落語日記 今年は正月気分が味わえない二之席
鈴本演芸場 二之席 昼の部 春風亭一之輔主任興行
1月16日
この寄席訪問が、私の今年の落語始め。いつもなら初席のどこかのタイミングでお邪魔しているのに、今年は月半ばとなってやっと初落語が実現。今年は年初から季節感が乏しく、まだ一月であることが実感できないでいた。しかし、高座を見ると鏡餅が飾られ、華やかさはまだこの日が二之席であることを改めて感じさせてくれた。
寄席の興行はひと月を十日単位で区切って、上旬よりそれぞれは上席、中席、下席と呼ばれている。ただし、正月の上席と中席のみ、それぞれ初席、二之席と呼ばれる特別興行が行われる。正月らしい華やかな顔見世興行なのだ。なので、本来は二之席でもまだまだ正月気分が味わえるお祭り興行なのだが、今年はどうもそんな気分ではない。
人気者の一之輔師匠が主任、顔付けも二之席らしい豪華メンバーで、本来なら大入りのはずが、最終的には削減された定員140名の4割くらいの入り。さすがに高齢者の方もほとんどいない。
この二之席の顔付けは、鈴本演芸場で主任を務める真打ばかり。二之席への出演は、鈴本オールスターズ、鈴本芸人であることの証しなのだ。応援している馬治師匠も、兄弟弟子の馬玉師匠と交互出演。馬治師匠の出演日を狙ってこの日に出掛けた。
三遊亭ごはんつぶ「初天神」
前座さんは天どん師匠の弟子。初めて拝見。前座さんにしては、なかなか意欲的な初天神。おねだりしないから連れて行って、というお馴染みのセリフがなく、父親も多少嫌がっているが、基本は優しい父親。金坊も大人しい感じ。それでも笑いどころがある。将来が楽しみな前座さん。
春風亭朝枝「たらちね」
二ツ目ながら老成感たっぷり。芸達者な二ツ目さんだと最近、注目していた。この日も、大家さんの貫禄というか、年配者であることの表現が凄い。朝枝さんはまだ若いはずなのに、おじいさんがそこにいた。語り口もかなり落語家口調、圓生師の物真似を聴いているようでもあった。
伊藤夢葉 奇術
いつものように趣味のムチで破裂音を聞かせてくれる。しかし、このご時世、病魔退散、疫病退散を祈念してのムチの一振り。ご利益ありそうだ。
柳家小さん「粗忽長屋」
鈴々舎馬風師匠の代演。いつものように淡々と奇妙な粗忽者二人。落着きのある語り口は、ある意味心地良い。少しウトウト。
金原亭馬治「短命」
さて、お目当ての登場。いつもと変わらず元気そうで、ほっとする。
マクラでは、美人薄命という言葉の解説。続けて「憎まれっ子世に憚る、皆さん、何と言われようとも長生きしましょう」と客席に向けてメッセージ。コロナのことは一切触れずに、命を大切にして欲しいという主旨のこのメッセージは、コロナ禍を生きる我々客席に強く刺さる。
本編は、察しの悪い八五郎ののんびりした様子とご隠居の我慢強く丁寧な教えの対比が楽しい一席。この日は、客席前方中央に小学生の女の子が陣取っていた。この女の子を前に、短命とは、馬治師匠もなかなか大胆。
換気のため 小休憩
めおと楽団ジキジキ 音曲漫才
初めて拝見。楽団というだけあって、お二人の歌唱と演奏テクニックは本物。旦那の世田谷キヨシさんと女房のカオルコさんの夫婦ユニット。カオルコさんの「ピアニカデコ弾き」は元祖らしい。ダジャレの効いた音楽を披露。日本全国ダジャレ旅というご当地ネタは楽しい。
古今亭菊太楼「紙入れ」
菊太楼師匠は久しぶり。大汗かいての熱演。新吉の慌てる様子が妙に可笑しい。短命に続いての艶笑噺、間男の噺だが、くだんの女の子も受けていた。こんな小さいころからの寄席での人生勉強、きっと素敵な女性になるだろう。
橘家文蔵「手紙無筆」
桃月庵白酒師匠の代演。いつものように落ち着いて淡々した入りから、徐々にテンションアップ。豪快さと繊細さが絶妙に混ぜられた石焼ビビンパ。他の芸人イジリは、ときおり見つかるオコゲのような美味しいアクセント。
ホンキートンク 漫才
新しい相方、遊次さんもすっかり馴染んでいる。利さんから遊次さんに変わっても、ネタはほぼ同じ。遊次さんのボケは利さんとひと味違い、なぜか新鮮。
古今亭文菊「七段目」
柳亭こみち師匠の代演。マクラでは、お馴染みとなった「気取ったお坊さん」と呼ばれているというネタ。最近は「気持ち悪いと言われる」までの自虐ネタになっている。この気持ち悪さは、本編でも爆発。歌舞伎役者を模倣する演技力は抜群だが、気持ち悪いさも感じるくらいぶっ飛び過ぎている。これは褒めてます。音曲入りで、文菊師匠の華やかさ全開の一席。
仲入り
鏡味仙三郎社中(鏡味仙志郎・鏡味仙成) 太神楽曲芸
仙三郎師匠が欠席で、若手二人で熱演。
柳家小ゑん「ぐつぐつ」
登場するなり客席を眺めながら、こんな時期での来場に感謝。女の子を見つけて語り掛ける。ベテランらしさ感じるマクラ。でも噺は若々しさも感じる新作。屋台の鍋の中のおでん達の会話が楽しい。女の子もケラケラと大受け。
入船亭扇遊「一目上り」
小ゑん師匠とは同期かつ同い年。でも若い、と新作派が若く見えることを伝えるマクラ。でも扇遊師匠もお若い。隠居の貫禄もあるが、慌て者で物知らずな若者も、若々しさを感じる。安定感抜群。弾むような語り口は大好き。
