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落語日記 老舗のホール落語会に久々の訪問

第659回 落語研究会
5月2日 国立劇場小劇場
テレビ番組「落語研究会」の放送用素材を収録する目的でTBSが主催している老舗の落語会に、5年ぶりで訪問。
コロナ禍の下にあっては、無観客で開催されていた。最近は、ご定連席券という年間パスポートのような入場券を持っている観客のみで、人数制限を行い開催している。今回は、知り合いのご定連さんの紹介で予約することができた。
入場すると、客席は一席づつ空席にする配置で、まだコロナ禍体制。5月8日から5類相当に移行しているので、おそらく規制は緩和に向かうものと思われる。歴史ある落語会だけに、観客もご通家さんが多く集まっているような静かな雰囲気。この会は、全員ネタ出し。毎回、番組の書かれた立派なパンフレットが配布される。

古今亭始「近日息子」
この会は前座無しで、開口一番は二ツ目。始さんを聴くのは久し振り。
志ん輔師匠の鞄持ちで何度も来ていた落語研究会。当時から憧れていた高座に、初めて上がる喜びを語る。緊張と嬉しさが混ざった表情だ。ご通家ばかりの観客に、少しでも知ってもらおうと自己紹介。介護福祉士からの転職で、施設での娯楽の時間に余興として落語を披露したのが切っ掛けとのエピソードは、微笑ましく聞こえる。
本編に入り、始さんが見せる息子は、抜けてはいるが、根は真面目で正直な若者といった印象。父親との問答で「そうとも言う」を繰り返すところが見せ場。息子は知ったかぶりというよりも、本当にそう信じ込んでいる感じがして面白い。
緊張の初高座だと思われるが、会場を暖める大役を無事に果たした始さんだった。

春風亭昇也「庭蟹」
昨年の文化庁芸術祭で優秀賞を受賞したのをはじめ、数々の賞レースを勝ち抜いた実績を持つ昇也師匠。昨年5月上席に真打昇進を果たしてまだ一年という若手なのに、登場したときに感じさせるベテランの貫禄は、その実力からくるものだろう。
マクラでは、昨今の世の中はシャレが通じ難くなってきた、シャレが使いづらい世の中、そんな本編に繋がる話から。コンプライアンス重視の世の中、それとは反する寄席の世界。実例として浅草における観客の掛け声のエピソード、終わってみれば下げのあるネタになっていて、観客はいつの間にか昇也ワールドに引き込まれている。
ひとつの演目として成立している「たけのこ」を、短くまとめて小噺として披露。この辺りの技量はマニア受けしそうだ。
本編は、洒落の通じない商家の主人の真面目な様子が可笑しい。洒落に対する理解力が無いというと大袈裟だが、吞み込みが悪く野暮天な旦那の言動で笑わせる噺。この点、昇也師匠の演じる旦那は秀逸。
この日、昇也師匠を聴いていて、声や語り口が圓太郎師匠に似ていると感じた。後で昇也師匠のツイッターを拝見すると、圓太郎師匠に声が良いと褒められたとツイートされていた。

隅田川馬石「お初徳兵衛」
ネタ出しされていたので、馬石師匠のこの演目は楽しみにしていた。そして、実際に聴いてみて、私的この日一番の一席となった。
マクラそこそこに始まった本編。ネットの記事を参考にして、この演目の沿革を記す。この噺は、近松門左衛門の「曽根崎心中」の登場人物の名を借りて、初代の古今亭志ん生が作ったとされる人情噺で、「お初徳兵衛浮名桟橋」とも呼ばれている。この噺の主人公である徳兵衛が船頭の修行を始める前半部分を取り出し、滑稽噺として三代目圓遊師が改作したのが「船徳」。この噺が「船徳」の原型と呼ばれる由縁。今やその「船徳」の方が演目としてはメジャーとなり、この噺の方が珍しい演目となっている。

馬石師匠の一席は、主人公の徳兵衛とお初の二人を情感豊かに描いて見せてくれた。
船頭修行を始めた当初の徳兵衛は、まさに船徳の若旦那と同様に頼りない男。その後、経験を積んで一人前の船頭になった後半の徳兵衛は、男も惚れるような粋で鯔背な男っぷり。一方のお初も、徳兵衛の知っている長屋に住んでいた頃は悪さをしていたみすぼらしい娘だったが、当時から好きだった徳兵衛に会いたいがために柳橋の人気の芸者になった経緯を持つ。芸者というより町娘のような清純な色気。馬石師匠が見せてくれる二人の造形は見事。
そんな成長や変化を見せる二人の想いが交錯するのは、隅田川は首尾の松の元に停泊している屋根船の中。雨が激しくなり、船の近くに雷が落ちる。「宮戸川」のお花半七を思わせる場面。若者二人の情熱は、多くを語らずとも、おのずと想像がつく。そんな色っぽい場面。観客の想像力をくすぐる見事な一席だった。

