出演とあって、時間が合ったので出掛けた。
住まいがここ矢来町に在ることから「矢来町の師匠」と呼ばれていた古今亭志ん朝師。そのゆかりの町である矢来町で、新潮社が主催する落語会。「SHINCHO高座」というタイトルは、なかなか洒落が効いている。

会場はビルのワンフロア。カルチャー教室の教壇が高座に変わり、ソーシャルディスタンスを意識した椅子の配置。かなりゆとりがある空間は、コロナ対策だろう。
会場に入ると、前方にテレビカメラとスタッフが待ち構えていた。この日はNHKの情報番組「ひるまえほっと」という番組の取材が入っているようだ。高座だけでなく客席も含めて撮影するとのこと、私はなるべくカメラに映り難い場所に陣取る。仲入りの際に、観客にインタビューしていた。幸い、インタビューを受けることはなかった。

現在は、柳亭市寿さんだが、この名前に変わったのは今年の7月から。元々は、2014年10月に柳家三壽師匠に入門し、2015年10月上席から前座となり柳家寿伴の名前をもらう。2019年5月下席から寿伴のまま二ツ目に昇進。
ところが、本年6月20日に三壽師匠がお亡くなりになり、7月から柳亭市馬門下へ移籍し、現在の名前に改名された。
師匠を亡くすという芸人にとっての苦難を乗り越え、市馬師匠の下で精進を続けている。市馬師匠の市の文字と、三壽師匠の寿の文字、両師匠から一文字もらった芸名。この苦難も両師匠からの恩恵で乗り越えられる、そんな意味があると私は勝手に解釈して、この新しい名前は結構気に入っている。

市寿さんとの初めての出会いは、私が裏方として手伝った2015年8月に神田連雀亭で行われた「金原亭馬治初演の会」という落語会。その会の前座役として手伝いに来てくれたのが、当時まだ見習いだった寿伴さんだった。
初対面で挨拶したときに名乗られた「じゅばん」という音が襦袢に聞こえ、どんな文字ですか、と手帳に名前を書いてもらった思い出がある。このときの手帳はまだ残してあって、丁寧な文字で書かれた「柳家寿伴 じゅばん」という振り仮名付きのサインが残っている。まだ芸人としてのサインを頼まれることはないだろう時期の貴重なサインが残されているのだ。今考えると、文字が分からないから手帳に書いてなんて、大変失礼な頼み方をしたものだ。そのときも嫌がらず丁寧に応対してくれた姿勢や、キビキビとした前座仕事に、一度でファンになってしまった。その日は前座噺の定番「道灌」を披露してくれた。真面目で礼儀正しい性格そのものの道灌だった。
そんな出会いからのご縁。その日から寿伴という名前が気になって、ネットやかわら版などの情報を追いかけていた。前座仲間から寿伴をもじった「JB」というニックネームが付けられたと伝えられ、仲間たちからも慕われていることが分かる。ジェームス・ブラウン、ジャスティン・ビーバー、伴淳三郎、いずれもJB、そして落語界のJB、カッコイイじゃないか。

あれから5年、二ツ目に昇進されたと思っていたら、名前も変わっていた。寿伴という師匠からもらった名前。せっかく覚えてもらい、JBとしても親しまれてきた名前。その名前が変わった。
師匠一人弟子一人の関係。師匠と言えば芸のうえでは親同様の立場、そんな師弟関係のなかで、二ツ目昇進後まもなく師匠が亡くなった。そんな、落語家人生でも中々にない辛い出来事によって、名前も変わったのだ。
師匠からもらった寿伴という慣れ親しんだ名前も過去のものとなってしまった。でも、弟子にしてくれた三壽師匠が天国に旅立たれるときに、寿伴だった市寿さんをいつまでも見守ってもらえるように、師匠の冥土の旅に持って行ってもらったのだ。無礼にも何て書くのと言われた名前からスタートさせ、JBとして覚えてもらえるまでに育てた名前。師匠もきっと天国で喜んでいると思う。初対面時に失礼だった私は、そう思わずにはいられない。

コロナ禍もあってなかなか市寿さんの落語を聞く機会が無かったので、この日は今年の2月以来で久しぶりに聴けた。
この土曜早朝寄席の構成は知らなかったので、てっきり二席で一時間くらいかと思っていたら、仲入りもある三席という立派な独演会方式。滑稽噺から人情噺まで、バラエティさを感じる演目を三席。構成の意外性もあったが、市寿さんの成長ぶりで大いに楽しめた会となった。
マクラでは、お約束のコロナ禍での自粛生活でのエピソード。仕事が無い中でも、何か噺のネタになるものはないか、日常生活でも笑いを探すそんな姿勢はプロの証し。
前半は滑稽噺二席。相撲取りの風情、若旦那の風情を演じ分けられていて、続けた二席のそれぞれの演目色が違って飽きさせない。

トリの演目が「八五郎出世」という人情噺で長講、これも嬉しい驚き。市寿さんの妾馬が聴けるというだけでテンションアップ。本寸法でキッチリした語り口なのに笑いどころが多いという、この噺の良さを活かした高座だった。武士と町民の身分の違いや八五郎の素直すぎる反応、これら人物描写は見事。
特徴的な描写として、八五郎が殿様から許しを得てお鶴のそばに寄り、お世取りの赤ちゃんを目前で見る。甥っ子としての可愛さや祖母である母親に会えない悲しさ、そんな複雑な八五郎の感情があふれる様子は、初めて聴く型だ。顔を見て、「目元はお鶴、口元は殿様に似ている」と嬉しそうな八五郎の表情は見事。
後日、市寿さんにお尋ねしたところ、柳家さん喬師匠から稽古付けてもらったとのこと。ここは兄妹愛を感じさせる名場面で、さん喬師匠らしい演出だなあと感心。

コロナ禍の影響もあって市寿さんを拝見するのは久しぶり。しかし、この久しぶりの市寿さんの高座から、精進を続けていることが分かる。まさに、市寿さんの進化を感じさせるものだった。久々だからこそ感じる芸の進化なのだ。こんな風に感じられるのも、コロナ禍にも少しはプラス効果があるということなのだ。

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