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落語日記 伝説の名人没後すでに五十年

末廣亭 9月中席前半夜の部 五代目古今亭志ん生没後五十年追善興行
9月15日
先代金原亭馬生没後40年・古今亭志ん朝23回忌、先代古今亭圓菊13回忌追善、五街道雲助人間国宝認定記念、チラシに並ぶ数々の記念の年。ネットで拝見した菊之丞師匠の発言によると「本来は五十回忌をやらなければいけなかったが、コロナ禍で身動きがとれなかった」とのこと。昭和48年9月21日に83歳で亡くなった五代目志ん生。本来は令和4年が五十回忌の年だったので、これに合わせて開催したかったはず。なので、今回は五十回忌追善ではなく、没後五十年追善と冠しての開催。プロデュースは古今亭菊之丞師匠。
特別興行なので、十日間を前半と後半に別けて昼夜それぞれの主任を雲助師匠・志ん彌師匠・志ん輔師匠・馬生師匠の四人が務め、色物も含め古今亭・金原亭一門が総出演。日程が合ったこの日は、志ん彌師匠が主任を務める前半の楽日。短い日程だが、前半組の最後の日。演者の皆さんも、安堵感のような雰囲気を出している。

桃月庵白浪「庭蟹」
途中入場。先代馬生師から見ると曾孫弟子。志ん生から見ると玄孫弟子、そんな世代が活躍している。五十年も経つとはそういうこと。

金原亭馬治「代書屋」
得意の滑稽噺で会場を暖める。特に古今亭所縁の演目でもなさそうだが、馬治師匠にとっては、瞬発力のある寄席向きのネタ。そして大概は外さない鉄板のネタなのだ。マクラも、何度も聴いている鉄板のネタ、師匠の入院。

古今亭志ん五「ざる屋」
元々は、名前を継いでいる先代志ん五門下。ということは志ん朝の孫弟子にあたる。志ん五師亡き後は、志ん橋門下へ移籍。
プログラムの香盤で、馬治師匠の出番と入れ替わっている。聞くと、この日の豪雨の雷で電車が止まって遅れたとのこと。高座では、焦った様子も見せず、飄々とした表情で語るマクラはコロナ禍での楽屋の検温の話。そこから縁起担ぎの話を振って本編へ。
これは金原亭の若手がよく掛けている一門由縁の噺。新作以外でも実力発揮の志ん五師匠。

笑組 漫才
色物さんも古今亭一門。元々は志ん朝一門の漫才師。痩せたボケのゆたかさんと太ったツッコミのかずおさん、ネットではそう書いてあるが、太ったかずおさんをイジルゆたかさんの方がツッコミっぽい。
寄席で拝見するときの印象は、若手漫才師。しかし実は、1986年(昭和61年)結成というから、今年で36、7年目のベテランコンビ。最後に二人による南京玉すだれの余興。かずおさんが、玉すだれではボケている。

金原亭世之介「宮戸川(序)」
先代馬生の弟子、志ん生の孫弟子。マクラはたっぷりの漫談。コロナ禍が明けて久しぶりに会う仲間も多い。この芝居中の楽屋も、久しぶりに会う先輩方との会話が楽しい。病気の話でも盛り上がるようだ。
そんな長いマクラのあとは、宮戸川の前半の途中まで。半公の叔父さん宅の二階に上がったところで終了。この中席はお祭りなので、本編はそんに重要じゃない。マクラで盛り上げた世之介師匠だった。

古今亭志ん陽「疝気の虫」
志ん陽師匠は、志ん朝、志ん五、そして現在の志ん橋師匠と、師匠が変わってきた。古今亭の師匠方は早世された方が多く、そのことが分かる弟子の代表なのが志ん陽師匠。なかなかに苦労されてきたはず。そんな暗さは微塵も見せない高座の表情。この日も、疝気の虫たちの奇妙で可愛い行動で、会場を陽気に盛り上げる。

古今亭菊丸「幇間腹」
古今亭今松師匠の代演。先代圓菊門下。なので、志ん生の孫弟子。
寄席ではお馴染みの売れっ子。いい加減な若旦那と、哀れなほど客である若旦那に媚びへつらう幇間を見事に描く。安心の安定感で仲入り前を締めた。

仲入り
雛菊さんが会場を周りながら、志ん生の復刻版の手拭いを販売。私は入口脇で販売していた白浪さんと小駒さんから、記念に一本購入。志ん生のリアル曾孫も、物販で大活躍。
この手拭いは高座に掲げられていた。山道という柄だそうだ。

座談 志ん陽・志ん彌・世之介(客席から見て高座下手からの並び)
この特別興行の目玉企画が、志ん生所縁の豪華ゲストを迎えての座談。昼の部、夜の部とも座談会があり、ゲストは予め告知されいて、日替わりで登場。落語家以外のゲストは以下のとおり。
美濃部由紀子(十代目馬生次女・小駒さんの母親)
松尾スズキ(俳優)京須偕充(落語評論家)
宮藤官九郎(脚本家)清水孝子(本牧亭女将)
森山未來(俳優)中尾彬・池波志乃(俳優)
南沢奈央(俳優)東出昌大(俳優)
さすが、NHK大河ドラマ「いだてん」で落語監修を務めた古今亭菊之丞師匠のプロデュースだけあって、大河ドラマの関係者や、マスコミで売れている有名人が多い。ところがこの日は、ゲストの告知の無い日だった。
もしかしてサプライズゲスト、たとえば「いだてん」で志ん生を演じた大物タレントが登場かも、なんて一人で期待していたが、結局、ゲスト無しのまま。ちょっと残念。しかし、出演者が落語家だけなので、師匠の思い出話を沢山聞けて、却って良かったかもしれない。

