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落語日記 古今亭一門五人の研鑽会

四の日昼席
4月4日 スタジオフォー
会場は巣鴨庚申塚の近所にあり、「おばあちゃんの原宿」として有名な巣鴨の地蔵通り商店街にもほど近い場所にある。この地蔵通り商店街は、毎月4日の付く日に縁日が行われ、それに因んで毎月4日の昼間に会場スタジオフォー主催の落語会が開催されている。
レギュラーメンバーは、初音家左橋師匠、隅田川馬石師匠、古今亭文菊師匠、桂やまと師匠、古今亭駒次さんの五人、私の好きな古今亭の皆さんだ。日程が合えば通いたい会だが、昼間の開催なので、4の日が週末か祝日に当たらないとなかなか行けない会。この日は日曜日で都合もついたので、3年ぶりの訪問となった。
さすが日曜日の開催となったためか、満員の人気。客席の間隔は、多少広めの配置。受付で検温と手指消毒の実施。

桂やまと「本膳」
この日の開口一番は、やまと師匠。出演順は、毎回交替されているようだ。久しぶりに拝見したやまと師匠は、少し瘦せられたよう。
マクラでは、先月にギックリ腰になった話題から。慢性化しているようで、何度目かの発病。しかし今回の症状はかなり重く、動けなくなった。予定していた梶原いろは亭に出演出来なくなり、急遽、志ん好師匠に代演を依頼されたとのこと。そんな重症なので、病院で診察してもらったら、ずいぶん前に腰椎が折れていたことが判明。客席もびっくりのお話。現在は症状も治まったようで、この日は元気な様子でいつもと変わらない高座。病院で聞いた話として、腰に良い姿勢、悪い姿勢を紹介。一番腰に悪い姿勢が、正座してのお辞儀というオチ。

本編は、大勢の田舎弁が飛び交う、伝言ゲームのような楽しい場面が続く一席。やまと師匠では初めて聴く。村人たちが恐れおののいている様子を、田舎弁を駆使して見事に描写しているやまと師匠。
この噺の本膳とは本膳料理のこと。これは、室町時代に確立された武家の礼法が発祥で、江戸時代に発展したもの。料理というよりは、食事の儀式のことらしい。現在では、婚礼の際の三々九度などに名残が残るくらいで、すでに廃れてしまっている。なので、武家の作法であって、今で言うテーブルマナーよりも、かなり敷居が高く格式のあったものらしい。村人たちが、こんな大騒ぎするのも、単なる礼儀知らずという訳でもないようだ。以上はネットで調べた蘊蓄話。
こんな歴史的な予備知識がないと、村人たちが戦々恐々とすることが理解できないということになる。私も調べてから、村人たちの大騒ぎの訳が分かった。本来の可笑しさが、なかなか分かりづらい噺なのだ。

古今亭文菊「加賀の千代」
最近、寄席でよく拝見している文菊師匠。ここはレギュラーの会で、お馴染みさんが多い会。なので、いつも寄席でやってる気持ち悪いお坊さんのマクラは無し。こんなところも寄席との違い。
マクラは、昔の男性は威張っていたのが当たり前、そんなお話から。最近世間で話題の女性蔑視発言問題を念頭に置いたかのように、昔は当たり前だったことが現在では通用しなくなったという話を面白可笑しく。そんなこと家で言ったら、消されます、に会場爆笑。
例えに「浪速恋しぐれ」の歌詞を出す。岡千秋は言ってた「芸のためなら女房も泣かす。それがどうした、文句があるか」。このフレーズを繰り返すだけで、観客は大笑い。都はるみが言ってました「そばに私がついてなければ。泣きはしません、つらくとも」こんなセリフは聞いたことがない。愚痴と皮肉を混ぜ合わせたようなマクラ、さすがです。

本編は、そんなマクラが効果的な夫婦の噺。掛買いの払いがたまっている甚兵衛夫婦。呑気な亭主甚兵衛さんにあきれるだけではなく、知り合いの隠居に金を借りに行けと尻を押す女房。かなりのしっかり者だ。まさに「女の利口と男の馬鹿はつっかう」という言葉どおりの、落語世界の典型的な夫婦。
この甚兵衛さんは、感情丸出し感情駄々洩れで、これを文菊師匠はひと言「剥き出し」と表現。人が好く穏やかなご隠居は、甚兵衛さんの多少の奇行には驚かない。女中のお清に「慣れなさい」と諭すも、あまりの奇行にご隠居もついに「私も慣れない」と値を上げる。これら文菊スペシャルなセリフは、ツボにはまった。

初音家左橋「愛宕山」
久しぶりに拝見した左橋師匠は、少しふっくらされた印象。
前座の頃、落語協会では毎年夏に成田山詣りをしていたという昔話から始まるマクラ。大山詣りをした年もあった。成田山は山登りではないが、大山詣りは本当の山登り。当時参加されて先代馬生師、先代小さん師たち名人の思い出が楽しい。小さん師は二人の小さいお孫さんと参加、その一人が花緑師匠。また、当時は先代馬生師匠をお爺さんと思っていたが、実は40代だった。ベテランの左橋師匠ならではのお話。
江戸は信心で山登りするが、上方では遊びで山へ登る、との話から本編へ。なんと、ここで左橋師匠の愛宕山が聴けるとは、ちょっとびっくり。おまけに下げまで全編通しだった。仲入り前のポジションだからか、大ネタを掛けてくれた左橋師匠に感動。
この演目は体力が必要な噺、失礼ながら、通しは無いだろうと思ってしまった。しかし、そんな素人の懸念を裏切る通しの大熱演。志ん朝師匠の十八番であり、古今亭一門で大切にされている噺。しっかりと引き継がれていて、感動。

