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【現代空間論1】レルフ「場所の現象学」

空間は、日常的な経験だけでなく、観念を含めた広い意味での経験の数だけ存在しています。地図に表された空間、音楽に満たされた空間、神々しい空間、独特の規律が支配する空間、幾何学的な空間、文芸が拓くファンタジーに充ちた空間……。その時々の経験や観念に由来して空間は実に多彩な姿をみせますが、それは人間の経験のあり方を映しています。

そうした人間の経験の立場からみた空間の姿を整理しるため、二人の空間論を紹介していきます。

河本英夫の空間区分

最初に紹介するのは、オートポイエシス研究で知られる河本英夫の空間区分です。

河本は、人間の経験する空間として「生態空間」「幾何-運動空間」「シンボル空間」の3つを提案しています。この空間区分は、ピアジェの発生的認識論や発達心理学を背景にしており、それぞれの空間は、生まれ落ちた素の人間が「乳児期」→「幼児期」→「それ以降」と段階的に獲得する空間概念に対応しています。

「生態空間」とは、身体行為と相即的に体験される空間で、「幾何-運動空間」は、身体行為を前提とした場所と場所の関係からなる空間です。そして最後の「シンボル空間」は、座標軸で張り出された空間であり、ニュートン力学による物理的空間や、それに加えて言語空間や抽象的な論理空間なども含まれています。私たちは大人になると、シンボル空間を活用することが圧倒的に多くなります。ただし、シンボル空間は単独では成立せず、「生態空間」や「幾何-運動空間」のもとに成立します。

そして「幾何-運動空間」では、「場所の指定」が行われます。私たちは、様々な場面で「場所の指定」を行っています。心を思い浮かべれば、無意識に心臓の辺りに意識を向けます。慣用句にも「腹が立つ」「胸が踊る」「頭にくる」のように、心に湧き起こる感情を身体の一部に結びつけているものが多く、感情が身体の局部的な場所で生まれ起こっていると感じていることがわかります。

「場所の指定」は、知覚だけでなく内的な気づきなども含めて広く意識に及んでいます。伝統的な修辞学(レトリック)でも、「場所(トポス)」が記憶術にとって重要な役割を果たしています。論拠や論点の所在を知ることが議論の基礎をなすと考えられ、具体的な議論法でも、重要な論点や論題を特定の場所に結びつけて記憶していました。記憶は必ず「そこ」と特定できる場所に対応しています。知覚したものを想起できるのは「記憶」の働きによりますが、記憶とは場所の記憶に他なりません。

河本は「幾何-運動空間が、シンボル空間以前の行為する人間にとって本来的な空間であり、この空間を成立させるもっとも重要な行為がライディング(降り立つ)である」と述べています。ランディング(降り立つ)とは、まさに「場所の指定」です。

レルフの空間区分

「幾何-運動空間」について、もう少し詳しく空間の特徴を見ていきたいと思います。

河本が示した空間区分は、単純に3種類の空間タイプが並置されているのではなく、発生的認識論や発達心理学を背景にしていることもあって、発達段階的であり、一種の階層性を示しています。つまり、上位層の空間は、下位層の空間をある種の基盤として成立するという関係が見られます。

地理学者のエドワード・レルフは『場所の現象学』で、より詳しい空間区分を示していますが、ここでも同じ階層性が示されています。レルフの空間区分は、「実用的空間(原初的空間)」「知覚空間」「実存空間」「建築・計画空間」「認識的空間」「抽象的空間」の6つです。いずれの空間タイプも人間の経験や観念が背景にあり、その点も河本の空間区分と共通しています。

「場所の指定」が起こる河本の「幾何-運動空間」は、レルフの「知覚空間」と「実存空間」に対応しています。この2つの空間は、「主観的な意識(個人意識)」と「相互主観的な意識(集団意識)」で区分されています。

「知覚空間」とは、個人が抱く意志や感情に充ち溢れた主観的な空間であり、行動し、知覚し、思考する個人を中心に広がりをみせる自己中心的な空間です。そこは、壮大な自然や、人工的な美、特別な他者などと意識が直接に出会う場になります。

一方で「実存空間」は、社会集団の構成員として、具体的な社会経験から明らかになる空間です。社会集団のメンバーと関係しながら相互主観的に内部構造が決まります。典型的に現れるのは聖と俗、生と死、公と私、中心と周縁といった対立です。こうして空間は人間に承認され、徐々に名前が与えられ、それが実存空間の基本的な構造づけとなります。

