見出し画像

家族の味(2021'春)


 10日ほど前の新月の日は、
スコールのような雨に被って、
光とゴロゴロ音がほぼ同時で何度もやってきたから、
つむぎ(犬)はおびえるし、
外でバチンと火花が散るしで、
やや不安になるほどだった。

そしてその翌日は、
まるで台風一過のようにぽかぽかと温かく、
柔らかな風のある穏やかな日。
うって変わったお天気に、
春の幕開けを示されたような気がした。

 雷が鳴ると椎茸が出る、と言われるのは本当で、
早速朝、原木を並べているところへ行ってみると、
ポコポコと小さな頭を出し始めていた。

画像1

畑では、冬の間大地にへばりつくように葉を広げていた麦が、
空に向かって伸び始めて、

あちこちに広がっている水仙のつぼみも一斉に膨んで、
家周りの梅の開花は一気に進み、
今もいい香りを放っている。

その翌日、ウグイスの初鳴きを聴いた。

画像5


 子どもの頃、慣れた世界が好きで変化が苦手だったから、
新しいスタートを切る時期である春は、いつも憂鬱だった。

そのクセが抜けなくて、
大人になってもしばらくは春が苦手だったのだけど、
この暮らしを続けていくうちに、
いつの間にか春を待つようになった。


 そんな春の気配に誘われて、
ここ2週間の間に、すっかり外で過ごす時間が増えた。

ストックしているじゃがいもや人参の芽をかき、

秋に保存した食材が減ってくる頃のために、
畑に残しておいた、寒さに強いごぼうや大和芋を掘り、

畑や家の隅にある野草を摘み、
秋に蒔いた葉野菜のトウで籠を満たし、

画像3



 春の種蒔きの準備も始めた。

ぼかしを作って、苗土を畑から取ってきて、網かけする。

畑のまだひんやりしたやわらかい土に久しぶりに触れていると、
ふつふつと自分の中に湧いてくるものを感じる。

いよいよ種を蒔こう、と思った朝は、
やっぱり嬉しかった。
「今日は種を蒔くよ」と家族に報告せずにはいられなかったし、
それを聞いて、
「またなつめが畑モードになってきた」とニヤニヤしつつ、
「よかったね」と言ってくれたりする。

画像6

(6年前に畑の中に切り倒されていた樹々を端に運び高く積んだ場所。
 随分朽ちきたので、良い場所をほじって腐葉土として使う。)

 春といえば、我が家は麴作りがある。

味噌用の米麴は、米の量で言えば240kg、
味噌の量でいえば、900kg分、
6回に分けて仕込む。

自家用の醤油麴は2回、
これは醤油の量にして1升瓶30本分。

 初めて米麴を作ったのは、自流が産まれて1年経った頃だから、
15年ほど前だ。
当時営んでいた菜食の宿のお客さん向けの味噌作りイベントに向けて、
麴の需要量が増えてきたのをきっかけに、トライすることにした。

本やネットで作り方を調べて、必要そうなものを準備して、
少量試しに作ってみたところ、
蒸した米粒は多少白っぽくなったところから、
時間が過ぎても一向に変化しない。
あきらかに調べた過程の写真とは様子が違うのだが、
何がどういけなかったのか、反省すべき点もハテナな状態。
麴を作っている人も周りにいなかったし、
思い切って地元の麴屋さんのTさんに相談することにした。

それまで麴はTさんに注文していて、顔見知りだったこともあって、
Tさんはとても愛想よく、麴作りの工程とポイントを教えてくれた。
私の失敗の理由も、何を気を付ければいいのか、
おかげで随分見えた気がした。

ところがTさんは、言葉だけの説明では足りないと思ったのだろう、

「最近は電気を使って室温や品温(麴の温度)を調整する人が
 増えているけれど、私は先代と同じやり方です。」
と自分の仕事場である麴室まで案内してくれると言う。

お言葉に甘えて、靴を履き替えて見せてもらうことにした。

麴室は広く、湿度が高く、ほかほかと温かくて、
近くの温度計は20度を示しており、
作業効率を考えられて備えられた少し低めの台に、
厚み7センチほどの平たい木箱が、ずらりと重なって並んでいる。
部屋の隅には、小さな石油ストーブひとつ、
その上にはやかんが置いてあり、蒸気を上げていた。

見せてもらった完成間際の麴は、ふわふわと菌糸が広がっていて、
蒸した段階の米粒や、すでに乾燥して店頭販売されている麴、
もちろん私が家で作った’麴とは呼べない麴’’とは、
見た目も香りも明らかに別のもので、
活き活きとした生き物的なエネルギーで満ちていた。

「こうやって毎日麴を作っていても、
 満足する出来になることは、滅多にないんですよ。
 1年に数回でしょうか。いや、これまでに数回かもしれません。」

私には最高な出来に見えたから、
そんなTさんの言葉に圧倒されながら帰宅し、
買わせてもらった麴菌を使って、
教わったことのメモ書きを頼りに、
その日の晩から早速麴作りを始めた。

画像5

(一度に20kgの米を蒸すためトキが手作りしたドラムカン蒸し器。)

 麴作りを始めた翌年、
トキが離れの家のお風呂場を改装して、麴室を作ってくれた。

一度に仕込む量が増えるほど、
温度管理がしやすくなり、出来も安定することに気づき、
以来一度に仕込む量は、3kgから10kg、
20kgから40kgへと増やしていった。



