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落語日記 この会場ともしばしの別れとなる老舗落語会

第671回 落語研究会
5月21日 日本橋劇場
流浪の老舗落語会、TBS主催の落語研究会。次回からは次の会場のよみうり大手町ホールへ移転し、日本橋劇場では今回が最後の開催。この規模の会場では、満員となっているが、次の会場は501席というキャパ、さて、次回の客席の混み具合はどうなるのかと興味あるところだ。

雷門音助「両泥」
この会の二ツ目枠で顔付けされたこと自体、若手の実力者として評価されたことの証し。昨年の第34回北とぴあ若手落語家競演会で大賞を受賞という実績が物語る。芸協の若手の中でも注目株。
マクラは、地方公演はたいがいが日帰りという話から。本編は、初めて聴く演目。ネットで調べると、芸協ではよく掛かっている噺のようだ。
筋書きは、新米の間抜けな泥棒とベテラン泥棒のやり取りが笑いを誘うもの。ベテラン泥棒が新米泥棒に、泥棒の手口を懇切丁寧に教えるのだが、新米の反応が間抜けで、ボケとツッコミの漫才のようなパターン。これを音助さんの明瞭で聞き取りやすい語り口で聴かせる。開口一番ということもあって、若干意識が飛んでしまった。

柳家さん喬「そば清」
浅い出番での高座は、さん喬師匠の軽妙さが活かされた一席。ベテランの余裕と言うか、落ち着いたマクラの挨拶から、客席の空気がさん喬ワールドに変わっていった。
季節感が無くなってきたという、今の世相を象徴する何気ない話題。野菜の旬が無くなっているという話から、子供の頃の思い出話を引き合いに出して、客席の共感を集める。そして、蕎麦にも季節感はあったとの話から本編へ流れ込む。
噺自体の軽妙さは、フードファイター清兵衛の「どぅーもぉ」という挨拶に象徴される。蕎麦屋の常連たちからの挑戦に対して、食べられるかどうか、と惚ける清兵衛。噺の筋書きを知っている観客からすれば、見え見えの嘘の具合が絶妙で、何気ない会話だけなのに笑ってしまう。
山中で目撃したウワバミが赤い草を舐める件、ここが下げに繋がる肝心なところ。この会の常連さんたちなら先刻承知の設定。それをあえて強調し解説することで、爆笑の場面になる。ここで、母親が作ってくれた日の丸弁当の思い出話が挿入される。梅干しはアルマイトの弁当箱の蓋は溶かすが、ご飯は溶かさない。この例えも可笑しいし、何度も繰り返すことで可笑しさが増す。
清兵衛が50枚に挑む挑戦。47枚目が終わったころから見せる清兵衛の苦悶の表情が秀逸。後半の見どころだ。とぼけた清兵衛の苦しむ様子、可哀そうだが笑ってしまう。軽妙な一席も見事なさん喬師匠だった。

柳家蝠丸「江島屋怪談・恨みの振袖」
芸協の寄席に行く機会が少ない私が、応援している数少ない芸協の師匠。何度か聴いているうちにファンになった。この日は協会、芸協とも好みが揃っていて、嬉しい顔付け。ネタ出しされているこの演目も、初めて聴くもの。なので、楽しみにしていた一席。
まずは、この噺の成り立ちや、イカモノという言葉の解説から。この前提知識を教えてもらうだけでも、本編の受け止め方が大いに違ってくると思う。
この演目は三遊亭圓朝作の「鏡ヶ池操松影」(かがみがいけ・みさおのまつかげ)という長編の中の一部を再構成したものらしい。志ん生師がよく掛けていたようだ。
噺の舞台は、下総の原なかのあばら家。そこに立ち寄ったのが、江島屋という古着屋の番頭。その家の老婆の昔話から江島屋との因縁が明らかになっていく。この老婆の昔話の場面で三味線が入る。
老婆の語り口や表情が見事で、痩せている蝠丸師匠の顔立ちが醸し出す雰囲気にピッタリ。やはり、痩せている演者の方が、怖さの迫力が増す。飄々としている蝠丸師匠、意外と怪談にも合っていて上手なことが分かった。

仲入

五街道雲助「駒長」
こちらも落語協会を代表する飄々派の雲助師匠。マクラは、美人局と書いて「つつもたせ」と読むという話から。昔、どういう意味か試験に出たらしい。NHKという解答があった。私ならTBSと答える。そんなヨイショに、会場も拍手喝采。
噺の主人公の亭主は、いい加減な性格でかなりの悪党。借金を踏み倒すことや借金取りから美人局で金品を奪う企みを、さらりと軽く女房に話す。日常事として当たり前のように悪事を語る。そんな風に演じる悪党の描写が、雲助師匠の魅力を象徴している。こんな悪党が主人公の不道徳な演目も、軽さと可笑しさでサラッと聴かせてくれるのが雲助師匠の魅力なのだ。こんな悪党の存在も世の中の真実、それを痛感させてくれるからこその大衆芸能の人間国宝なのだ。
そんな悪党が、最後にくらう手痛い仕返しは、観客も腑に落ちる決着。観客を納得させて後味良く終わらせるところも、落語らしくて良かった。

柳家三三「大工調べ」
この会はすべてネタ出し。なので、三三師匠の「大工調べ」は大いに興味をそそられ、この一席も楽しみにしていた。私にとっては、志ん朝師のイメージが強く残っている演目。どうしても志ん朝師の高座と比べてしまうのだ。そんな視点で観たが、三三師匠らしさを感じる一席だった。この演目によって、三三師匠の新たな一面を発見した楽しさを味わえたのだ。
この演目は、どうしても棟梁の大家に対する啖呵の場面が注目される。三三師匠の啖呵の場面は、棟梁の啖呵の威勢がよくて切れも良いのはもちろんのことだが、ここで与太郎がボケまくるところが特徴的。棟梁の啖呵の爽快感を味わうことよりも、与太郎のボケを活かすことを重視したように感じた。そのために、ギャップをより効果的にするため、威勢のよい啖呵を聞かせている、そんな感じを受けた。これも三三流の大工調べだろう。
志ん朝師はあまり詳しく語らないところ、与太郎が願書を携え奉行所に突入する場面。ここを三三師匠は詳しく丁寧に語る。門番に「差越し願い(さしこしねがい)はあいならん、順当を経てのお取上げ」と断られる。それでも、棟梁の指示で与太郎は何度も粘り強く願い出る。この場面を、こんなに丁寧に語られるのを聴いたのは初めてだ。
下げに繋がる文句の「細工は流々仕上げを御覧じろ」を三三師匠は何度か口にする。この文句を強調するのは、何とか観客全員に下げを納得して欲しいという思いからだろう。
そんな下げに向かってトントンと進んでいたお白州の場面で、なんと携帯の着信音が響き渡る。収録もされている会なので、開演前も何度も注意があったのに、この落語研究会ですら着信音が鳴ってしまうとは。もはや、会場の設備で携帯の電波を遮断しないと、観客の意識に頼るだけではこの問題は解決しないということだろう。
この場面での三三師匠の対応が見事だった。お奉行様のセリフの中で会場に向かって「携帯を切れ!」と一喝したのだ。これには会場も大受け。でも、この一喝は三三師匠の怒りの本音であったようにも感じた。そんなこともあったが、客席を満足させた三三師匠だった。


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