また、河本の空間区分で最下層に位置した「生態空間」に対応するのが、「実用的空間(原初的空間)」と「建築・計画的空間」です。このうち「実用的空間」は、本能的かつ無意識的に活動する空間で、空間に関する特別なイメージや概念を抱くことのない動物的な空間です。乳幼児期に始まる身体や感覚に関する個人体験によって、無意識のうちに形づくられる原初的空間が基礎になっています。後者の「建築・計画的空間」は、実存空間での無意識の空間構成を、形式的な概念を用いて行うものですが、これは地理学特有の区分といえます。

反対に、最上位に位置する「シンボル空間」は、「認識的空間」と「抽象的空間」の二つに分かれます。どちらも抽象的な空間概念で構成されますが、両者は「等質性」と「異質性」によって区分されています。「認識的空間」は、地図やユークリッド空間のように等価等質の空間に変化しています。それに対して「抽象的空間」は、経験的な観察の対象として必ずしも描けない空間でも記述することのできるような論理的関係の空間です。それは人間の想像力の自由な創作であり、物理的現実や心理的現実に必ずしも対応したものではありません。

挿入図に、レルフの空間区分と、河本の空間区分とを対照しました。繰り返しになりますが、これらの空間区分は、人間の経験や観念に由来している点が共通しており、空間区分特有の階層性が見られることに加えて、レルフの空間タイプは地理学が背景にあることから公共性(社会性)といったもので分節が起こっています。

レルフの6つの空間タイプのなかで、公共性を持つのは「実存空間」です。「知覚空間」での個人の直接経験は、「実存空間」のもっと公共的なコンテクストに結びつけられ、その一部に名前が与えられながら、公共の場所そのものの基礎を形成します。そして、両空間とも「地図」に取り込まれることになります。ここでの地図とは、「認識的空間」で形式的に位置づけられた場所の枠組みです。地図に示された地名や道路や諸々の位置関係や重なりは、そもそも「知覚空間」での原初的な地理的・空間的な経験がもとになり、「実存空間」で醸成された地理的な世界観を形式的に反映したものです。

また、「知覚空間」は、自己アイデンティティの根拠地(後背地)になります。「実用空間」が公共性を帯びるのに対して、「知覚空間」は、個人の意志や意識に溢れた個人的な空間です。「知覚空間」のなかには、子どもの頃の特別な場所の記憶などが強く作用し、黙想のために引きこもることのできる特別にプライベートな集中点が生まれ、その分節化された空間がアイデンティティを形成するための根拠地となるのです。

複数の空間を同時に生きる

最後に、河本やレルフが共通して示した空間区分を整理して、改めて空間の意味を考えてみたいと思います。

一つは、空間が下位層になるに従い、空間が「体験する人間」の存在を根拠づける点です。多くの空間タイプのなかでも、意識が降り立つ「幾何-運動空間」や、自己アイデンティティの根拠地となる「知覚空間」など比較的下位層の空間領域は、私たちの本性を問うために重要な働きをします。「わたしはなんであるか」と自分の本性を問うとき、言語や論理で構成される「抽象的空間」に頼れないとすると、「アイデンティティはどこにあるのか」というように、改めて「知覚空間」に降り立って「わたしはどこにいるか」と問わざるをえません。

二つ目は、それぞれの空間は、独立してまとまりある世界を構成している点です。それぞれの空間は、自分と環境世界との関係のなかで、まとまりある空間概念や、一つの意味世界を構成しています。そして、われわれは、これら複数の異なる空間を同時に生きているのです。

書きおえて

空間論はカントから大きく転回し、宇宙や世界といった外的な空間から、内的で心的な空間を対象にするようになりました。
そして、ここで紹介した河本やレルフの空間論は、人間が成長していく過程で獲得する空間を階層的に描いており、20世紀に到達した(標準的な)空間論といってよいと思います。

「現代の空間論」はこの二人の空間論をニュートラル地点として、様々な空間論を紹介していきたいと思っています。しかし、本丸は、内的/外的軸ではなく、デジタル/フィジカル軸で語ることにあります。
デジタルを取り込んだ空間論をご存じであれば、是非、紹介してもらえればと思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

(丸田一如)

〈参考〉
河本英夫「解題 生命の幾何学から建築的身体へ」荒川修作+マドリン・ギンズ『建築する身体-人間を超えていくために』春秋社、2004年
エドワード・レルフ/高野岳彦、石山美也子、阿部隆訳『場所の現象学―没場所性を越えて』筑摩書房、1991年