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落語日記 小規模な地域落語会でも全力で芸を披露してくれた落語家さんたち

地域落語会
11月7日
情報公開していない地域住民向けの落語会。なので、演目と感想のみを記す。

古今亭まめ菊「元犬」
足袋を忘れて、後の出番のこみち師匠に借りたとのこと。サイズが合わないようで、小はぜを留められないようだ。
何をやりましょうか、と客席を見ながら考える表情が可愛い。人間になったタダシロウちゃんは青年というより少年のよう。やんちゃなタダシロウちゃんでした。

金原亭伯楽「目黒のさんま」
久し振りに拝見したので、すっかり白くなった頭髪で、かなり老けた印象。御年82歳、でもまだまだ口跡は滑らか、かくしゃくとされていてお元気な様子。
マクラは、まずはこの地域落語会とのご縁から。当時、ご近所のお蕎麦屋さんの若旦那に頼まれて、この落語会が始まったとのこと。それから回を重ねて45年も続くとは、当時の伯楽師匠も想像できなかったようだ。そんな感慨深げな表情。
普段は寄席や落語会に行かない人達が多数来場されているようで、続いては、落語入門講座。落語とは落し噺であることの解説から始まって、観客の想像力を助けるための上下などの仕組みのお話。丁寧で分かりやすい解説に、観客の皆さんは聞き入っていた。この日はトリを燕路師匠に譲っているので、前方で客席を和ませる役割に徹していたようだ。
本編は、この演目を演らせてください、とお願いから始める。寄席サイズでシンプルな型。殿様や家来、秋刀魚を焼いている農家の主人と身分と立場を上手く演じ分けているのはさすが。会場に寄席の風を吹かせてくれた伯楽師匠だった。

仲入り

柳亭こみち「そば清」
マクラは、コロナ禍の寄席での演者の感染の話。高座は飛沫が飛び、床に扇子や手を着き、それが顔や口にも触れる。非常に危険な場所であり、そんな話を芸協の昇太会長とお会いした時に伝えた。なので、芸協の感染を防いだのは私です。
本編の演目は、こみち師匠で聴くのは初めて。この噺も、お馴染みのこみち流の改作がなされた一席で、古典落語の登場人物を女性に変えたもの。
蕎麦喰いのフードファイターは、お馴染みの清兵衛さんではなく、清子(せいこ)さんという女性。この清子さん、蕎麦の賭けで五人の子供を育て上げたという猛者。肝っ玉母さんの雰囲気もあり、蕎麦屋の常連たちを賭けで手玉に取る。清兵衛さんよりも太々しいところが可笑しい。
限界を超える厳しい挑戦を受けざるを得なくなり、ピンチに陥った清子さん。この辺りからの筋書きがかなりオリジナル。お竹婆さんという清子さんの相談相手が登場。このお竹婆さんのキャラが強烈。その後の展開はかなり強引なものだが、お竹婆さんのキャラの力で観客を惑わせず、力技で観客をねじ伏せる。改作による筋書の大胆な方向転換を、強烈なキャラ設定と表現力による可笑しさで、観客を納得させた。こみち師匠の力技を見せつけた一席だった。
通常の下げの後、別パターンの下げその2を披露。これは、五人の子供を残して清子さんが死んでしまうのは可哀そう、との女性客からの手紙がきっかけで創作されたとのこと。まさに女性目線で、清子さんが死なない下げの型が生まれた。変則の下げだが、落語ファンを喜ばせる楽しい演出。さすが、こみち師匠だ。
落語の後の余興として、端唄「梅にも春」のあてぶりを披露。芸達者でサービス精神旺盛なこみち師匠だった。

柳亭燕路「子別れ(下)」
この日の主任、にこやかで明るい登場はいつもと同じ。珍しい師弟共演を地域落語会で実現させるとは、なかなかに凄い会だ。
マクラは仕事におけるコロナ禍の影響の話。恒例のクルーズ船での仕事。しばらく中断されていたが、今年やっと再開された。その際のエピソード。乗船前にホテルに缶詰めで検査を受け、乗船客も鬱憤が溜まってきて、待ち時間の退屈しのぎのため急遽の要請で落語を披露。私服にマスク姿で高座もなし、いきなりだし、何を演ればいいんだと悩んだ末に「蝦蟇の油」を披露。真っ当な売口上を語ってから、これから面白くなる後半部分の酔っ払いの口上を始めようとしたところでカットの声。乗船時間となりました、というオチ。
本編の導入部分で、火事が多かった江戸では、焼けてもすぐに再建されたという話から、木材を鎹(かすがい)で繋ぎ、鎹は玄翁(げんのう)という大きな金槌で打つものという話。落語ファンなら、ここで演目が分かるマクラ。下げに繋がる前振りと昔の文化風俗の解説を兼ねたもの。さすがです。
本編は、上と中を短い粗筋にしたうえで、下の「子は鎹」をじっくり。上と中の粗筋は、簡潔で要領良くまとめられていて分かりやすい。

棟梁の熊さんの人の好さが滲み出てくる燕路師匠。亀ちゃんも可愛い。ほのぼのとしている親子の会話に、アクセントとなるのが店の番頭さん。燕路師匠の子別れは、鰻屋の二階に番頭が同席する型。
私は、番頭が同席しない型の方が好み。それは、元の鞘に収まって欲しいと熊さんが照れながらも真摯に元女房へ求婚し、亀ちゃんが喜びながらも親をからかう場面が落語らしくて好きだからだ。番頭が同席すると、熊さんではなく番頭が仲人口のように再婚を勧めるので、熊さんのプロポーズの言葉が聞けないのだ。
でも、今回の燕路師匠の一席を聴いて、仲人として番頭が同席するというのは、当時の時代背景からすると正しい再婚なんだろうなあと考えた。仲人という第三者が縁談の橋渡しをするというのは、単なる紹介者だけではない。相手に対して人物を保証するということであり、世間一般が認める縁談であることの証しでもある。恋愛結婚が例外であった時代、仲人同席の方が正しい形であり、当時としては、熊さんが直接プロポーズする方が異端なのだろう。
そんなことを考えると、番頭同席型は当時の文化風俗に合致したもの、熊さん単独プロポーズ型は現代風の結婚事情に合致したものと区分けできるのでは思った。燕路師匠の番頭さんを見ていると、熊さん夫妻の再婚の橋渡し役として違和感なく登場している。なので、今回、こんな風に考える良い切っ掛けとなった。
地元住民対象の小規模な落語会だが、豪華メンバーの皆さんの渾身の高座で、充実の地域落語会だった。

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