幇間の一八の軽妙さは見事。この噺の見せ場の一八が山道を唄いながら登る場面の楽しさ。徐々に疲れてきて、お付きの者と喧嘩が始まるところの馬鹿々々しさ。
また、この噺は仕草が重要な要素。見晴らし台で、旦那が土器を投げる仕草、一八が傘を抱えて飛び込むまでの仕草、谷底で小判を見つけて拾いながら歓喜する仕草。そしてクライマックスの一八が見晴らし台へ生還を果たすまでの仕草。これらみな、さすがベテランという見事さだった。
山の中の場面で、ウグイスの鳴き声を指笛で披露。この鳴き真似が、江戸家小猫先生ばりの見事さ。そんな特技も見せてくれた左橋師匠だった。

仲入り

古今亭駒治「首都高 怒りの脱出」
マクラは、昨年、運転免許を取得しましたという話から。これには会場は大喝采。常連の皆さんはご存じの様子。今は車の運転を楽しんでいます。最近、群馬県まで往復してきました、という報告にも、会場がワーッと沸く。そこから、東京の上空には魔界があります、と脈絡のない意外な発言。何だろうと思っていると、それは、首都高です。なるほど、車の運転の話と繋がっている。
この日の演目を紹介、駒治師匠の首都高を運転して驚いた実体験から作った新作とのこと。免許取り立てで首都高を運転する恐怖を描いた落語なのだろう、と観客はみな想像がつく。これが、前振りとなって、この落語をより面白くする効果があったのだ。

本編は、その前振りの期待に違わず、運転免許を取った翌日に彼女とドライブで東京から横浜へ向かったカップルの噺。ここでは、ドライブレコーダーの指示で首都高に入ってしまい、どうしても一般道へ降りられなくなってしまった恐怖が描かれる。この首都高のパーキングエリアには、同じように首都高を出られなくなったオバサンや観光バスで来た団体客も登場。同じ境遇の人達が、仲間になっていくのはお約束。最後は力を合わせて首都高から脱出を果たすという、感動の落語なのだ。
車中から彼女は、携帯で両親にSOSを送る。興奮した彼氏は、切迫した場面で突然のプロポーズ。これを携帯で聞いていた父親が激怒するという修羅場。母親を含め、この四人の会話が奇妙に可笑しい。駒治ワールドが炸裂した楽しい一席。

隅田川馬石「火事息子」
この日の主任は馬石師匠。私は若手だと思っているが、このレギュラーの中での香盤は二番目だし、徐々にベテランの域に近づいてきたのかと、ふとした感慨。
マクラは、本日は芸協の真打昇進披露パーティーがあって出席してきました、との報告から。同じテーブルに馬生師匠が座っておられ、落語協会の理事として挨拶されたとのこと。その挨拶のとき、馬生師匠からスマホを渡され、写真を撮ってくれと頼まれた。スマホをはじめ、IT機器には弱い馬石師匠。えーっ、どうやって撮るんですか、とひと騒動。最後はメモリいっぱいになるくらい連写しまくった。このエピソードを面白く聴かせてくれて会場もひと盛り上がり。
きょうはトリですから、そんなに長くはやりませんが、トリらしい噺をやります、そんな前置きに期待が高まる。そこから、江戸の火消の役割りを担っていた臥煙(がえん)の解説が始まる。なにーぃ、この時季に火事息子が聴けるのかと、びっくりさせる馬石師匠だ。

本編は、雲助師匠の弟子らしい古典の香りをぷんぷんさせた本寸法の一席だった。火事騒ぎで慌てる商家の風景を、見事に伝えてくれた。
前半の蔵に目塗りする場面は、大旦那と番頭の遣り取りが滑稽で楽しい。座って語っているのに、番頭が蔵の折れ釘にぶら下がる様子が目に浮かぶ。臥煙になった若旦那が屋根伝いにやって来る様子も、映像が見えるようだ。
そんな動きのある前半と違って、後半は商家の土間での親子対面の静かな場面となる。ここでは、大旦那が番頭の仲介で若旦那と再会を果たす感動の一幕。セリフの少ない息子若旦那だが、土間の隅で全身の彫り物を隠すように小さくかしこまって恐縮している様子が、その気持ちを雄弁に物語っている。
若旦那からカメラは水平にパンして、この後は、大旦那と母親の両親の会話のみで物語は進む。その二人の話を聞いている若旦那の表情は見せない。観客の視線が、まさに両親を見ている若旦那の視線なのだ。映像で例えるなら、このカメラワークは見事だ。直情的な母親と、冷静で本心を隠している父親。感情の発露は対照的だが、息子を想う気持ちは同じ。そんな二人の愛情あふれる会話を若旦那はどんな表情で聞いていたのだろう。もしかすると涙していたかもしれない。強気な表情は崩していなかったかもしれない。この語られない若旦那の表情は、観客一人一人の想像に委ねられている。よく出来た噺だと改めて思う。そんな噺の構成を、上手く活かした馬石師匠だった。
会場全体を暖かい雰囲気にさせて会を終えた馬石師匠。お見事な一席だった。

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