仲入り

五街道雲助「商売根問」
この日の大ネタは、仲入りの馬石師匠と主任の圓太郎師匠に任せて、雲助師匠は軽い滑稽噺で繋ぎ役に徹する。馬石師匠が作ったしみじとした空気を、ガラリと変える一席。
噺の入りの場面、横丁のご隠居を訪ねた際の八五郎の挨拶のイントネーションが上方弁っぽくなっていた。なんて挨拶だ、と疑問を投げかけるご隠居に対して、こうすればこの噺の出処が分かる、と答える八五郎。なんと、雲助師匠にしては珍しい落語の登場人物によるメタ発言だ。この噺が、元々は上方落語発祥のものであることを、登場人物のセリフの形式で伝えている。
私は、以前より「心の声」と呼んできたものが、エンタメの世界では「メタ発言」と呼ばれていることを最近知った。「メタ発言」とは「メタフィクション発言」の略だそうで、アニメや漫画の登場人物が、作者や読者しか知らない知識や裏事情を作品中で発言したセリフのことを言うらしい。これは、落語の中でも時たま見られる手法だ。現実世界の裏事情を登場人物のセリフとして語らせるというもので、私の好きな遊雀師匠もこの手法は得意技だ。しかし、雲助師匠から聴けるとは思ってもいなかったので、可笑しさと同時に驚きがあった。
噺は「鷺とり」とも似ている。どうやら親戚同士の噺らしい。鳥を捕まえる商売として、雀、鶯と続き、河童を捕まえるところまで発展。馬鹿々々しい内容なので、観客を冷静にさせずに流れるように引き込むという難しさも感じる噺。飄々と語る雲助師匠ならではの可笑しさ。こんな珍しい演目でも楽しい一席を聴かせてくれて、雲助師匠の多才さを感じさせてくれた。

橘家圓太郎「算段の平兵衛」
さて、本日の主任の一席は、長講の上方落語の演目。この長講を掛ける機会はなかなかないだろうから、この日のネタ出しは常連さんたちも期待の一席だったと思う。
さて、私がこの噺を聴くのは二度目。前回は2014年9月の圓太郎独演会、同じ圓太郎師匠での一席だった。そう、私はこの噺を圓太郎師匠でしか聴いていないのだ。前回のことは、曖昧な記憶でしかないが、当時の日記を読み返すと、今回聴いた印象とほぼ同じであることが分かる。ネットによると小朝師匠も以前に掛けていて、師匠から弟子への流れで圓太郎師匠が引き継いだものかもしれない。いずれにせよ、私的には圓太郎スペシャルな噺なのだ。

この噺の沿革をネットで調べてみると、桂米朝師が、滅んでしまった噺を復活させる活動のなか、昭和35年に「珍しい上方落語を聴く会」という小規模な会でこの演目をネタ下ろしで復活口演したという経歴。当時の米朝師も実際の高座を一度も聞いた事がなく、書いたものも残っていなかった噺だそうだ。と言うことは、元の噺はあっても、ほぼ米朝師の創作といってもよい噺だろう。
ここでは筋書きは省略するが、そんな上方落語を圓太郎流に再構成し、複雑な筋書きを登場人物のキャラクターを立たせて、分かり易いものに仕立ている。

主人公の平兵衛は知恵者ではあるが、博打好きで働くのが嫌いという道楽者。人は好さそうなのに、物欲や色欲やエゴむき出しの悪知恵つまり算段で、結果的に儲けてしまうという筋書。その筋書が分かりやすくなっているので、登場人物のキャラの雰囲気や描き方を眺めているだけで楽しさを味わえた。これも、一度聴いていることのプラス効果か。
前回の落語日記にも書いていたが、この噺の筋書に近い印象のヒッチコックの映画をむかし観たことがあった。それが「ハリーの災難」という映画。学生時代、ヒッチコックのリバイバル上映があり、当時映画館で観たのだ。筋書はもちろん違うが、題材や雰囲気に共通点が多いと思う。偶然だと思うが、落語とヒッチコックという意外な繋がり、面白い。


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