第3ラウンド


※婦人系病気の手術後のお話です。それ系の話がもちきりです。

2ヶ月近くも更新が止まってしまいました。
待ってる方がいらしたら、おまたせしてすみません。
仕事と治療と左右される体調にいっぱいいっぱいで、書きたくてもかけなかった日常でした。
ようやくめどが立ちました。
下書きはなんとなく書いてたので、それを拾いつつ始めます。


年末年始を自宅で引きこもってまったり過ごし、仕事始めと一緒に退院報告し、さも普通の人に戻ったかのように振る舞って1週間後。
摘出した子宮近辺の病理結果と今後のお付き合いのお話を聞くために病院へ向かった。

この時点ではものすごい気楽だった。
とりあえず、ナマで見損ねた自分の患部を見られるかなーとか、今後は年1回ぐらい卵巣あたりまで検査しようかなーとか。
※あとで聞いたら卵巣まで取ったそうです・・・ですよね(汗)
ぶっちゃけた話、大腸の1年後検査のほうが自分の中では心の半分以上を占めてたので・・・

病室で待つこと数分、医師に名前を呼ばれて診察室に入る私はすごいニコニコしてた。

私「こんにちはー」
医師「あー・・・こんにちはー」

一方、いつもキレッキレに単刀直入に言ってくれるクール先生からは、少しだけ困ったなーという感情が漏れていた。
その顔見て、ちょっと「おや?これは雲行きがあやしいぞ?」という感じになる私。まさか転移してたのか…!?

医師は順序立てて話をするのがご自身の方針と決められているようだ。それが患者にとってもわかりやすいし、話が進めやすい。
結論を急がせたかった私ではあったが、医師が表示させる私の患部画像の輪切りを見せながら、説明を始めた。

医師「まず、今回摘出した子宮とリンパ節を調べたところ、リンパへの転移はありませんでした」
私「やったー。それって外に出てないってことですね?」
医師「そうですね。(と、パソコンに摘出したものを撮影した画像を表示)これが(私)さんの子宮ね。その内膜を切っていったのがこれ。(画面切り替え。なんか鳥のささ身に似てる気がした)で、これアップするねー(画像アップ)。こっち内側なんだけど、内側の色と外側の色が微妙に違うのわかる?」
私「わかりますー」(内側が若干白かった)
医師「で、このあたりに境目ができてるの、わかる?」

内膜断面画像を指差して、微妙に色が違う境目をなぞる。たしかに、ほぼ内側の色の割合が多かった(2:1ぐらい)。

医師「これね、内側からガンが侵食してるんだけど、内膜の壁を半分以上食ってるんだね…」
私「そうですね…(ドキドキ)」
医師「これが半分以下だったら、ステージ1Aで終わりだったんですが、半分以上侵食しているので、1Bになります。ここでリンパまで転移してたら2になるんですけど、(私)さんは転移なかったので、1Bです」

医師にとっても想定外だったのだろうか。何度もギャーギャー騒がしい内膜の検査を行い、一度は「異常なし」という結果を叩き出した私の子宮内膜は、水面下で活発に領土を広げていたようだ。

ここで「1A」が「1B」のレベルアップを遂げたと聞かされた時、医師はさらなる衝撃を私に投げてきた。
(上の会話文もそうですが、再現ではありますが100%あってるとは限りません。間違ってても「まぁそんな感じな説明をくれたんだね」みたいに思ってください)

医師「ここまで内壁を食ってる場合、ここで終わり、というわけにはいかなくなる。転移はないんだけど、子宮がんの細胞って結構しぶとくて、CTやMRIで見れないレベルで散ってる可能性もあるんだよね。で、僕としては、補助治療としての"抗がん剤の治療"をしてもらうことをお勧めします」

私「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ほぇ?」


抗がん剤治療、と聞いて、ちょっと頭が真っ白になったのは否定できませんよ。なんつったって抗がん剤治療ですから。
やっぱり構えちゃいましたし、「取って終わり」という気分でいたから、その分流石にショックでした。
さらにいうと、まず思い浮かんだのは「また入院!?」という気持ちでした。大概抗がん剤治療をする人は病院に缶詰にされてしまう、というイメージがあったので。
また入院となると、仕事面や経済面を考えると、多方面に迷惑がかかる。さらにこのとき1月。年度末が締めという大きなプロジェクトが会社で進められており、私は年末ばたばたと治療や入院を重ねていたため、プロジェクトからやや離れたポジションながらも、根本的な部分をまかされていたのだ。それが本格的に活動を始めるのが2月頃。ちょうど私の治療が落ち着くだろうという時期を見越したメンバーの配慮が多少あったりする。

