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落語日記 遊雀師匠と一蔵さんのガチンコ対決

第7回 三遊亭遊雀のどーんと来い!
9月3日 六本木 ゆにおん食堂
六本木の居酒屋さんが主催している三遊亭遊雀師匠の会。毎回、席亭さん好みの活きの良い若手をゲストに迎えて、遊雀師匠がその大きな胸を貸して若手の魅力を引き出そうという会。昨年の5月以来の参加。今回、遊雀師匠に挑む若手は春風亭一蔵さん。
この会の常連さんで顔見知りの方も何人か参加されていて、楽しいひとときとなった。

配られたチラシに、席亭のご挨拶が書かれていた。そこには、遊雀師匠がお店で落語会を始めた当初からの恩人であることが書かれていた。その後も落語会を続けられるのも、他の演者を呼べるようになったのも、遊雀師匠のおかげであると感謝の言葉が述べられていた。
観客からは見えない主催者側の苦労と熱意が伝わる挨拶文。この挨拶文からは席亭と演者の暖かい関係が読み取れて、落語ファン・遊雀ファンが読むと胸が熱くなる名文であった。
コロナ禍による観客数の制限や打上げの中止など、通常のようには開催できない状況で、遊雀師匠や一蔵さんの協力を得て、楽しみにされている常連さんの期待に応えようと開催を決めた席亭。参加してみて、この挨拶文の文面からあふれる気持ちが、会の運営からも高座からもひしひしと伝わってきた。こんなにも主催者の熱い落語愛が伝わる落語会もそうそうない。

三遊亭遊雀「四段目」
前座が居ないので、開口一番でいきなり遊雀師匠が登場。まずは挨拶代わりのゆったりとしたマクラ。これがなかなかに楽しい。
まずは一蔵さんイジリ。大柄で迫力があってちょっと強面な一蔵さんのキャラから、先輩の自分に対して平身低頭の挨拶は気持がイイと。

コロナ禍のソーシャルディスタンスが似合わない落語。密集環境でないと落語は面白くない。なので落語は、いずれ地下にもぐる。そんな風に、現在の状況を皮肉る遊雀師匠。会場の店が地下にあり、観客の人数を制限した秘密会のようなこの会の状況とダブり、「地下」という言葉の可笑しさが倍増。
しかし、コロナ禍がますます悪化していけば、隠れて秘密裏に落語会が行われるという話は、決して笑い事ではなくなる。落語会の非合法化、まるで禁酒法時代の秘密の酒場のようだ。もしかすると、現実にそうなるかもしれない、そんな不安な現実を象徴するお話。

明治座で氷川きよしを観てきた遊雀師匠。ここでもソーシャルディスタンスで、観客の声援もなし。ズン、ズンズン、ズンドコの後に「きよし!」の合いの手がない。おばちゃまたちが黙ってペンライト振っている。工事現場の人か。
会場内でのしくじりエピソード。喫煙所で知り合いと感想を語り合っていた。歌は抜群に上手い、でも演技は下手。そんな話をファンの女性に聞かれてしまった。その女性に睨まれ、苦情を言われるのかと身構えると「あれでも上手くなったのよ」
そんな明治座の話から、芝居の噺をしますと本編へ。

主役の小僧定吉が大活躍の一席。芝居好きの定吉が、妄想で行う一人芝居。これが可愛く楽しく、そして可笑しい。
蔵の中で演じるのは忠臣蔵の四段目、塩谷判官切腹の段だ。忠臣蔵の中でも屈指の名場面。待ちわびる判官の許に駆け付ける大星由良助という場面。
店の旦那の前では弱々しい定吉が、真似なれど見事な芝居を見せる。この芝居ぶりがこの噺の見せ場であり、歌舞伎風にしっかりとした芝居の舞台に見えなければこの噺は面白くない。遊雀師匠は芝居のところは、定吉を離れてきっちり歌舞伎風の芝居を見せてくれる。そのうえで、定吉が素に戻ったときには子供らしさがあふれ、このギャップが面白さを生んでいる。
後半では、旦那が腹を空かせた定吉を心配して大慌てする。この様子から、旦那が実は優しい人であることが伝わり、噺全体が暖かいものとなって下げになる。
定吉同様、遊雀師匠も芝居好きであることが伝わる一席。