 麴作りは菌つけから約48時間かかる。
完成が遅れることもあるとすると、
丸々3日間は想定して、麴のために空けておく。

浸水後、1時間蒸した米を冷まして菌つけした後、
麴自身の発熱が始まるまでは、あんかや毛布やビニールで保温し、
発熱が始まったら、品温が上がりすぎるのを抑えるように、
かぶせていたものを減らしたり、
1つにまとめていたものを何枚かの麴箱に分けたり、
さらに工程が進めば、熱がこもらないように箱同士の空間を広げていく。

麴菌が元気に広がっていく温度は、30度から35度。
それ以下になると、菌の広がりは止まってしまい、
それ以上になると、納豆菌などの雑菌が繁殖しやすくなる。

一度温度が下がってしまうと、もとに戻すのに数時間かかり、
その分完成は遅れるし、勢いも落ちる。
うっかり温度を上げてしまうと、がっかりな出来が待っている。

私が麴を仕込むのは3月初めから4月半ば。
徐々に気温が上がっていく時期なので、それに合わせて、
少しずつ温め具合をかえていく必要もある。

失敗は、大なり小なりたくさん越えた。
味噌にする勇気がなくて、全部ど〇ろくに仕様変更したことも、
今となると懐かしい記憶だ。

画像6

(菌糸が広がり始めた頃)

麴が完成していく工程、麴との付き合い方が大体わかってきた今も、
数々の失敗の教訓の「油断は禁物」から、
温度調整のための観察は菌つけから12時間後からは2時間おき。
深夜でも3時間は空けずに観ることにしている。

麴が一定の温度を保てるかどうかは、
こちらの予測と対処にかかっているし、
うまく方向づけられれば充実感もある。
麴の出来によって、味噌の出来が変わってくることを想うと、
手を抜く気にはならない。

画像11

(完成。この後崩して塩と煮て練った大豆と混ぜて味噌を作る)

「毎回麴の顔は、少しずつ違うんです。
 それを揃えようとしても難しい。生き物ですから。
 そこが面白いところですけどね。」

Tさんの域には到底達しそうにはないが、
麴仕込みは毎回緊張感がありつつ、毎回違って面白い。

電気制御で室温や品温管理ができれば、
随分身体的にも気持ち的にもラクになるのだろうなと想像するけれど、
この面白さはかなり減るに違いない。

画像8

(米置き場の内側の動物避けネット張りの準備がえがくの担当なのは、
 これが完成すると、今の米置き場が半分えがくの部屋になるからだ。)

 

 一昨日からこの春3度目の米麴を作っている間、
トキは自家用の醤油を搾っていた。
彼にとっては、この冬何十本も搾ったうちの最後の1本になる。

醤油の場合は、麴は私が作り、
その後のもろみの発酵過程から熟成に至るまでの管理と、
そのもろみを搾って醤油にするのは彼の方だ。
そういえば醤油搾りも、私の麴作りと同じ年に始めているから、
かれこれ15年になる。

去年仕込んだ醤油麴は、私の中では良い出来ではなかったが、
その後の管理過程で一工夫してくれたおかげで、
少し色が薄いものの、無事美味しい醤油に仕上がった。

画像9

(生醤油は甘くて香りがよい。今回はもろみ半樽分で1リットル取った。)

 こんな風に、我が家の醤油と味噌は、
材料を自分達で育てるところから、
夫婦それぞれの担当分野があり、
そこに子ども達の協力が加わって、
毎年家族全員で作り育ててきた。

野菜の味が濃くて甘ければ、手の込んだ料理をする必要もなく、
この味噌と醤油を使えば十分満足で飽きない食卓になり、

特に数種類の野菜の具だけで、
出汁を入れなくても美味しい味噌汁は、
いつからか、我が家の食の基本になっている。

 自流は家を出る時、たんまり味噌と醤油を持っていった。

双葉や湧にも、旅や外出時「味噌と醤油、持ってっていい?」
と聞かれる。
ベジでない食事や外食も、普通に楽しむようになった3兄弟だが、
今も慣れたこの味を求めているんだなと思う。

いずれ別々の暮らしを営むようになっても、
この手作り味噌と醤油は、私達「家族の味」として、
子ども達の記憶にも味覚にも残っていくだろう。

そんなことを想いながら、
明日の味噌作りの準備を始める。

===========


「小さ愛さ」を書いたこの1年、
タイトルにも内容にも四季折々の変化を意識的に入れたのは、
私にとって、この暮らしにとって、
四季の移り変わりが切り離せないものだからだ。

雨の降り方、風の吹き方、太陽の照り方、
山の様子、川の様子、樹々の様子、草達の様子、
動物達、鳥達、虫達、生き物すべて含めて、
自然界の事々が、直接影響する暮らしの中にいると、
自分が小さなちっぽけな存在だということがありありと解ると同時に、
そこから、大きな安定感や安心感をもらっていることに気づく。

特にこの1年は、そのことをより感じた年だったと思う。


画像10

(二十歳前後になってもセルフカット。いつまで続くかな(笑))

~1年間読み続けてくだったみなさん、ありがとうございました。~

                      (なつめ)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?