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これまでの私と、これからの私のために買った道具の話し。


電動のドラムカーダーを新しく買った。


ドラムカーダーというのは、毛を梳くための道具で、羊から刈り取った原毛の毛をほぐして梳いて紡ぎやすくしたり、染色された羊毛の色を絵の具のように混ぜ合わせたりすることができる道具。今までは手回し式のものを使っていたが、回し続けていたら胸筋を痛めてしまった。自分の仕事の作業量が体の許容量を超えた。


このアイアンメイデンのような恐ろしげな針布から、ふわふわに解きほぐされた新雪のような羊毛が出てくる。針布から羊毛を引き剥がすときのぷりぷりと弾む手触りが好きだ。


この道具を買うまでに、人生が激変した。

人生が激変したからこの道具を買った。


この5年ほどは激動の年月だった。

2018年に結婚して2019年に出産、2020年マイホーム購入、その後自分が病気になり、2021年に治療・手術を経て、どうやら死ぬことは切り抜けたと胸をなで下ろした直後、年末に父が急病で他界、父と同居していた90歳の祖母を2022年の年始に老人ホームに引っ越しさせるところまでがセットでひとまとまりになって、まさしくジェットコースターみたいな日々。はたと気づけばもう2022年も暮れようとしている。


この間ほとんどずっとコロナ禍だったので、もはや久しぶりに会う友人には「大変やってん」としか話せないくらい、大変だった。


ほとんど作品を作ったりはできなくて、あんまり作ることに頭を向けている余裕がなかった。


自分の病気も、治るのか、近い将来死んでしまうのか、治療してみないとわからない状態で、わりと長い期間「先のこと」を考えることができなかった。

治療の結果、たぶんこの先も普通に生きていけるであろう、ありがたいに尽きる日々を送っている。



そんな日々を経て、強く思ったこと。


やりたいと思ったことは、すぐにやらないとやらずに死んでしまうかもしれないということ。


やりたいことをやるということは、見栄とか、周りの目とか、誰かに言われた言葉とか、心の奥底で自分を縛っているものとか、自分が今まで築いてきた気になっているものとか、そういうものを洗いざらい辞めにすることと向き合うこと。結婚してからこれまでの5年という期間は、向き合うには十分すぎる時間だった。


今できることを最大限、できるようにするには。

やりたいことと、出来ることを整理して、最大公約数を導きだす。


家を買うとき、はじめはできるだけ染場を得られるようにと考えて物件を探していたけど、自分たちの予算と京都の土地の高さではその希望が叶いそうになく、そのことはいったん抜きにしてまずは自分たちの暮らしを優先にして今の家を選んだ。


住みながら家のどこかを改装して染場を作ろうと思ったけど、どうやらこの家にその充分なスペースを得られそうにない。小さい子もいるし、危険があってもいけない。

外に作り付けられないこともないけど、作業を天候に左右されたり、予期せぬ汚れとか、作業のたびに道具を家から出し入れすることとか、なんかいろいろ考えるとめんどくさい。

費用対効果、薄。

快適な制作環境とは言えない。

子どもが幼稚園に行っている間の限られた時間のなかでできるとも思えない。


私が染めの仕事をすることは、家族にとって誰のプラスにもならない。自分の仕事を押し通そうとすればするほど、家族の暮らしが不便になる。そうまでしてすることではないな、と、数年かけてゆるやかに私は染めの仕事を諦めた。


学生の頃、染色羊毛を使って作品を作っていたら、とある人に言われたことにずっと縛られていた。


「自分で染めないのは趣味!手芸!」


言った人は、自分の作品作りにプライドを持っていただろうし、ゴリゴリの工芸の世界から見たらそうなのかもな、と、私もその考えに異論はなかった。

なかったんだけど。


‘自分で染める’ということに、私も縛られていた。


自分で染めるということは確かに唯一無二だし立派なことだと思うけど、作品作りにおける絶対ではない。


絵画を描く人が、買った絵の具を混色して描こうが鉱物を砕いて膠と混ぜ合わせて描こうが、だからといって作品の価値が左右されるわけではないのと同じだ、ということに合点がいくまでにだいぶ時間がかかった。それぞれの作品に、それぞれの意味がある。


諦めて、別の何かを考えたときに浮上したのが電動のドラムカーダーだった。

染められないけど、自由に色を得たい。

羊毛の一番の魅力ともいえる部分は、色を混色出来るところだ。

まるで絵の具を混ぜるのと同じように、羊毛の細い繊維一本一本を混ぜ合わせることでオリジナルの色を作ることが出来る。

グラデーションにも、完全な混色にも、絵の具で絵を描くような再現が可能だ。

素材の種類も異種類を混ぜ合わせることで、自分だけの肌触りの素材を作ることが出来る。



染織の勉強をしていたときに感じたこと。

世界中の染織の布の、織機の形や染色の仕方、糸の紡ぎ方は千差万別、思いもよらないような道具や方法がたくさんあって。

それは、その土地の環境や制約によって、それを利用したり回避するためにそれぞれが伝統的に作り続けているものだ。


染織は、制約の美だ。
制約があるからこそ生まれるものがある。

私の制約は染めれないこと。

ならばその制約を最大限利用して、他を伸ばすしかない。



人から見たら何が違うのかわからないくらいの変化だけど、私にとってはとても大きな変化で、今までの私、これからの私のターニングポイントとなる買い物だった、という話。


この道具としばらく生きていく。

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