登壇者の三人は、それぞれ先代圓菊一門、先代馬生一門、志ん朝一門、と志ん生の孫弟子の皆さん。なので、志ん生、先代馬生、志ん朝の三人の思い出話を、傍らで直接見聞きしていた弟子筋から聞ける貴重な機会になったと思う。
特に印象的なのは、志ん生と先代馬生の酒を巡る話。二人とも酒好きなことで有名で、飲酒にまつわるエピソードには事欠かない。中でも、高座で寝てしまい、観客から「寝かせておいてやれ」の声が掛かったとの志ん生の有名な伝説がある。落語界でも最も有名な伝説のひとつと言ってよいだろう。
世之介師匠が語ったところによると、当時現場にいた先代馬生から直接そのときの様子を聞いたそうだ。酔っ払った志ん生が高座で寝てしまったのは事実のようだが、それ以外の真実は他にあるとのこと。その中身は、会場で聴いた者だけのお楽しみということにして、これ以上は詳述しない。
そんな志ん生が愛した日本酒が、この日の楽屋にも置いてある菊正宗。志ん生は銘柄にこだわりはなかったのが真実のようだが、志ん生宅出入りの酒屋「矢部酒店」が気を利かせて、菊正宗の特級を配達していたようだ。志ん生が愛飲していると聞いた菊正宗の会社が、たいそう喜んで志ん生に直接菊正宗を届けるようになったそうだ。かわいそうなのが、志ん生宅へ酒を販売できなくなった矢部酒店。気を利かせたのが仇になった。そんなオチがついた。
酔っ払った状態で高座に上がっても許された時代。今では考えられないし、許されると思っている落語家は一人もいないだろう。当時だって、決して許される行動ではなかったはずだ。時代が許していたというより、おそらく、志ん生、先代馬生だからこそ許されたと考えるべきだろう。酔っ払いエピソードの数々を聴いて、そんな風に感じた次第。
撮影タイムもあり、没後五十年追善興行の名に相応しい、楽しい座談だった。

古今亭志ん松「粗忽の釘」
この芝居は休席されている志ん橋師匠の弟子。独時の間で個性強めの印象。粗忽者の粗忽ぶりが任に合ってる気がするが、その相手をする長屋の住民たちも、どこか粗忽っぽい。そんな一席。これって意外と志ん生路線かも。

マギー隆司 マジック
先代圓菊一門。前半は真面目に高等テクニック。後半は、コミカルな手品で沸かせる。

古今亭菊寿「小言念仏」
続いても先代圓菊一門。この日の主任の弟弟子。まずは、ご自身が69歳との年齢と、それよりも老けて見える風貌のマクラ。実年齢を聞いて、客席はちょっとした驚きの反応。私も正直、七十代後半くらいかなと思っていた。なので、念仏の合間に小言を垂れ流すご隠居の風情はピッタリ。お爺さんキャラにハマり過ぎて、可笑しさが相殺されてしまった感じ。

隅田川馬石「元犬」
雲助一門、と言うことは志ん生の孫弟子。不思議な可笑しさがあるという点では、志ん生のDNAを引き継いでいる。馬石師匠のこの演目は、私が大好きな噺。シロの無邪気で悪気が無い不思議な行動は、非常に自然で、まさに犬が人間になったらシロみたいになるのではと思わせてくれる。まさに「自然と変わっている」。追善興行の膝前という大舞台で、こんな軽い噺を掛けてくれる馬石師匠、素敵です。

翁家社中
和助さんと小花さん夫婦コンビ。まずは、広げた扇の要に紐を付けて、それを両手で振り回す芸から。初めて拝見した芸。スピード感あって華やかで、見せ場もある。バトントワリングのような芸。
その後に、五階茶碗、土瓶の曲、投げ物とお馴染みの出し物が続き、華やかに追善興行に華を添える。

古今亭志ん彌「妾馬」
さて、主任は先代圓菊一門を代表して志ん彌師匠の登場。古今亭一門でも一大勢力となっている先代圓菊一門。人気者も多数輩出している一門だ。志ん彌師匠は久々に拝見。
演目は、追善興行に相応しいお目出たいお噺。八五郎の奇矯な江戸っ子ぶりが可笑しい一席だった。古今亭は自由奔放さと同時に、語り口が綺麗だという印象がある。この芝居の主任の四人の師匠方は全員この印象を持っている。おそらく、古今亭金原亭の芸風を代表する落語家として選ばれたのだと思う。五十年と言えば半世紀、そんな期間でこれだけの広がりと充実を見せている一門。この追善興行で再認識させてもらった。
最後に、出演者が高座に並び撮影タイム。その後、観客も含め全員で三本締め。この一門の益々の発展を、皆で祈念した追善興行となった。


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