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落語日記 福笑師弟が盛り上げた落語会

木馬亭ツキイチ上方落語会 11月公演
11月20日 木馬亭
毎月恒例で楽しみに通っている木馬亭自主企画公演。毎回、新たな上方落語家との出会えるのがこの会の楽しみで、この日は笑福亭たま師匠以外は、初めて拝見する皆さん。特に、たま師匠と福笑師匠の親子共演がこの日の目玉企画、どんな化学反応が起きるのか、楽しみにしていた。

三遊亭楽太「十徳」
この会ではお馴染みの前座さん、登場するなり「楽太!」の声が掛かる人気者になってきた。相変わらず、達者な語り口、すでに二ツ目レベルだ。

月亭希遊「商売根問」見台なし
月亭遊方門下、初めて拝見。挨拶から、楽太さんより一段とテンションアップした発声で、観客に印象付けようとする上方落語らしさ。この明るさが上方落語の魅力だ。
マクラの楽しさも、漫才と競っている上方落語らしく、可笑しくオチのある小噺風。東京へ来る新幹線の車中での出来事などの話題を面白可笑しく。
ネットで調べると、入門6年目。江戸落語でいうと二ツ目になってまだ日の浅い若手くらいの年数。勢いがあり、また意欲的な表現で若手と感じさせない達者さがある希遊さん。
楽して儲けようとして繰り出す商売の手法の馬鹿々々しさ、真面目に成功すると考えている男の可笑しさ。そんな躊躇なく語る男の失敗談が爆笑を呼ぶ。
月亭八方師匠の孫弟子にあたるとは、自分が歳を重ねていることを痛感させられる若者だ。

笑福亭福笑「鹿政談」見台なし
笑福亭松鶴門下で、たま師匠の師匠にあたる。今回初めて拝見。高座に登場したときの客席の盛り上がりが凄くてびっくり。福笑師匠お目当ての観客が、大勢駆け付けていることに驚く。後ろのお客さんも関西弁で福笑師匠に大拍手されていた。追っかけだろうか。
ネットで調べると、松鶴一門の中でも爆笑派で、古典落語・新作落語の両刀使いで、関西には熱狂的なファンが多い落語家のようだ。この日は、そんな人気者の師弟の共演という顔付けで、先月よりも観客の入りが多かった。おそらく、このお二人目当てなのだろうと思う。
マクラは、国内外の情勢不安な話を固有名詞を上げながら語り始める。見かけによらず、インテリなマクラ。これが福笑師匠の魅力なのかと思っていると、阪神タイガースの優勝の話でオチを付け、会場爆笑。
初めて拝見するので、普段の高座もこんな風な芸風かと思っていた。後で弟子のたま師匠から、福笑師匠はこの会の前に浅草演芸ホールでの瀧川鯉朝主任興行に出演されて、出番が終わった後にお酒の歓待を受けて、かなり酔っ払っていたとの話があった。後から考えてみれば、なるほど、ロレツの怪しさや口ごもる語り口はまさに酔っ払い。しかし、本編に入ると、弾け具合の凄い一席に、驚かされる。

豆腐屋の親爺は大人しい町人だが、それ以外の登場人物の武士たちが、みな個性の塊でぶっ飛んでいる面々。
奈良の町奉行は、なんとか豆腐屋の命を助けようとする慈悲深く正義感あふれる人物。居並ぶ奉行所の役人たちに、鹿ではなく犬に間違いないと言わせるところまでは、いつもの鹿政談。ところが、鹿の守役の塚原出雲という悪役が登場してから、噺は一気にヒートアップする。この塚原出雲が、時代劇の悪役をもっとくどくしたような感じで、いかにも憎々しい表情で、鹿であると主張する。このどうみても悪人という表情とセリフに、会場は爆笑。
そこで町奉行も切れて、負けず劣らずの悪態で、悪役の出雲を責める。このぶっ飛びぶりが凄い。てめぇら人間じゃねぇ、ぶっ殺してやると、刀を振り回して大暴れ。周囲の小役人が、破れ傘刀舟じゃないんですから、そんな細かいツッコミも見せる。
人の好い豆腐屋が鹿ですと自白しているのに、町奉行はそんな豆腐屋も恐喝して犬だと言わせる。向かうところ敵なしの町奉行。酔っていてもいなくても、これが、福笑落語なんだろう。こんな破天荒な鹿政談は初めて聴いた。
乱暴者の町奉行の暴れっぷりが凄かったのは、酔っていたのでいささかタガが外れたのかもしれないが、それはそれで、アルコールが破天荒さの後押しするという好効果をもたらしたと言えるだろう。
下げのあと幕が閉まっても、福笑師匠の余韻で客席がざわついている。何が起こるか分からない、そんな高座も福笑師匠の魅力だということが良く分かった。