林家正楽 紙切り
「羽根つき(鋏試し)・梅に鶯を切る正楽師匠・獅子舞い・宝船・オンライン飲み会」
この日の注文者は、皆さんご祝儀を渡している。まさに、この日は寄席マニアな常連客が集まっていることが分かる。くだんの女の子が「獅子舞い」を注文。二之席に相応しい注文だ。この女の子もきっと寄席好きだ。
「梅に鶯を切る正楽師匠」という注文に、えーっ、と困ったような表情を見せながら、見事な作品を切ってみせ、ちょっと自慢気な表情が可愛い正楽師匠だった。
春風亭一之輔「藪入り」
久しぶりに拝見したお顔は、かなり痩せられている。自粛期間に一生懸命ダイエットされたのだろうか。角張ってきて、職人感が増している。長屋の風景には似合う風貌だ。
マクラそこそこに本編へ。一之輔師匠の藪入りを聴くのは三年ぶり。盆と正月の年に二度と決められていた藪入りのうち、小正月翌日の旧暦の1月16日が、正月の藪入りの日と決められていた。この日が、まさにその藪入り当日。年に二回しかチャンスのない藪入り当日に、藪入りを掛けるという心憎い演出の一之輔師匠。
この噺は、冒頭、本来の噺のマクラとして、明治から大正にかけて大流行したペストの解説がお約束。ここで、当時のペスト対策として、感染経路となっているネズミを捕獲して交番に持っていくとお金がもらえ、懸賞金が当たるクジがもらえたという、そんな歴史が語られる。ペスト感染の危険の認識が薄かったのか、多くの大人や子供たちが鼠を捕まえて交番に持ち込んだそうだ。それは、子供たちにも危険を冒して感染症対策させていたという歴史。現代では考えづらい。
普段この噺を聴いてもあまり感じないこの違和感が、コロナ禍の下にある現在に聴くと、改めて浮かび上がってくる。一之輔師匠のこの違和感の指摘によって、寄席の外の世界では、現在コロナ禍にあるという状況を改めて感じさせてくれる。新型コロナウイルスの話を長々とするよりも効果的だ。ここで、一之輔師匠は目の前の客席にいる女の子に高座から「そこの子供、鼠を捕るのは嫌でしょ」と声を掛ける。客席全体が納得の空気で一体になる。下げにも繋がる忠と孝の説明も、きっちり忘れない。
この噺の見どころは、藪入りの前夜、なかなか寝付けない父親が、あれも食べさせたい、ここへも連れて行ってやりたいと色々な思いをめぐらし母親を寝かさない場面だ。細かいクスグリが入れられるところだが、ここは父親の愛情をストレートに表現した一之輔師匠。夜が明けても、じっとしていられず家の前を掃き掃除。近隣の人たちの優しい目線も、気が立っている父親には通じない。この亀ちゃんが戻ってくるまでの時間で見せる父親の一人相撲。そんなに無邪気に騒がない、どちらかといえば抑え目な表現。それがかえって父親が見せる親の情が観客の心を揺さぶるのだ。すぐ後ろの座席のご婦人からは、いつの間にか鼻をすする音が聞こえてきた。
心揺さぶる父親の情がピークに達するのは、亀ちゃんが帰ってきて再開を果たす場面。あれほど会いたがった亀ちゃんを前に、なかなか息子を直視することが出来ない父親。やっと見ることができると、三年ぶりのその成長に驚く。この間の親子三人の会話は、素直に感情のままに伝えてくれる。
江戸っ子のやせ我慢を匂わせながら、感情がダダ洩れで起伏の激しさは下町の職人気質。そんな父親は、まさに一之輔師匠そのもののように感じる。それくらい凄い表現力なのだ。
終盤の場面、亀ちゃんの財布から15円を見つけたところから下げに向かっては一気呵成。この終盤は簡潔。父親の怒りから反省までの切り替えが早く、展開もスピーディー。この展開の速さが、この噺の後味を良くしている。落語として完結できている。これらが、一席の満足感を高くする理由ではないか、そう感じながら帰路に就いた。
この日記を書いていた翌日17日の夜、鈴本演芸場と落語協会のHPとツイッターで、衝撃的なニュースが断続的に流れてきた。
まずは、鈴本演芸場は2月上席より当面のあいだ休席、3月下席の真打披露興行は昼の部にして開催する予定との告知。そして、次が驚きの告知で、この日記で訪れた鈴本演芸場の二之席の楽屋で働いていた前座さんの一人が、新型コロナウイルスに感染していることが判明し、18日から二之席を一時中止するというもの。
その後、他の前座さん3名の陽性反応が判明して、前座さんの合計4名が感染者となった。鈴本演芸場は急遽、二之席と下席の中止を決め、2月からも中止が決まっているので、鈴本演芸場はしばらく休席となる。
観客に対してはもちろん、演者側にも感染症対策は行っていたはずなのに、感染者が出てしまった。まさに、万全の対策はないということを肝に銘じて行動しなければならないと痛感させられる。
感染された前座さんには罪はない。感染されたことの責任を背負いこんで、思い悩まれなければよいが、と心配になる。感染者された前座さんの一日も早い快復と、出演者や関係者の無事を心より祈りたいと思う。
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