春風亭一蔵「三方一両損」
交替で一蔵さんが登場。お顔が痩せたような印象。「趣味はダイエット、特技はリバウンド」以前はそんなキャッチフレーズを連発されていたが、今回は無し。痩せちゃうとデブサミットで出られなくなるのでは、ちょっとそんな心配。
マクラは、大好きな遊雀師匠と一緒にこの店での落語会に出演出来る喜びを語る。平身低頭するのは大好きな遊雀師匠だからであって、入門前から縦社会に身を置いてきたからだけではありません。遊雀師匠へのリスペクトが伝わる。
遊雀師匠と同じく、マクラが楽しいのも一蔵さんの魅力のひとつ。この日も一席目でたっぷりのマクラ、笑わせてもらった。

コロナよりショックな最近の出来事、それは豊島園の閉園。豊島園は、練馬区民にとって大切な場所。練馬区民にとって、色々な「初めて」はみな豊島園で経験するという。その色々な初めて話が爆笑の連続。一蔵さんらしいエピソードは、とてもここでは書けない。
そこから話は、江戸っ子の話題へ。一朝一門の弟子の中で最初の東京出身は私です、とちょっと自慢気。しかし散々練馬をディスった後で、東京出身を自慢するという一蔵さんの可笑しさ。
現代において、江戸っ子らしい人は見かけない。でも、一人だけ本物の江戸っ子を見たことがあります、と言って語り出した江戸っ子が強烈。漫画チックで馬鹿馬鹿しい江戸っ子に爆笑。その江戸っ子というのは、先輩に連れられて行った築地の寿司屋の親方。
かなり強引で自己中心的で思い込みが激しいという、まるで落語の登場人物のような親方なのだ。そんな江戸っ子の馬鹿馬鹿しいリアル話から本編へという見事な導入。

本編は、全編にキレッキレの啖呵があふれる楽しい一席。
江戸っ子が発する「あおうーっ」という呼び声なのか掛け声なのか、何とも言えない不思議な声をたびたび聴かせる一蔵さん。この声を文字にするのは無理。これが滅茶苦茶に可笑しい。まさに江戸っ子をシンボライズした声だ。
登場人物の皆が、江戸っ子の突き抜けた馬鹿馬鹿しさを持つ人達。まさにこの演目の趣旨を体現している一蔵さんだ。
そんな馬鹿馬鹿しい町民たちの大騒ぎの後でも、奉行所のお白洲の場面では越前守の役人らしさ武家らしさはきっちりと見せてくれる。この身分の演じ分けは、この噺のキモだと思っている。見事にこの噺のキモを掴んでいる一蔵さんだった。

仲入り

春風亭一蔵「佐野山」
三席目も一蔵師匠。マクラは相撲見物の話。ご贔屓さんに連れていってもらった国技館。無観客試合が解禁されたあとだが、コロナ対策のため、升席に一人づつ座る配置。普段なら二人分の場所をとってしまう一蔵さんなので、広々と使えたのは良かった。しかし、声援どころか観客同士の会話が禁止され、隣の升席にいるご贔屓さんへ本来のヨイショが出来ない、落語家としてご贔屓を喜ばせるという本来の仕事ができない、そんな苦痛な環境だったそう。
そんな相撲観戦のマクラから相撲噺の本編へ。本来の大柄で迫力ある一蔵さんのキャラを活かせる相撲噺なので、得意の演目だと思われる。しかし、痩せてスッキリされたお姿では如何に、という興味を持って聴いた。結果、いらない心配であって杞憂に終わった。

「わしが国さで見せたいものは、むかしゃ谷風、いま伊達模様」と、現在も謡われている江戸時代屈指の横綱である谷風。その大人物の貫禄を、一蔵さんは落ち着いた語り口で見事に表現した。
一蔵さんを拝見するのはおそらく数年ぶり。体形が痩せられたという変化もあるが、力業でねじ伏せて爆笑させるという私の印象があった以前の芸風とは、明らかに変化している。一席目はハイテンションで爆笑の連続となったので、そんなには感じなかった。しかし、二席目の演目は静かに進行する人情噺なので、人物描写についての一蔵さんの技量が際立って見えたのだ。
相撲取りらしさ、横綱の貫禄、下位の力士の悲哀、それら勝負師たちの地位や力量の違いをセリフで上手く表現していた。以前の体形ではない一蔵さんが、相撲取りの迫力を体形に頼ることなく、語り口で見せてくれたことに改めて感動した。