私がさすがに「えー・・・」って顔をしてたのがバレたのか、医師はこう続けた。
「必ずやらないといけないわけではないです。(私)さんの時点で90%以上の人は治るから。だからここで終わってしばらく様子見をするのもいいでしょう。見えないがん細胞が活発化して他の場所で発症したら、その時に改めて対処する、という方法もアリです。ただ、場所によっては厄介なことにもなるかもしれない。そういうリスクを考えながら生きていくよりは、予防という意味で、抗がん剤を受けるという方が、リスク回避的にはいいと思う。ただ、それでも完全ではない。ただ、ここで受けなかった場合、後々ガンが転移再発したときに、"あの時抗がん剤治療受けてたら発症しなかったかも"という後悔が出てくる。だから、無理強いはしないけど、僕としてはお勧めします」

受ける場合、抗がん剤投薬の点滴治療を全6回受けてもらう。最初の1回目はその後の抗体検査のため入院してもらうが、2回目以降は、その後の抗体検査の結果にもよるが日帰りでも可能。以前は副作用がひどかったが、今はそれに対抗する薬も出ており、一番やっかいとされる吐き気に対する薬は効果があるという(といえども4割近くはさすがに吐き気は出るらしいが)。とはいえ、副作用の重さについては人それぞれで、殆ど出ない人もいれば動けなくなるぐらい重く出る人もいる。それはやってみないとわからないという。さすがに脱毛はみんなするので、それは覚悟してほしい・・・

短い間だが、いろいろ尋ねて、いろいろ考えた。

ポッとできた直腸のポリープからでてきた初期のがん。
子宮内膜増殖症の「ガンになってる人」20%枠に見事に入り、さらにステージも1の後半という、ありがたくもないレベルアップ。
さらに何度もいうが、ガンの家系を引き継いだ私の遺伝子。
祖父も祖父の兄弟男女問わず、みなガンで亡くなった。
消化器系、はたまた婦人科系で。
さらに母もその遺伝を引き継いで何度も手術を繰り返してきた。
母は切除ですべてクリアしてきており、抗がん剤治療をしたことがなかったが、実はそれはとんでもない奇跡だったのではなかろうか。

いろいろなことが、私の背中を押したのであった。

私「抗がん剤治療、受けます!」
医師「そうですか! そのほうがいいと思いますよ」

即座に母を電話で呼び出し、話をすることになった。

この電話をした時、受話器の向こうでおそらく母は泣いただろう。
私が抗がん剤治療を受けるよといった瞬間、電話の向こうの母の声が、時折嗚咽を我慢したかのように詰まったり、よく聞けば涙声になっていたり。
あとで詳しく書くかもしれないが、私がガンのために入院する時に初対面して以来、母は私の担当医が苦手であった。
なんにでも理路整然、事実を1から述べる姿が"高圧的で嫌だ"という理由だが(私はそこが好きなんですけどね)、まあ、よくある「生理的にだめ」というやつだ。ただ、腕は認めているようですが。
ただ、流石にこの時ばかりは私を引き止めてきた。

母『だって、ステージ1なんでしょ?1で抗がん剤ってやるの?』
私「やるんだって。少なくともこの病院では。てか、見えないガン細胞抱えて生きたくないし。やるんだったら徹底的にやりたいし」
母『でもさぁ・・・あんたわかってんの?治療中めっちゃ苦しいってよ?』
私「説明受けたから知ってる。でもそれに対抗できる薬あるんだって」
母『いや、でも髪抜けるんでしょ・・・?』←母曰くこれが一番キツイと思ったらしい
私「いや、一生そうはならんし。治療終わったら普通に生えてくるし。それに安いかつら(後日詳細書きます)があるみたいだから大丈夫だよ」
母『・・・(ここでぐすぐす泣き出す)』
私「とにかく来てー。話聞いてもらいたいから。てか、泣き顔で来んなよ。私ですら泣いてないんだからな」

・・・まだ。

約30分後。
到着した母、そして前回入院時に説明を受けたときに同席してくれたワーカーのおばさんも立ちあった上、医師は再度説明してくれた。

説明後。
入院に関する説明を受けるために、一旦診察室から待合室に出たあたりで。

ふと、涙が出たのでした。

なんの涙かわかりません。
医師の前では「抗がん剤受けなきゃ」みたいな気持ちが強く出ちゃったので、無意識に強がってしまっていたのかもしれません。
ただ、話を聞いた後でもおろおろする母や、それをなだめるワーカーの人の会話をぼんやりと聞いてたら、ふと涙がぶわっ、と出たのでした。

まあ、単純に、
「これで終わりじゃねーのかよ!神様ってホントにいるんだな!!!」
と、今年引いたおみくじの「病気」の欄で

「長引くべし」


となっていたのが本当になったじゃねーかと思ったのでありました。



・・・まあ、そんな感じで。私の治療は続く!!!


後日見た子宮内膜癌のステージ表記によっては、私は1Cに属するらしいぞぇ。