仲入り

桂弥っこ「八五郎坊主」見台なし
桂吉弥門下、初めて拝見。幕が開くときに幕内が何だが騒がしい。高座に上がった弥っこさん、開口一番、前座さんが福笑師匠を見送って居なくなったので、我々が交代で前座仕事をしていますと。このときは、まだ福笑師匠が酔っているとは分からず、地理に詳しくない福笑師匠へ道案内したくらいに思っていた。
穏やかな語り口は、さすが吉弥師匠の弟子という感じで、正統派を思わせる。マクラはベアリング会社に就職していた社会人経験の話から、滑り続ける商品を作る仕事から、滑ってはいけない仕事に変わったという自己紹介のネタ。
本編は、初めて聴く演目。調べると、江戸落語では聴かれない上方落語特有の噺らしい。仕事もせずにフラフラしている八五郎に、何か仕事に就きなさいと勧められて僧侶になる噺。端正な語り口で聴かせてくれる滑稽噺、弥っこさんの独自の芸風が面白い。登場人物は、楽して暮らしたいという欲望丸出しの男、格好だけで僧侶になったつもりで喜んでいる単純さ。一席目の商売根問と同じ、欲望に素直な男の可笑しさが落語らしさを感じさせてくれた。

笑福亭たま「地獄八景亡者戯」見台あり
笑福亭福笑師匠の唯一の弟子。今回の顔付けの目玉の親子共演。東京でもお馴染みの人気者の登場に、会場も大盛り上がり。
マクラでは、まず、福笑師匠を前座さんが東京駅まで付き添って見送りに行っているという話。この会の出番前、昼間の出演後に歓待されたようで飲んでしまい、福笑師匠はかなり酔っ払っていたという事情が明かされる。福笑ファンからすると、なるほど師匠ならあり得る、という話かもしれない。しかし、東京の落語ファンにとっては、普段の福笑師匠をよく知らないし、今は演者が酔っ払った高座を目の当たりにする機会はほぼ無い。なので、爆笑と同時に驚きの高座でもあった。
演者に対して社会人としての厳しい目線が注がれる現在、またメディアに対してもコンプライアンスの社会的要請が強まっている。今や芸人のやんちゃも厳しく糾弾される時代。しかし、一方で日常の常識を覆すような破天荒さを芸人に求めているのも、観客の心理だ。芸人だから許される、芸人のやんちゃに喝采を贈りたい、しょうがないと笑い飛ばしたい、そんな感情を演芸を楽しむ香辛料として観客が持っているのも事実だと思う。志ん生、先代馬生の伝説の高座、現代の落語界では観ることはないと思っていたが、この日の浅草で遭遇するとは。まさに、放送に載らないライブならではの、楽しさ醍醐味なのだ。
人気者なのにメディアで拝見できないということは、制約の少ないライブ会場でその魅力を発揮できる芸人ということだと思う。登場されたときの盛り上がりの凄さから、福笑師匠がそんな芸人だということを福笑ファンが伝えてくれた。
たま師匠も、福笑師匠の若かりし頃のやんちゃなエピソードを紹介しながら、コンプライアンスによって芸人のマスコミに登場する基準が厳しい現代社会の状況を語ってくれた。冷静な分析のなかでも、弟子としての師匠に対する暖かな視線も感じるたま師匠だった。

たま師匠の魅力のひとつは、さすが京大出身と思わせる理論的なエピソードの解説が、可笑しさをうむ楽しいマクラ。この日も福笑師匠のこともそうだが、上方落語界の一門によるカラーの違いの話や、出身地である貝塚市のお祭りでのエピソードが爆笑を呼ぶ。
面白かったのは、上方落語界での一門のカラーの違いを、打上げの風景の違いで見せてくれたところ。前座さんたちの気遣いの視点が一門によって全く異なるという解説。分かりやくすて可笑しいという、たま師匠流解説。そんなマクラで、大いに会場を沸かせてくれた。
本編は、たま師匠のオリジナルなクスグリ満載の一席。地獄巡りなので、亡者として亡くなった有名人が登場するのだが、つい最近に亡くなった有名人を数多く登場させるという世情の反映に対する敏感さを見せてくれた。
オリジナルの工夫だと思うが、閻魔大王の前の裁きの場面になったとき、前方の出演者の弥っこさんと希遊さんを一人づつ高座に呼んで、師匠に対するシクジリ話を告白し懺悔させるという趣向。お二人とも、マジのシクジリ話が楽しく、たま師匠の判定が二人とも地獄行という及第点。
上方落語らしい鳴り物入りで、華やかさもある一席。観客サービスの凄さが、たま師匠の人気の源泉だと強く感じた一席だった。


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