谷風の行為は、現在は八百長として糾弾されるもの。しかし、別名「谷風の情け相撲」と呼ばれるくらいに、噺の中では、この谷風の行為が肯定されている。八百長と呼ばず、情け相撲と呼んでいる。それも、親孝行に免じるという江戸時代の価値観によってだ。情によって建前を曲げることで、よりヒーローとしての伝説に磨きがかかる。そして、そんなメンタリティーを現代人も理解して楽しめている。これこそ大衆芸能たる由縁。

三遊亭遊雀「薮入り」
一蔵さんが前の高座で、ご祝儀はありがたい、私も遊雀師匠から3千万円貰ったら引退しますと宣言されたことを受けて、一蔵さんには3千万円あげません、引退して欲しくないからです、と見事に返された遊雀師匠。そんな短いマクラから本編へ。

薮入りとは、江戸時代に広まった風習で、住み込みの奉公人や嫁いだ嫁が実家へ帰る事を許される休日のこと。小正月の1月とお盆の7月と年に二回の機会があったようだ。遊雀師匠は「今季は、この噺はこれが最後」と言って始める。なので、夏のお盆に帰ってくる型だ。

両親が寝床で語り合う静かな場面から、静かに始まっていく。明日、亀ちゃんが初めての藪入りで帰ってくる。眠れない父親がほとんど独り言のように、帰ってきたらああしてやりたいと、ほぼ妄想のような望みを語る。この一晩の妄想独り言が最初の見せ場。
はじめは大人しく静かだった父親が、妄想がヒートアップして盛り上がり、強烈なギャグ連発で可笑しさを見せていく。
ここでも、遊雀マニアお馴染みの「ぶっ込み」が炸裂。亀ちゃんを何処に連れて行こうか、その行先はまず相撲見物、そして江戸っ子の居る寿司屋と、一蔵さんのネタをぶっ込み。そして、ゆにおん食堂が最高、ポテサラが美味いし、お取り寄せのハンバーグが絶品と、しっかりお店の宣伝をぶっ込み。
ここでは、遊雀マニアお馴染みの「泣き虫」も登場。そう、父親は夜中に待ちきれずにとうとう泣き出すのだ。泣きながら亀ちゃんへの想いを語るのだが、なぜか笑ってしまう泣き虫なのだ。
いよいよ夜が明け、早朝の場面。早々と起きだして家の前を掃き掃除する父親。見ていた大家さんに、亀ちゃんが戻ったら家に寄越してくれと声をかけられるが、本人がどう言いますかねぇと答える父親の顔が絶品。ここは大爆笑。亀ちゃんを独り占めしたい父親の感情を見事に伝えるセリフと同時に、ここで見せた眼つき表情がまさに絶品、顔芸の極致。

亀ちゃんが湯に行っている間に、亀ちゃんの財布を開ける両親。思わぬ大金を見つけてビックリ。会場も息をのみ、静まり返る場面。ところが、亀ちゃんの財布の中から、書付と印形が出てきて、会場爆笑。これには「そこまで入れないと気が済まないのか」と静かな場面にぶっ込み弾を炸裂させた自分自身に、心の声でツッコミを入れた遊雀師匠。またまた爆笑。
財布の15円を盗んだものと勘違いし、強面の表情で亀ちゃんの帰りを待つ父親。ところが、帰ってきて事情が分かったあとの表情の変化、亀ちゃんを叱っていた表情から誤解が解けた後の表情への移り変わり。このように、登場人物の心情を表情で見事に表現できることこそ、遊雀師匠の真骨頂の発揮といえるのだ。

遊雀師匠の薮入りは、かなり笑いどころが多く、しんみりと聴かせる落語家が多いなかで、かなり珍しいタイプの薮入りだった。そんな薮入りでも、お互いに労り合う親子の愛情はしっかりと伝わる一席。面と向かっては照れるので、真意を笑いのベールで隠して、それでもしっかり親子の気持ちを伝えてくれた、そんな感じがする。まさに、落語らしい落語だった。

遊雀師匠に前後挟まれた高座だったが、少しも臆せず堂々とご自身の芸を披露した一蔵さん。それを、どーんと来いと受け止め、ご自身の芸を見せつけた遊雀師匠。そのぶつかり合いは、情け相撲とは異なる真剣勝負だったからこそ観客を楽しませてくれた。席亭と演者の熱い想いが会場に充満した、そんな熱い落語会だった。

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